お正月に考えたこと

1月1日、元旦の朝。かなたの地平線は灰色のどんよりした雲で覆われていたが、やがてそれを押しのけるようにして煌々と輝く太陽が力強く昇ってきた。初日の出の登場。そして新しい年が始まった。みんな今年も元気に過ごせますように!

昨年から元旦は、ランニングの練習を兼ねて父の墓参りに行くことにしている。若干回り道をして往復33キロ。風もなく適度に暖かく、走るにはちょうど良い天気だ。いつものように帰り道は調子が出てついついスピードアップ。さて今年のランはどんな感じでいこうかな。去年の大阪マラソンつくばマラソンで大きな目標だったサブ3.5を達成して、次なる目標をと考えても適当なのがなかなか思い浮かばない。若い人のように次はサブ3なんてことにはならないし。

ということで、今年もこのマラソンが生活の中心になりそうだ。走る以上は少しでも自己記録を伸ばしたい。そのために今年は筋力トレーニングなんかもやってみようと思っている。年が年だから、どの程度効果があるかは怪しいけどね。ともあれマラソンのついでに観光するというのが大いに楽しみ。今年もあちこちと出かけていきたい。お金ばっかり使ってなんて怒られそうなんだけど。

退職する数年前に80歳までの20年ほどの第2の人生をどう生きていくかを考えて、今までにやり残したことは何だろうと考えてみた。それが語学だった。英会話を身につけて世界のあちこちに友だちを作ったり、観光ボランティアで外国から来る人たちに日本のいろんなことを伝えたりしたい。そう思った。大学受験の浪人時代に半年近く毎日英語を8時間ほど勉強してようやく語学の面白さが分かったような気がした。大学では必修のドイツ語の他にロシア語、フランス語もやってみた。でもその時は語学より物理への思いの方が強かったから、結局ものにならないまま卒業し、その後も使うことはなかった。

今までの人生に何の不満もないのだけど、もしももう一度やり直すことができたらその時は語学を生かした仕事をしてみたい。きっとそれがやりたかったことだ。それで残りの人生のプランを作ってみた。初めの5年間で基本的なところをおさらいして、次の5年では実際に海外に行って生きた会話を学びながら友だちも作りたい。70歳からは観光ボランティアを楽しみながら余生を送る。

そしてその計画の最初の5年間が今年で終わるのだ。さぼりたがり屋のごいさんの悪い癖で、予定はだいぶ遅れ気味。働いているから許されるというのでもない。先に延ばす余裕はないのだから。この1年は、今まで以上にしっかり取り組まなければいけないと覚悟を決める。仕事も完全にリタイアする予定。背水の陣を敷くって言うほどではないけどね。

マラソンで体力を維持し、英語の勉強に励む。これが今年の生活パターンになる。できたら月に1~2冊ぐらい本も読みたい。映画も月に1度ぐらいは観に行きたい。多少の教養は必要だもんね。

最後になりましたが、読者の皆さん、明けましておめでとうございます。いつも読んでいただきそして応援していただきありがとうございます。今年もどうぞよろしくお願いいたします。

 

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教え子の同窓会

今日は大晦日。本来なら今年の振り返りをというところなのだが、それは新年の抱負と共に年が明けてから書くことに。今日は教え子の同窓会に行ってきたお話を少しだけ。

一昨日の29日に、退職前の最後に受け持ったクラスの子たちの同窓会があった。卒業して今度の春が来て5年になる。11月中旬にM保さんという女の子から「12月の終わりにクラスの同窓会を開きたいのだけど、先生にも参加してもらえないか」という旨のメールが届いた。多分先生は参加してくれないだろうというあきらめの気持ちが読み取れるような感じで書いてあった。

クラスの子たちには、常々、グループごとの集まりはいいけど全体の同窓会には出席しないと言ってきたのだ。自分の小学校のクラス会のことはこのブログにも何回か書いているが、自分の仲の良かった子がほとんど参加していない。定かではないが、担任の先生に不満を持っていたりあるいはクラス内でのわだかまりであったりというのがその理由のようだ。

ごいさんはクラスの子をできるだけ平等に扱ってきたし、仲間同士が助け合うことも強調してきた。でも1クラスに30人もいれば抜け落ちることもたくさんある。行ってみたらそれが理由で何人も来ていない状況を見るのはあまりにも悲しい。いろんな事情があるのだと割り切れるほどにごいさんは強くないのだ。それにそういう場での先生の立ち位置も意外と難しい。いつまでも先生づらして目立ってもいけない。自分たち同士の方が気楽になれるというのもあるだろう。

とまあ、そんなこんなで出欠席の返事は直前まで保留にしておいた。可笑しいかもしれないけどずいぶんと悩んだのだ。で、結局は出席することにした。卒業して5年。どんな感じで社会人をやっているかを確かめるのも元担任としての義務だろうと考えたからだ。それと、出席することで、今も彼らを見ている自分の思いが伝わるような気がしたのだ。

会場に着くとそこにいたのはクラス29人のうちの17人だった。残りの子たちは仕事があったり地方にいたりとそれなりに理由があるようで少しばかり心が和らぐ。席に着くと早速にみんなが入れ代わり立ち代わり話しかけてくる。卒業して5年じゃほとんど高校生のまんまだ。でもしっかり敬語を使ってくるところはさすがに社会人らしい。高校生の時よりは一段と頼もしくなった感じがした。

彼らの人生はまだ始まったばかり。これからさまざまな困難に出合うだろう。成功する人、挫折する人、はたまた両方味わう人。そのどんな時でもこのクラス会が開かれたら参加してほしいと思う。成功した人には気持ちの引き締めを、挫折して悩んでいる人には勇気を与えてくれるに違いない。そんなクラスをごいさんは作ってきた、そう思いたいのだ。これからこの会が永く続いて、みんなの心の拠りどころになることを願っている。

仕事が終わって2次会から参加した子も何人かいたという。みんな楽しそうな顔をありがとうね。このクラスならいつか全員揃うかも。幹事のM保さん、O嶋くん、声をかけてくれてありがとう。素敵な同窓会でした。

 

中央のビルとビルの間に富士山の頭、見えますか。ラン納め。大桟橋から撮影。f:id:goisan:20161229133419j:plain

 

「ほろ酔いコンサート」

日曜日の夜に親友の健さんからメールが入った。「27日の夕方、空いてる?」この日は毎年恒例のアメ横での買い物に出かける日だったので「6時ぐらいなら大丈夫。」と返した。そうしたら今度は「有楽町で4時頃はどう?」とメールが来た。時間的には間に合いそうなので「何とかなるかも。」と返信したところで詳細が送られてきた。この日は奥さんと二人で加藤登紀子の「ほろ酔いコンサート」に行く予定だったのだが、奥さんの都合が急に悪くなったのだという。そこでその代役としてごいさんを選んでくれたというわけだった。

予想した通り、会場はおじいちゃん、おばあちゃんで溢れている。全体的には我々よりもいくぶん年上の人たちのように見える。「赤い風船」「ひとり寝の子守唄」「知床旅情」「百万本のバラ」と彼女の曲をずいぶんと口ずさんだものだが、おときさんのファンはいわゆる団塊の世代ぐらいの人たちが多いのかな。

4時15分に入場するとロビーでは大関の一斗樽の振る舞い酒が配られていた。まずは遠慮がちに。恐る恐ると2杯目。少し慣れたか3杯目。図々しくも4杯目。思わず「酒は大関 心意気」のCMを思い出す。あの頃はまだ高校生で、日本酒を飲み始めるのはまだまだ先のお話。でも、あのコマーシャル、何といっても田宮二郎が良かったね。

5時ちょうどにおときさんが登場。とにかくパワフルだ。今日が誕生日で73歳になったとは思えない。語りかけも上手くてどんどん惹きつけられていく。リピーターもたくさんいて会場は大いに盛り上がっている。1部の最後にはゲストの手嶌葵さんも登場。彼女のやわらかく透き通った歌声を聴けたのも感激だ。

1時間半を超えて1部が終了。さて2部は彼女が敬愛しているエディット・ピアフの曲がメイン。「パダム・パダム」「ばら色の人生」そして「愛の讃歌」と歌い上げる。アンコールの最後には森繁久彌の息子さんも一緒にみんなで「知床旅情」の大合唱。そして最後の最後に「ハッピーバースディ」をみんなで歌っておときさんの誕生日を祝う。5時から始まって3時間余り。彼女のバイタリティにはほとほと感服した。

それとおときさんの話の中で胸に響くものがあった。それは、「ハッピーバースディ」というのは自分が言ってもらうのではなくてお母さんやお父さんに対して言ってあげるべき言葉なんじゃないかってこと。親がいなかったら自分は生まれていなかった。こうして立派に1年間を生きられて、一番喜んでいるのはきっとお母さんとお父さんだろうしね。そしてまた多くの人の支えがなかったらこの1年を無事には生きてこられなかった。

これって確かにそうだと思った。年を取って誕生日が来るのも何だかなあなんて思ったりしてたけど、その日は自分が喜ぶだけではなく自分を生かしてくれた周りに感謝する日だと考えれば合点が行く。だから誕生日には今までとは違って、お父さんやお母さん、家族や友人たち、周囲の人に向かって自分から「ハッピー・マイ・バースディ。そしてありがとう。」って言ってもいいんじゃないかな……って、思ったよ。

 

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皇居ランと「BAMBI」

昨日、久しぶりに皇居を走ってきた。最初は23日と思ったが、よく考えてみたら天皇誕生日一般参賀があった。ふだん街を走る時は信号待ちで止まることが多いのだが、皇居にはそれがないから基本的には休まずに走り続けなければならない。そういう点で少しハードな練習にもなるのだ。多少冷たい風が吹いているが太陽も出ていてそれほどに寒くもなく走るにはちょうど良いコンディション。いつものように走る前は自信もなく走り出せば何とかなるだろうぐらいの感覚だ。

この日も最初の1周はキロ5分30秒ぐらいで行こうなんて思っていたのに、前を走るランナーに刺激されてついついスピードが上がる。2キロ過ぎて竹橋から乾門までの上り坂を一気に上りきるとそこからは4分台に突入だ。最初の1周(5キロ)は、26分06秒。さらに勢いが増してスピードが上がる。2周目は24分47秒。予定より飛ばし過ぎは分かっているけどもう止まらない。3周目を24分55秒で回って、最後の1周に入る。もともと最後の1周だけは全力でと考えていたのだけど、すでに全力気味で少々お疲れモード。でも最後はタイムを上げないと気持ちよく終われない。半蔵門からの下り坂になってラストスパート。この1周を24分33秒で無事に本日のラン終了。

実は今日の目的は、久しぶりに茗荷谷の「バンビ」というレストランに行くことだった。大学の時とお店の様子はだいぶ変わったけど、店構えには昔の面影が残っている。ちょっとした憧れのレストランで、ごいさんのような下流学生がめったに行くところではなかった。ふだんの食事は、学食か駅前の「梅もと」か「天米」、それにメニューの豊富な拓殖大学の学食だった。拓大では50円のハムカツ丼に10円の味噌汁を付けるのが定番。「梅もと」の天ぷら蕎麦は80円。「天米」の焼きそばは100円だ。この焼きそばの量が半端じゃない。高校生らしいのが大盛りを頼んだら食いきれなくて残していた。ごはんの大盛りはどんぶりを2つ重ね合わせる。だから具が乗らないということで天丼の大盛りはできない。学食のカレーは具がない代わりに福神漬けは盛り放題。ごいさんもみんなもいつも真っ赤になったカレーを食べていた。

そんな中にあってバンビはお洒落なお店だった。パスタやピザが中心で飲み物はワイン。何回も行ってないけどいつも女の子で一杯だった。跡見短大かお茶大の子かしら。残念ながらおつき合いのチャンスはなかった。他のお店はもうなくなっていて、バンビだけが健在。だからこの近くに来るとたいがい寄ってしまう。お店を見ると気持ちはもう学生時代。人生これからという若者に戻った気分で少しばかり元気が出てくる。こんな気持ちになることも若さを保つ秘訣かしら……なんてね。ごいさんの大学は卒業と同時になくなりこの界隈もだいぶ変わってしまって、その頃を思い出せるのはこのバンビぐらいなのです。

皇居で「バンビチャレンジ」をして、茗荷谷で「バンビランチ」を頂くのっていかがでしょう。700円でご飯の大盛りも無料ですよ。

 

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ハッピー・マイ・バースデー

誕生日のことなどまったく書こうとは思わなかったのだが、子供がケーキを買ってきてくれたものだから、少しばかり書いてみようという気になった。

昨日遅くに会社から子供が帰ってきて、パソコンに向かっているごいさんの背中にいつものように「ただいま」と声をかける。これまたいつものように「お茶でも飲むか」とごいさんが言うと、「ああ」という返事が返ってくる。一緒にリビングに行くとおもむろにテーブルの上にスーパーのレジ袋を置く。何かと思って見たらチョコレートケーキ2つと丸いモンブランケーキだった。

「どうしたんだ」って聞いたら、「あれだろう」と言う。そうかあれね……って、今日はごいさんの誕生日なのだ。遅い時間でケーキ屋さんは閉まっていて、それでスーパーで買ってきたという。まったく飾りっ気のないケーキだけどなあ。「だいたい父さんが甘いものを食べている所を見たことがないから、ケーキを買っていっていいのかも迷った」と言う。確かに、去年の健診でHbA1cの値で注意信号になってから甘いものを避けるようになっていた。

でも今日はそんなことは関係ない。早速にお茶を入れてみんなでいただくことにした。母親の分と自分の分もちゃんと買ってくるところはいいね。最近は甘いものをあまり食べていないから、かなりの甘さに感じる。それでも半分ほどを一気に平らげた。もしかしたら子供は父親がこんなにガツガツ食うのを見てびっくりしただろうか。そうやって食べ終わると何事も無かったように子供は子供の世界に、自分は部屋に戻ってまたパソコンに向かう。なんて淋しいって。いやいやそれでもう十分満足なのです。

その日は朝から妹や元の同僚それに教え子からメールをもらった。誰かが自分の誕生日を覚えてくれている。とても嬉しいことだ。いくら年をとってもその気持ちは変わらないと思う。昔、ごいさんが働き出して間もない頃、ベテランの先生が授業で教えている生徒の誕生日に「誕生日おめでとう」と言って鉛筆を1本ずつ渡していたのを思い出す。鉛筆1本より、その声かけの一言がどれほどにその子たちの心をとらえたか。どんな子だって自分のことを意識してもらえるのは嬉しいことだ。時に反抗的になったり、自分の殻に閉じこもったりするのも、そういった気持ちの表れなのだと思う。ごいさんがそんなことを考えるようになったきっかけだった。

ということでごいさんもめでたく64歳になった。昨年までは体重が62kgほどあり顔もふっくらしていて年よりだいぶ若く見られていたのだけど、この一年で7kgも痩せて、今のごいさんは頬もこけて人並みのお年寄りになったようだ。口うるさいS田さんは、急に痩せてジジくさくなったと言う。若い頃からいつも年より若く見られて、40、50になってもそれなりの風格というものが感じられず、そんな自分が好きでないこともあった。ようやく年相応に見られるようになったかと安心する一方で、若く見られるのも悪くなかったかなんて思ったりもしている。なんだか可笑しい。

ともあれ、自分にとっての新しい一年が始まった。しっかり生きなきゃね。

 

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奈良マラソン ~ 観光編(後) ~

さて、奈良での最終日。この日は明日香村に行こうと決めていた。高松塚古墳が発掘され極彩色の壁画が見つかったというニュースを聞いた時、この目で見てみたい、そんなふうに思ったのを覚えている。それから40年以上もの間、実現できないでいた。

新大阪駅に荷物を預け、橿原神宮駅へと向かう。ここから散策に便利な周遊バスが出ているとのこと。もっとも丈夫な人にはレンタサイクルがお薦めということだった。天気も暖かだしマラソン疲れもないようなので、結局はレンタサイクルを借りることにした。お店の人にモデルコースを教えてもらって、いざ出発。

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初めに向かったのは橿原神宮神武天皇がおよそ2,600年前に畝傍山の麓に橿原宮を創建したのが始まりで、その跡地に1890(明治23)年に作られたのだという。「日本書紀」に日本建国の地と記されていて、それで上の写真のような「ようこそ、日本のはじまりへ。」……ということなのね。

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続いて訪れたのは本薬師寺跡。あの奈良の薬師寺の前身にあたるお寺だそうだ。当時は、金堂や東西に二つの塔があったそうで、今はその礎石が残されている。

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次は少し離れて藤原京跡。もっと賑わっているかと思ったらただ広い空間があるだけで観光地らしい趣きはまったくない。大和三山がすぐ近くに見えたのが印象的だった。

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そしてあの天照大神の神話で有名な天岩戸神社。「えっ、こんなちっぽけ」なんて思ったら、宮崎県の高千穂町にあるのが本殿ということだった。

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次が「水落遺跡」。中大兄皇子が作ったとされる「漏刻」の跡だ。漏刻とは水時計のことで、この時代に時計を作るのってけっこう大変だったようだ。

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さてお目当ての飛鳥の大仏さん。飛鳥寺は596年に蘇我馬子が創建した日本最古のお寺だそうで、その講堂の中に大仏さんが祀られている。606年に造られたというから東大寺の大仏さんよりも150歳年上になる。何回も修理されたらしくあちこちにつぎはぎが見られて少々痛々しい感じがした。またお寺の裏には蘇我入鹿首塚がある。

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蘇我馬子の墓ではないかといわれている「石舞台古墳」に到着。石室にも入ることができる。この大きな石の造りに、往年の馬子の勢いが感じられるようだ。

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次は聖徳太子誕生の地だという橘寺。遠くから眺める景色はいかにも飛鳥の光景を代表している。庭には飛鳥時代に作られたという二面石なるものがあった。右善面、左悪面と呼ばれ、我々の心の持ち方を表しているとのことだ。

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続いて亀石と呼ばれる大きな石。前は顔のように見え全体が亀に似ている。なんともユーモラスで愛くるしい。亀を供養するために作られたという謂れもあるようだ。

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そして高松塚古墳。そのものは案外あっさりとしたものだったが、壁画館で見た2種類の壁画の模写は丁寧な説明もあって十分に楽しめた。これがあの時の壁画なのかとちょっとばかり感動。

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さて時計を見るともう3時過ぎ。駆け足の4時間だったね。次はもう少しのんびり回ることにしよう。では橿原神宮の絵馬に思いを込めて「来年も良い年でありますように。」

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奈良マラソン ~ 観光編(前) ~

土曜日のEXPO会場と大きなせんとくん

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受付を済ませて少しばかり会場を見てから、東大寺の大仏さんに会いに行く。まずはたくさんの鹿さんのお出迎えを受ける。立ち止まるとすぐに寄ってくる。「ごめん、鹿せんべい、まだ買ってない。」それでも頭を撫でさせてもらって中学生に戻ったような気分。2匹の鹿が角を合わせて、じゃれ合っている感じ。喧嘩じゃないよね。

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東大寺の中に入ると、中学生の団体と一緒になった。案内している若いお兄さんの話がなかなか面白いので、いかにも引率の先生のふりをして一緒に回らせてもらうことにした。この八角灯籠も国宝だそうな。

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いよいよ大仏さんとの49年ぶりの再会。と言っても最初の時の記憶がないから、初めてのようなものだけど。少し斜めからの方がかっこよく見えるかしら。向かって左側に虚空蔵菩薩、右側に如意輪観音が座っていて、後ろには四天王の広目天多聞天が鬼を踏みつけて立っている。残りの四天王の持国天増長天は首だけが置かれていた。

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やたら長蛇の列ができていて何だろうと思ったらあの有名な通り抜けのスポットだった。この柱をくぐると無病息災のご利益があるとのこと。この穴はちょうど大仏さんの鼻の孔と同じ大きさだという。

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南大門の両脇には2体の金剛力士像が向かい合って立っている。口を開けている「阿行(あぎょう)像」と口を閉じている「吽行(うんぎょう)像」だ。こんなふうに向かい合っているのは珍しいのだとか。真ん中に立つと両側から叱られているような。ちょっと怖い。

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続いてカメキチさんご推薦の東大寺ミュージアムへ。せっかくなので音声ガイドもお借りした。やはりここでは日光菩薩月光菩薩かな。この夏にも会津勝常寺で見てきたけど、なんか惹かれるものがある。それが何かってはっきり分からないのがごいさんらしいのだけど、太陽のような強さの日光菩薩と、月の光のような優しさの月光菩薩と言ったところかなあ。まあ思うところは人それぞれでいいよね。

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この日はここで時間切れ。猿沢の池から興福寺五重塔を見ながら駅に向かう。こんな景色がいかにも奈良らしい。

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翌日は走り終えた後、昨日見逃してしまった興福寺の国宝館へと向かう。やはりここでのお目当ては阿修羅像ですね。目の前に立ったらしばらく体を動かせない感じだった。確かにカメキチさんが強く薦めるのも分かるような気がした。阿修羅像そのものは少年のような可愛らしい顔立ちなんだけど、もとは戦闘神と言われるくらいに激しい気性を持ち合わせていたとのこと。左右の顔を見ると口をしっかりと結んだあたりにそれらしいのが現れているようにも思える。これだけ惹きつけられるのには、何かしら自分にも通じるものがあるのかしらなんて思ってしまう。

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さて春日大社や法華堂にも足を運びたかったけど、大会の後の疲労感が予想以上だったので、今回は見送ることに。また暖かくなったら来ることにしよう。