「神高教シニア運動」の会報より

先日「神高教シニア運動」の会報に、自分の記事が掲載されたので、記念ということでこのブログにも残しておくことにした。「神高教シニア運動」というのは、神奈川県高等学校教職員組合を退職した人たちで構成されていて、現役組合員の活動の補助を主な仕事としている。具体的にはメーデーへの参加や国会議事堂等への動員などがある。呑み仲間のM橋さんがその委員長をやっている関係で半ば強制的に書かされた……のだけど。

ということで今回の分量は長めです。適当に読み飛ばしてください。

 

「マラソンへのお誘い」

マラソンって苦しいだけ?
 1年目、2年目は29時間の再任用。3年目、4年目は週6時間の非常勤講師を経て、5年目の今年から完全にリタイアの生活に入った。もちろんやりたいことがあってのことだ。その一つに、各地で行われているマラソン大会に出かけていくことがある。「マラソンって苦しいだけじゃない、何が面白いの。」と、よく言われる。確かに42.195キロの距離を4時間も5時間もかけて走るというのは、尋常ではない気がする。でも最近のマラソン大会の申し込みでは、人気のある大会ともなると受付開始から30分で申し込みが締め切られてしまうのもある。今や空前のマラソンブームなのである。実際に、男女を問わず60歳以上の方がたくさんマラソンを楽しんでいるのは事実なのだ。

同僚に誘われて58歳で始める
 自分がマラソンを本格的に始めたのは58歳の時で、同僚へのつき合いからだった。若い頃から運動をやっていたこともあって、走るのにはそれなりに自信を持っていた。ところが初めて出場したハーフマラソンでは両足が痙攣して最後までまともに走れない。何とも惨めな思いを体験した。マラソンの後はビールが旨いとよく言われるがそのビールも喉を通らないといった具合だった。何としてもリベンジを果たそうと、少しばかり練習に力を入れて臨んだ2度目のハーフマラソンで、どうにか1時間40分台を記録。こうしてある程度の記録を出せると、次はもう少しいいタイムを出せるのではないかと考えて、不思議とまた走りたくなってしまう。そうして何回かのハーフを走っているうちに、次第にフルマラソンを走ってみたいという気持ちに変化してくる。そこで最初に選んだのが湘南国際マラソンだった。それまでのハーフの実績から4時間ぐらいで楽に走れるだろうと思っていたのだが、これがまた残り10キロぐらいから足が動かなくなって再び挫折を味わうこととなった。後から知ったのだが、フルマラソンで4時間を切るというのは多くのランナーにとっての憧れで、ランナー全体の3割ぐらいしかいないという。その頃はそんなことも知らずに4時間を切ろうともがいていた。結局4時間を切ったのはそれから1年後、4回目の挑戦でのことだった。タイムが上がればモチベーションも上がる。そうして練習してまたタイムが上がる。その繰り返しでその1年後の金沢マラソンでは初めて3時間40分台に突入。さらにその半年後のかすみがうらマラソンで3時間34分、そして昨年の大阪マラソンで3時間29分とついに夢のサブ3.5を達成した。

マラソンの魅力は記録更新だけではない
 こんな感じでどんどんマラソンの魅力に取りつかれていった。その要因の大きなものは上記のように自己記録の更新だが、それと同じくらいに沿道で応援してもらえる喜びというのがある。小さい子供からお爺ちゃんやお婆ちゃんまで、みんなが見ず知らずの自分に大きな声をかけてくれ、食べ物や飲み物までも差し出してくれる。まさに舞台の上で主人公を演じているかのような気分になれるのだ。どんなに速く走れても42.195キロを走り続けるのは相当に辛いものがある。そんな時の応援の声がどれほどの励みになるか。人の温かさをまざまざと感じることができる。そうやって走り終わってみると誰にでも優しくなれる、そんな自分になっているのに気付く。
 自分の人生、マラソンが全てだと思っているわけではない。現に今だって走るのは一日おきだ。やりたいことはいっぱいある。でもマラソンをしていて思うのは、生きていく上での基本となる心と身体の健康を同時に維持できるということだ。今の自分は、各地のマラソン大会にも出かけていく。大会の申し込みから宿の手配、交通手段の確保、そして走り終えてからの観光プランなどなど。頭の中もフル回転、簡単には老いられないね。
 さて、この記事を読まれた皆さんもいかがでしょうか。フルマラソンは大変だという方はハーフ、それに5キロや10キロのコースも。お孫さんと走れるのもあります。速く走るなんてどうでもいいのです。楽しむこと、走ったという満足感が大切なのです。いつかどこかの大会でお会いしましょう。

 

横浜ランドマークタワー・スカイガーデンからの眺望f:id:goisan:20170623190902j:plain

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多摩湖自転車道を走る

木曜日に多摩湖自転車道という道を走ってきた。recocaさんという方のブログに先日書かれてあったのをさらに調べてみると多摩湖までの10キロを一直線に結ぶサイクリングロードだということを知った。興味を持つとそれを確かめたいという気持ちになってしまう。それに加えてブロ友のrecocaさんにもお会いしたいという好奇心が多分にあった。

喜寿を迎えられた大先輩をブロ友と呼ぶのはいささか気が引けるが、ブログの中では上も下もない。老若男女、貧富の差もなくみんな平等の世界だからやっぱりブロ友さんでいいかしら。そのrecocaさんは東久留米駅で手作りのプラカードを掲げて待っていてくれた。その歓迎ぶりに緊張感が一気に吹き飛ぶ。お茶を飲みながらの1時間はあっというまだった。何を話して何を聞いたのかも定かでないくらいにたくさんの話をした。マラソンのことがなければずっと話していただろう。recocaさんもそれをずいぶんと気にしてくれていたようだ。

話を切り上げて今日のマラソンのスタート地点である花小金井駅に向かうのだが、途中で彼の先日の記事にあったガスミュージアムに立ち寄る。彼にとって大切な場所になっているようで、ごいさんに紹介したい気持ちも何となく分かったような気がした。そして花小金井駅の南口で降ろしていただく。お土産にと梅酒とお茶を用意してくれていた。彼の読者の皆さんには申し訳ないと思いながらもありがたく頂いてしまいました。

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さあここからはランナーとしてのごいさんだ。彼と話してほっこり優しくなった気持ちを少しばかり引き締める。荷物は駅のコインロッカーに預ける。多摩湖までは片道7.5キロで往復15キロとなる計算だ。だいぶ蒸し暑くはなっているが両側から木が覆いかぶさってところどころで日陰を作ってくれているのがありがたい。

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確かに気持ち良いくらいの真っ直ぐな道だった。慣れない道なので往きのペースはキロ平均5分30秒ぐらいで周りの様子を楽しみながら走る。7キロを過ぎてこのまま多摩湖かと思っていたら最後に約500メートルも続く上り坂が待っていた。ここを懸命に走った分、上りきった所に広がる多摩湖の景色は格別だった。遠くに西武ドームが見え、反対側には西武園遊園地の観覧車が見える。

いつものことだけど帰りはペースが上がる。コースが分かったというのもあるがこれで終わりだと思うとなぜか現金なのだ。ただ真っ昼間ということで日陰はあるもののかなり蒸し暑い。シャツも短パンも汗でびっしょり。少しでも早く終えたいという気持ちも手伝って帰りのペースは平均5分5秒。最後の1キロは自転車と競争しながらの4分50秒。まずまずのランとなった。

今日もまた思い出深い日となった。また一人遠方に友ができた。もちろん今日だけで彼がどういう人なのかが分かったわけではない。いやむしろそんなのは関係ないのだと思う。少なくとも今日あったrecocaさんはごいさんの思っていた通りの人、いや実際に話してみたらそれ以上の人だった。そしてまた彼の記事を読むのが今まで以上に楽しみになったことは間違いないのだから。

 

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サッカー部顧問としての思い

先週の土曜日に、昔のサッカー部の教え子たちから飲み会に呼ばれて顔を出してきた。先生になってからずっとサッカー部の顧問をやってきたのだが、この日の彼らは44歳か45歳になる子たちだった。この子たちと出会ったのはごいさんが34歳。その学校にはすでにI谷先生という5歳年下の専門の先生がいたから、ごいさんは割と気楽な立場だった。だいたいその時のごいさんは指導者としての自信をまったく失くしていた時だった。

それは2校目の学校での顧問の時だった。ごいさん27歳の時で生徒以上に体も動き、やる気に満ちていた。生徒たちの強くなりたいという気持ちと相まって、毎日の厳しい練習が続く。ごいさんも一緒に走り、生徒の練習試合にも参加した。翌年には県大会に出場を果たし、さらにその翌年の全国選手権予選では県のベスト16に入った。神奈川県には高校が200ほどあり、強豪校も数多くあってなかなか上位には行けないのだ。

そうしてその時の1年生の有能なメンバーたちが3年生になった時、満を持して上位進出を狙うのだが、ここに強豪校が立ちはだかる。まずは4月の関東大会の予選会でのA高校。全国大会に何度も出場している名門校だ。部員数はこちらの30人余りに対して100人を超える。初めは委縮していた選手たちだったが、最初のシュートがゴールバーに当たったのを機に自信を取り戻したかのように動きが良くなって、押されながらも時に逆襲を見せるなど見応えのある好ゲームとなった。そうして後半の15分を過ぎた時だった。どうみてもファウルとは思えないプレーでPKを取られて失点してしまう。結局この1点で試合が決まり、A高校はその後も勝って神奈川を征して関東大会に出場した。

続けて5月に行われた高校総体予選で、これまた強豪のN高校と対戦する。やはり部員の数の差は歴然だ。それでも生徒たちはA高校と戦ったという自信からか真っ向勝負を挑む。しかし開始早々にまたまたPKで先行を許してしまう。一進一退の戦いで後半も残り数分となった時にドリブル突破から起死回生のシュートが決って同点に追いつく。延長戦に入っても点が入らず、タイムアップまで残り1分のところでコーナーキックからの混戦で決勝点を許してしまう。結局このN高校が高校総体の神奈川代表となった。

これだけ頑張らせても勝てない虚しさ。生徒に申し訳ない気持ちだった。休みも無く練習してきた日々。生徒を育てる限界を感じて、もうサッカーの指導を辞めようと考えた。そんな気持ちを引きずっている時に今日のこの子たちに出会ったのだった。見た瞬間に強いチームになれると直感した。そう思った瞬間、再びその世界に足を踏み入れることになる。

こういう飲み会での定番はたいがい引退試合の話だ。そうして出てくるのは悔しい思い出ばかり。なぜあの時と、ただ悔いる。それも含めて青春だったのだ。それは決して恥ずかしいことではない。一生懸命だったからこそ悔しいのだ。

ふぅ~、お酒は美味しいけど、教え子の前では酔えないのが辛い。

 

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少し遅れて墓参り

父さんと自分とを比較してみた。

酒     父さん>ごいさん やっぱり勝てないだろう。
イケメン  父さん>ごいさん 背も高いし、鼻も高い。
もてもて度 父さん=ごいさん 互角でありたい。願望。
腕の力   父さん>ごいさん 父さんは大工さん。
足の力   父さん<ごいさん ごいさんはランナー、元サッカー選手。
優しさ   父さん>ごいさん 自分は優しい人間じゃない。
頭の良さ  父さん<ごいさん 両親のおかげだが。
話し上手  父さん<ごいさん 一応話すのが仕事なので。
子供好き  父さん>ごいさん 子供は苦手だ。

だめだ、あまり思いつかない。だいたい思いついたところでそんなに差がつくものじゃない。親子だから似ていて当たり前だもんね。でもこれって何気にいいアイデアじゃないか。こんなことで思い出すのでも少しは供養になるんじゃないかと思うのだけど。

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小さい頃は死んだらあの世という所に行ってそこには天国と地獄があってそしていつかまた生まれ変わるなんていう話を信じていたのだけど、最近では死んだらすべてが無になってしまうのがいいと思い始めている。その後にどんなに惜しまれたり憎まれたりしてももうその人には届かない。あの世から現世の様子を見ているなんてこともない。小さい頃に母親が言っていた言葉を思い出す。「死んだらただ何も分からなくなるだけなのよ。」母さんは今でもそう思っているかしら。

そんなふうに考えれば、父さんだって40年前に死んで無に帰ってしまったはず。だけど不思議とそうは思えない。今も自分の背後からこのパソコンを一緒に覗いているんじゃないか。「また何書いてんだよ。くだらないことは書くなよ。」なんて言っている声が聞こえてくるようだ。

死んだら無になってしまうと考えている一方で、いつも父が見守ってくれていることを心のどこかで期待している自分がいる。マラソンスタート1分前には無事に完走できるようにと父に祈ったりしている。自分は無になりたいが父にはあの世というところに存在していてほしい。なんとも勝手な考え方だけど、まあそれが自分の正直な気持ち。

ということで、少し過ぎてしまったけど昨日お墓参りに行ってきた。お墓を拭いてお線香を上げてそして大関のワンカップを供える。6月24日、40回目の命日。

 

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はてブロランナー、集まる

土曜日に「はてブロランナーの集い」というのが開かれた。「はてブロランナー」とは、「はてな」で日々のランの記録を中心にブログを書かれている方たちのことだと解釈している。ごいさんのブログは少しばかり趣を異にするのだが、自分のブログもマラソンの記事が多いからか、彼らの中にも読者の方が多数いらっしゃるというわけだ。

今回この集いを中心になって企画してくれたのがMacRunさんとバンビさんというお二人だ。正直言えば自分は集団で飲むのはそれほど好きではない。それに大半が初めて会う人ということになると気も遣うし落ち着かないだろう。そして当然のようにきっと最長老だ。自分としては大会で顔を合わせて軽く挨拶するくらいがちょうどいいと思っている。

とまあそんなことなのだが、今回のお誘いには迷うことなくOKの返事をした。それはMacRunさんとバンビさんとはもうずいぶんと長いおつき合いになっていて、お二人から是非にと誘われて断る理由が見つからないからだ。MacRunさんとのおつき合いは2014年の9月から。何気なく書いたコメントが彼の励みになったというから何とも嬉しいことだ。この前のかすみがうらで会った時はこんな自分にあまりにも感激してくれるのが申し訳ないくらいだった。

バンビさんのブログに初めてお邪魔したのは2015年の7月だったようだ。まだ彼女がブログを始めて間もない頃。記事からは一生懸命さが凄く伝わってきて、いつの間にか一ファンとして応援するようになっていた。どこかのレースで会うだろうと思ってきたけどとうとう会えずじまいだった。そうして今回ようやくその念願を果たすことができたのだ。顔には出さなかったけどけっこう感動したよ。

今回初めてお会いしたのが、バンビさん、gapparaさん、ぽろっぽさん、Lisaさん、てつさん、ねむねむさん、ぱんださん、さつかさん、ひでちさんの9人。そして再会組が、びあーさん、furuhon-yaさん、MacRunさん。みんなさすがにランナーだ。体つきがいいのはもちろんだが、何より陽気なのがいい。お互いに初めて顔を合わす人ばかりだったのに会った瞬間に笑いに包まれている。この明るさこそがレースの終盤の苦しい時に力になるんだね。

それにしても名古屋から、そして新潟からと遠路はるばると駆けつけてくる。考えてみればすごいことだ。ランをテーマにしたブログで知り合っただけなのに、とてつもない強い結束力を感じた。今回は都合がつかず来られなかった方もだいぶいると聞く。共通の目的があるというのは仲間意識をこんなにも強くするものかというのを改めて感じ入った。

予想通りにみんな若くてエネルギッシュだった。そんな若い人のパワーに煽られるようにごいさんもお酒を呑み過ぎたかもしれない。酔ってくどい話をしていなければいいなと、半ば自己嫌悪に陥りながらの帰り道だった。

先ほどMacRunさんとバンビさんの昔の記事に書いた自分のコメントを読んでいたら妙に感激してしまった。おかしな気分。ともあれ今回は本当にありがとうございました。いつかどこかのレースでご一緒できるのを楽しみにしていますね。

 

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父の日に思ったこと

先週の日曜日。その日はうちの奥さんは朝から出かけていて家に一人でいたのだが、お昼近くにインターホンのチャイムが鳴った。玄関を開けてみると今噂になっているクロネコのお兄ちゃんが立っていた。品物を受け取ってリビングで開けてみると、「お父さん いつもありがとう」と箱の上に書かれた文字が目に飛び込んできた。それで今日が父の日だということを思い出した。

この贈り物は長男夫婦からのものだった。箱を開けると、そこには6本の瓶ビールとつまみが入っていた。珍しいビールでいかにも高そうだ。よく冷えていてすぐにでも飲みたかったところなのだがもったいないという思いが先に立って、さっさと冷蔵庫にしまい込む。昨年はそれで飲むのをすっかり忘れていたということがあったのだが。

ということで、父の日は世間一般には子供が父親に感謝を表す日ということになっている。もちろん我が家も同じだ。でもごいさんはまたちょっと違った考えを持っている。それは、この日は自分が父親であるということを改めて自覚しなければいけない日ではないか。父親である自分が、今まで父親としてきちんとその役割を果たしているかを確認する日ではないかという考え方だ。

彼らが高校生ぐらいまでは何だかんだと一応は父親らしいことをしてきたと思うのだが、その後はだいぶ出番が減ってしまった。母親である奥さんの方はまだまだ活躍しているようで羨ましく思う時がある。長男が結婚してからはいっそう父親の体をなしていないような気がする。お爺ちゃんとして孫の役に立つなどできることはありそうなのだが。

自分は24歳の時に父を亡くしたので、その後の父の姿を見ていない。父の亡くなった49歳までは良くも悪くもこれが父親なのかということがイメージできたのだが、50歳を過ぎてからは未知の世界を歩いてきた。友だちの父親ぶりを見ていてもなかなか分らないものだ。子供が息子か娘ということでもだいぶ違う。自分なりに考えて行動しているつもりでもいつも何か足りないような気がしていた。

自分は父がいなくてもここまで生きてきた。だから正直言えば父親なんていなくてもなんとかなるとも思っている。それでも大事な局面ではこんな時に父が居てくれたらと思ったことがたびたびあった。だから今のごいさんの役割は、何かをしてあげるではなくただ静かに彼らの傍に居てあげるだけでいいのではないかとか考えた。そこに居るという安心感を彼らに与えられればそれで十分ではないかと。

少しでも長く生きて、彼らの心の拠りどころでい続けたい。そうして見守られているという安心感を子供たちに与え続けたい。今日の父の日に改めて思ったことだった。

 

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初めての競馬体験

一昨日の土曜日にテニス仲間のI山さんとT次さんに誘われて初めて競馬なるものを体験してきた。競馬というとどうにもいい印象がない。新聞を片手に赤ペンを耳に挟んでタバコを吹かし、はずれ馬券を紙吹雪のごとくまき散らす。糸目もつけずに金をつぎ込んで挙句の果てにはしんしょうを潰す、まさに悪の権化のようなイメージしかなかった。そんなわけで、以前からラン仲間のS田さんからも誘われていたのだがどうにも気乗りがしないでいた。ここにきて友人である彼らがそれほどに言うならと少しばかり前向きに考えてOKの返事をしたのだが、それでも実際に行くまでは気が重かった。

場所は府中にある東京競馬場。みんなとは南武線府中本町駅で9時に待ち合わせている。電車から降りるとたくさんの人が食料やら競馬新聞を買い求めてごった返している。これを持っていれば一丁前に見られるだろうかということでごいさんも新聞を購入。駅から歩くこと5分。200円の入場券を買って中に入ると、目の前に巨大な観覧席と緑の空間が広がる。

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最初のレースは10時10分スタート。I山さんとT次さんは早速に新聞を見ながらあれこれと考え始める。ごいさんも勝手の分からないままに2人に聞きながら真似をしてみる。馬券は100円単位で買える。最初のレースは複連という馬券を200円分買ってみたがあっさりとはずれる。T次さんは300円分を買って1,000円の払い戻しがあって、そのお金で生ビールとポテトフライを買ってきた。幸先が良いと喜んでいたのだが、彼が当たったのは結局それだけだった。第2、第3レースもはずれて、第4レースになって初めてワイドという馬券で300円の払戻金を手にした。残念だがこれじゃビールは買えない。

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第5レースと第6レースをパスして1時間ほどの昼食タイムをとる。その後の第7レースははずれ。第8レースはパスして、第9レースで再び400円ほどの払い戻しを得た。次の第10レースははずれ。この日は第12レースまで予定されていたが、我々は帰りの混雑を考えて第11レースで止めることにした。そこでごいさんも最後に大きな賭けに出ることにした。と言っても、持っている小銭の全額で600円だけど。それで200円が戻ってきた。

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一日楽しんで馬券に使ったお金は差し引きして1,000円ほどだった。実際に目にした競馬場はずいぶんと健全なものだった。馬券の販売や換金はすべて自動で整然と行われている。こまめに掃除をする人がいて、トイレも清潔感があるしゴミの散乱もない。客層も広範囲で若い女性も多く、スポーツ観戦でもしているかのような感じだった。ギャンブルであることは確かなのだが、きっと自分のように少ないお金で楽しんでいるお客さんも多いのではないだろうか。

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競馬場の中央のフィールドにある遊戯施設ではたくさんの子供が遊んでいる。芝生で寝ている人もいる。入場料の200円を払えば何をしても基本的には自由。一日をのんびりと過ごすにはもってこいの場所だと思う。ちょっとしたアミューズメント施設よりもはるかに安上がりだ。また来てもいいかと思った。

 

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