尊徳マラソン 2017

昨日は小田原の栢山(かやま)で行われた尊徳マラソンに参加してきた。この栢山は二宮尊徳生誕の地なのである。ハーフの他に3キロの部とクォーターの部がある。参加人数はハーフの部で2,000人程度とこぢんまりとしたアットホーム的な大会である。ところが、これがなかなかのレベルなのだ。坂道のない平坦なコースでタイムも出しやすいからだろうか、自信を持ったランナーが多数参加しているように見える。

さてこの大会に参加するようになった経緯は3年前の記事にも書いたが、若い頃に同僚だったM山さんに会うためだった。その頃の彼は母を亡くし父の介護にも忙しかった。そんな話を聞いたら、なんとしてでも会わなければいけないと思ったのだ。大した役にも立たないのは承知だが、何かできないかという思いだった。M山さんはフルで3時間14分のタイムを残し、野辺山の100キロマラソンを8回も完走しているという猛者である。それが両親の介護もあってこの何年かは全く走れていないという。

今回も父親の緊急入院やらこれからのことやらといろいろあってかなり疲れているようだった。何の連絡もしていなかったのに彼もこうして申し込んでいたところを見るとごいさんと走るということが頭にあったのだろう。自分に会うことで少しは気がまぎれると考えてくれたのだと思うと何とも嬉しいことだった。

8時に待ち合せてさっさと着替えて整列する。今日は最初の1周目を二人で一緒に走り、2周目はそれぞれのペースでということにした。走る前に「この前20キロを走ったが途中で歩いたよ。」と話していたのだが、スタートの合図とともに予期せぬスピードで飛び出した。今の彼には飛ばし過ぎだろうと思ったが、だまって彼についていくことにした。1周目も残り2キロぐらいになってキロ4分台とさらにスピードアップ。遅いとごいさんに悪いという思いで飛ばしているのが手に取るように分かる。1周目が終わる時にはかなりの汗をかき息も上がってきていた。1周目は55分13秒。

2周目に入ったところで先に行かせてもらうことにした。残りは10キロ足らずで、スピード練習にはちょうどいい。前を見て追いつきそうだと判断したらスピードを上げて一気に追い抜く。そんなことを何度も繰り返してさすがにバテてくるのだが、抜いた相手に抜き返されるのも嫌だからますます必死になる。どうにかその後も抜き返されることなく無事にフィニッシュ。タイムは1時間42分21秒。後半の1周は47分08秒だった。

着替えを終えて、家から持ってきた缶ビールを飲みながらしばらく会話する。この時間こそが今日の本来の目的だった。本当ならどこかで反省会といきたいのだけどこの日のごいさんはもうお一方と会う予定があった。これも前の記事に書いたけど昔お世話になった事務長さんだ。今年で82歳になる。

ということで、M山さんの頑張っている話を聞いて自分もと勇気づけられる。お父さんの件や自身の異動のことでまだまだ忙しそう。1時間余り話をして、「落ち着いたらゆっくり会いましょう。」と約束して別れたのだった。

 

二宮尊徳生誕の家f:id:goisan:20170312150932j:plain

 

東日本大震災の日に寄せて

6年前の今日14時46分に東日本大震災が発生した。その時は4階の職員室にいたのだが、窓のすぐ外にある電信柱が今にも倒れそうなぐらいに左右に大きく揺れた。一度収まったもののまたしても大きな揺れ。初めて机の下に身を隠すほどの恐怖を感じた。3月の午後なので学校にいる生徒は少なかったが、その後電車が止まりその多くは帰宅困難者となった。当時は防災の担当をしていたから、倉庫から乾パンや水、それと毛布などを大慌てで用意したのを思い出す。幸い、その日のうちに保護者の方が迎えに来てくれて生徒は全員帰路に就くことができた。

自分もやっとのことで自宅にたどり着いたのだが、そこでテレビに映し出される津波の映像に驚愕した。それまで地震が起こるたびに何度も耳にしていたのに特に関心も持たなかった津波という言葉。それが今、家を流し車や船を運びそしてたくさんの人をのみ込んでいる。とてもまともに見ていられる状況ではなかった。あまりの恐ろしさに顔から血の気が失せていくのを感じていた。

津波のニュースがひとしきり終わると今度は福島第一原子力発電所の事故のニュースが伝えられ始めた。一瞬チェルノブイリの悲惨な原発事故のことが頭をよぎったのだが、ニュースではそれほど慌てている様子もない。それぐらいなら日本の技術力をもってすればすぐに解決できるだろうなどとその時は実に安直に考えていた。それがニュースが伝えられるたびに、次から次へと新事実が出てくるという有り様。現実がきちんと伝えられていないなど不信感は募る一方で、もしかしたらこの関東一帯も放射能で覆われるのではないかと思ったほどだった。

あの津波で家や思い出の品々を失いその上かけがえのない家族までをも亡くしてしまった人たちのこれからを考えた時、何を祈ればいいのかも分からないほどだった。また福島では、あの事故のために10万人以上の人々が全てを残して強制的に避難させられた。これもまたそれまでの人生が消えてしまったかのような思いだったのではないか。そうしてすぐに戻れるという期待も見事に裏切られた。

まもなく浪江町の一部や飯舘村にも避難解除の指示が出されるという。これでだいぶ多くの町で避難解除となるのだが、どうやらそんなに簡単に戻れるものでもなさそうだ。除染がまだ完全に終わっていないという不安感がある。それから病院などの生活基盤もまだまだ不十分だ。いろんな思惑が錯綜する中での結論らしいと聞いたのだが、どうにも国のやり方には納得がいかない。

1年1年と記憶は少しずつ薄れていくのだろうけれど、こうしてその日のことを思い出し忘れないでいることが、その時に犠牲になった人たちへの供養や今も苦しんでいる人たちへの励ましになるのではないかとは思う。

そこでごいさん、ふとこんなことを考えてみた。今日は東北の物品を何かしら一つ買う日にしたらどうだろうって。一人1,000円として1万人で1,000万円。今日だけじゃなく震災のことを思い出した時に東北のものを一つ買うっていうのもいいかな。これぐらいならごいさんにもできそうだし。

 

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三浦国際市民マラソン大会

一昨日の日曜日に三浦国際市民マラソン大会に参加してきた。今年から10キロがなくなりハーフのみとなったのだが、それでも申込者数が1万人を超えたという。出走したのは、S田さん、A美さん、Y村さん、若手のY田さん、元同僚S井さんのご主人、そして自分の6人。それに、応援でI坂さん、K島さん、S井さんと総勢9人での参加となった。

この三浦マラソンと先の神奈川マラソンにはもう15年以上参加している。K島さんから走りませんかという誘いを気軽に受けて走ったのが始まりだった。もちろんお目当ては走り終わった後の飲み会だ。10キロの部だったから特に練習しないでもそこそこには走れた。本格的に走ろうなんていう気持ちはさらさらない。以来、毎年この2つの大会には飲むためにだけ参加してきた。

今年の三浦はよく晴れて風もなくとても暖かだった。もう気持ちは終わった後の海辺での反省会に飛んでいる。そんな感じでぼやぼやしていたら並ぶタイミングを逸して前の方に行けなくなってしまった。予想通りの大混雑だ。9時スタートで、ゲストで来ていたQちゃんがみんなを笑顔で送り出してくれている。そう言えば初めてQちゃんに会ったのはこの三浦だった。そうしてQちゃんの大ファンになった。

スタートしてしばらく海岸沿いに進む。2.5キロのところを山側に入ったところから三浦霊園に向かっての最初の上り坂が始まる。一気に体力を消耗して、坂の途中でまさかの息切れ状態。前の何人かのランナーが歩き始めるのを見て弱気になるが、さすがにここで歩くのは許されないと思った。上りきると大根畑を見ながらの平坦な道が続く。やがて城ケ島大橋が見えてくる。この橋を渡って城ケ島を少し入ったところでUターンして再びこの橋を渡り終えたところが中間地点になる。この後に大きなアップダウンが2回ほど待っている。

最後の上りを終えたところが16キロ地点。ここから急坂を一気に下って海岸沿いを走る。右に海が見え、潮の香りも漂ってくる。残り3キロを切った辺りでQちゃん発見。周りにランナーがいなくて貸し切り状態でハイタッチ。最高の元気をもらっちゃいました。2キロを切り、ラストスパートに入る。最後で一気に5人ぐらいを抜いてフィニッシュゲートをくぐる。タイムは1時間40分2秒。順位は745位(10,111人)。昨年は1時間39分台を出せていたからちょっとだけ悔しい。気温が高かったのが影響したかしら。

買い出しから帰ってきたらもうみんな揃っていた。さて待ちに待った反省会の始まりだ。青い海に青い空。そして白い砂浜。走り終えた満足感と共に最高の気分だ。誰にも邪魔されないこの広い空間。みんな、心が解放されたよう。大いに飲み大いに盛り上がった楽しい時間だった。

ということで当然のことながら翌日は少しふらふらしながらの出勤と相成った。そしていつものように自己嫌悪に陥る。つい調子に乗ってしまう自分の悪い癖。華やげば華やいだ分だけ終わった後の何とも言えない虚しい気分。いつも同じで、性懲りもない人間だと情けなくなってくる。それなのにもう来年の三浦マラソンを楽しみにいている。

 

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東京マラソンボランティア

この前の日曜日に東京マラソンのボランティアに参加してきた。4年連続の4回目。3年前のこの大会が自分自身の初めてのボランティア体験だった。大会で走るたびに、ランナーを励ましながら楽しそうに働いているボランティアの皆さんを見て、自分もやってみたいと思うようになった。そう思うといつも善は急げのごいさんなのだが、その時に出会ったのがこの東京マラソンだったのだ。見つけた瞬間には何のためらいもなく応募していた。

それでも大会が近づいて来ると自分にできるかという不安が強くなって一時はやめようかとも考えたのだが、結局は最初に思った通りにボランティアをやったらどんな気持ちになれるのかという関心欲の方が押し切った形となった。初めての仕事はゴールしたランナーにソイジョイを配ってはハイタッチを繰り返すというものだったが、あの時の感動は今も忘れていない。どのランナーもみんな素敵な笑顔だった。

そして何よりも驚いたのは、「皆さんのおかげで楽しく走れました。ありがとうございます。」と大きな声で感謝の言葉を言っては頭を下げていくランナーたちがたくさんいたことだった。それまでの自分はボランティアの人たちに軽く会釈はしても感謝という表現をしたことなど一度もなかった。これこそ市民ランナーのあるべき姿だと思った。それとボランティアとして一日中笑顔を絶やさないということがいかに難しいかということも知った。ボランティアの仕事が好きだというだけで簡単にできるものではないということも十分に思い知ったのだった。

次の大会からはごいさんも積極的にボランティアの皆さんや沿道の応援には声を出して応えるようにした。皆さんのお蔭で走れているのだから、そのためにも頑張ろうと思えるようになった。それからのごいさんは時々ボランティアをやっては自分の気持ちを振り返ることにしている。見た目はかっこ悪くても、心のフォームだけはかっこ良く走りたいと考えたのだ。

ということで今回も楽しみに参加させていただいた。今回の仕事は荷物の返却。気になったのはフィニッシュ地点からここまでかなりの距離があること。特にごいさんのいる場所は最後の方だから1キロ以上にもなる。更衣所までとなるとさらに数百m先になる。みんな重い荷物を抱えて歩いてくるのだが、ほとんどのランナーの顔から笑顔が消えかけている。身体の方もだいぶ冷えてしまっているようだ。大きな声で「お疲れさま」と声をかけるとなんとか笑顔を返してくれるがだいぶ辛そうだ。この動線は誰が考えたのか。今年は暖かくて良かったけど、寒かったり雨が降ったりしたらたまったものじゃなかったろう。

そういった感じだったので、いつものようなゴールした後のランナーの皆さんの満足感溢れる笑顔はほとんど見られず、少しばかり不完全燃焼に終わった今回のボランティア活動だった。来年はこの動線が少しでも改善されることを期待したい。9時から16時半までの長い一日だったけど、やっぱりやって良かったと思う。でも来年は走りたい……ですね。

 

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京都マラソン +α

着替えを終えてランナー出口で待ってくれていたカメキチさんご夫妻と改めて再会を喜ぶ。ブナさんが気遣ってくれて、ビールに餃子、唐揚げや大学芋とたくさん買ってきてくれた。こちらがお礼をしなければいけないのに、すみません。それに走り終えたばかりのごいさんはテンションが高くなっていてほとんど一人で喋っていた感じ。後になって、せっかくの機会だったのにもう少しお二人の話を聞けばよかったと後悔しきり。カメキチさんご夫妻とは3時を少し過ぎたあたりでお別れした。ごいさんの疲れを気にしてくれたのだと思う。今日は本当にありがとうございました。たれ目のぶたさんも大事にします。

お二人と別れて、鴨川に向かって歩き出す。鴨川を眺めながらもう少し飲もうと考えたのだ。途中でビールを買って、三条大橋から降りてすぐの川べりにどっかと腰を下ろす。バッグから缶ビールを取り出そうとしたのだが、掴み損ねた缶ビールが川に向かって転げだした。慌てて手を伸ばしたが間に合わない。川の中を浮き沈みしながら少しずつ下流に流れていく。口を開け茫然として見送っていると、左手の方に強い視線を感じて目を向けてみたら若い女性のお二人連れと目が合った。どうやら一部始終を見ていたようで、いかにもお気の毒にという顔をしている。そこでごいさん、すかさずカバンの中からもう1本のビールを取り出す。そして笑顔と一緒に彼女らに見せたら、安心したという感じでニコッと笑顔を返してくれた。2本買っておいて良かったと思った。

帰りの新幹線の中、前から少し気になっていた「思い出にも賞味期限というものがあるのだろうか」なんてことを考えてみた。今回も懐かしい場所を歩いてみたのだけど、若い頃のことを思い出しても以前のようにときめかないのだ。同じようなことが自分の小さい頃に育った町にも当てはまる。そこを訪ねればその頃のことがたくさん思い出されるのに、今の自分にはどうにもピンとこない。上手く言えないのだけど、立体だったのが平面的に、動画が写真になったような少し薄っぺらになった感じ。どちらも懐かしいのだけど、ずっと昔にそんな出来事があったぐらいにしか思えない。

そんなことを考えたら、思い出にも賞味期限があるんじゃないかと思うようになった。昔の思い出は大切だとは思うけど、何かの役に立つというのも聞かないし、今も感動するなんていうこともそうはなさそうだ。感動だって年が経てば色褪せてくる。上手い例えではないけど、人間の皮膚が毎日新しく作られているように、思い出もどんどん新しく作って行くのが大事なんじゃないかと思えてきたのだ。

例えば次に京都に行ったら、昔の思い出より先にカメキチさんご夫妻に応援してもらったことやマルさんにお会いしたことを思い出すのだろう。昔の思い出に引きこもらずいつも新しい思い出を作り出そうとしていけば生きる張り合いも出てくる。それに案外若さを保つ秘訣かもしれない……とも思う。

こんなたわいもないことを考えるのって楽しくて、それにいい時間つぶしになる。この日も、あっという間に新横浜駅に到着。新幹線、やっぱり速い。

 

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京都マラソン2017 ~ 後編 ~

ちょうど9時に号砲が鳴っていよいよ京都マラソンの始まりだ。Sブロックに続いてAブロックが動き出す。スタートロスが49秒とこんなに少ないのも初めて。多少の混雑はあるが、流れが速いのでまったく気にならない。

桂川沿いに出ると左前方に渡月橋が見えてくる。そこを右折していよいよ上り坂が始まる。そこから17キロ地点まで続く上りをどう走るかがこのレースのポイントになる。それに体調も今一つということで、とりあえず前半はキロ5分で走り、後半に多少の余力を残して何とかサブ3.5をキープしたいと考えた。それに21キロ地点ではカメキチさんご夫妻が応援してくれているので、そこではどうしても余裕のある走りを見せたかった。

入りの1キロは5分19秒だったがその後スピードを上げ最初の10キロを49分20秒でクリア。続く上り坂が基調の10キロも48分21秒と予定より若干速いペースで乗り切った。ただ時々咳が出るのがちょっと辛い。北山通に入っていよいよお二人の待つ京都植物園が近づいてきた。呼吸を整えて少しだけ笑顔の予行練習。それにしても沿道は凄い人の数だ。目印はブナさんが被っているという赤い帽子……。

少しスピードを落としてきょろきょろしながら走る。そうしてついに赤い帽子を発見した。お隣りにいるのは確かにカメキチさんだ。この嬉しさは、まさにハラショーという感じだね。三人みんなで最高の笑顔でハイタッチ。そこから2キロばかり行ってUターンして戻って来ると、今度は反対側に移動して待っていてくれた。さっきは気づかなかったが、大勢の人たちの中でひときわ目立つ可愛いピンクのぶたさん団扇。なんとブナさんの手作りだそう。本当に感激しました。

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植物園の中を抜けて、今度は鴨川の河川敷を丸太町通まで南下していく。途中で30キロ地点を通過するが、この10キロは49分46秒とペースが少し落ち始める。丸太町通に出ると御所を横に見ながら烏丸通まで往復する。それから京都市役所で折り返しとなるのだが、そこが35キロ地点になる。

ここから始まる5キロほどの緩い上り坂に予想外の大苦戦。どうやら前半の疲れがどっと出始めたようだ。実際、歩き出す人も少しずつ増えている。止まりたいという思いを断ち切るように腕を振るが、キロ5分30秒を死守するのがやっと。ようやく下りになって40キロ地点を通過するのだが、この10キロは52分51秒もかかってしまった。

ようやくゴールまであと300mとなった最後の角を曲がると、正面にあのピンクのぶたさんを持ったお二人を発見。なんとか笑顔を作ってよろよろと近づいていく。最後の元気をもらって、ラストスパートに入る。もがくように走っている姿は格好悪いけどもうしょうがない。そしていつものように万歳スタイルでフィニッシュ。タイムは3時間32分25秒。順位は1305位。年代別で20位。う~ん、なんとか合格の範囲……だね。

最後になりましたが、応援していただいたたくさんの皆さま、ボランティアの皆さま、大会役員の皆さま、本当にありがとうございました。京都マラソン、素敵な大会でした。

 

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京都マラソン2017 ~ 前編 ~

新横浜から新幹線に乗って京都駅には12時少し前に到着した。お昼はいつものように車内で済ませてある。もちろん崎陽軒の「シウマイ弁当」だ。大きな荷物をコインロッカーに入れて早速に「みやこめっせ」を目指す。地下鉄東西線東山駅で下車して、写真を撮りながらのんびり歩いて10分。平安神宮の大きな鳥居をくぐると「みやこめっせ」が見えてきた。

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混雑も無くすんなりと受付を済ませてそそくさと会場を後にする。今回は明日の大会が終われば横浜に戻らなければならないので、今日のうちに京都の街を歩いておきたかったのだ。お目当ては京都御所。ありきたりだけどね。玉砂利が敷き詰められているこの広い空間、ごいさんの一番のお気に入りだ。この玉砂利を踏みしめながら歩く時のザクッザクッとする音が何とも心地よい。おまけに御所の中が無料で公開されているというハプニング?に遭遇。実際は昨年から通年で公開されるようになったらしいのだが、「こいつぁは春から縁起がいいわい」なんてことで、初めて御所の中に入ることができた。

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(建礼門)f:id:goisan:20170218151556j:plain

(紫宸殿)f:id:goisan:20170218151809j:plain

(清涼殿)f:id:goisan:20170218152404j:plain

(御池庭)f:id:goisan:20170218152545j:plain

一通り見たらもう4時近く。ここからは電車で三条まで戻ることにする。そこから鴨川をのんびり歩こうという算段だ。若い時、自分にしてみれば数えきれないくらい歩いたところだ。そんな昔を懐かしく思い出しながら四条大橋まで歩いたところで雨が落ちてきた。予想もしていなかったから傘も無く歩くのはここで断念。宿に向かうこととした。

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四条大橋のところにある東華菜館。ここのビアガーデン、よく行きました。f:id:goisan:20170218161609j:plain

翌朝、南草津駅5時47分発の電車で京都駅に向かう。京都駅には20分ほどで到着。そこから直行バスに乗り込むと、早くも7時前には西京極総合運動公園に到着した。まだ寒すぎて着替える気にはならないので一時体育館に避難。実は先週の風邪が尾を引いていてまだ咳が止まらないのだ。夜に咳き込むこともあってちょっとした睡眠不足にもなっている。週半ばに20キロぐらいを走ってみて大丈夫だろうという感触はつかんだのだが、練習不足とこの咳の影響がどうかという自分にしては珍しいくらいに不安を抱えて臨む大会となった。

さて待ちに待ったマルさんとの約束の時間の8時20分が近づいてきた。指定してくれた場所に向かうのだがとにかく人混みでごった返している。それでも指定の場所は分かりやすくて、すぐにマルさんを見つけることができた。思わず懐かしさと嬉しさが込み上げてくる。マルさんの格好といいその雰囲気といい奈良の時よりも俄然やる気がみなぎっているように感じられた。後でブログを拝見して、それが裏目に出てしまったような結果だと知った。期するものがあっただろうから、マルさん、かなり悔しかっただろうと思う。ぜひ次の機会にリベンジを果たしてくださいね。

マルさんはBブロックなのでその入り口で少しばかり話をしてお別れする。今回のごいさんはなんとAブロックだったのだ。もちろん初めて。周りの雰囲気が明らかに自分とはかみ合っていない。待っている時間のプレッシャーが半端じゃなくて、早くスタートしたい、ずっとそんな気分だった。

 

固い握手じゃなくて握足。上がマルさん。f:id:goisan:20170219081756j:plain