第9回 呑兵衛達の旅 ~8月22日~

朝7時50分に横浜で待ち合わせをして東京駅に向かう。ここで伊豆から出てくるI坂さんと合流。当然のように二人で車中での飲み物を物色。8時56分、東北新幹線やまびこ129号は予定通りに動き出す。飲み物をテーブルの上に置いて二人はやんややんやと盛り上がっている。他の3人はM橋さんの車の運転ということに気を遣っていて宿まではお酒を口にしない。こう書くといかにも我々が人でなしのようだけど、二人が騒ぐのは毎度のことだから暗黙のうちに認めてもらっている……と思っている。さて仙台までは約2時間の旅ということで、早く飲まないと着いてしまうなんてことを言っていたら足りなくなって車内販売で1本追加することになった。まあこれも本当は計算のうちなんだけど。I坂さんと売り子さんの会話が絶妙で何とも面白いのだ。車内販売は利用すべしだね。

「ここに崎陽軒のシウマイがあれば言うことがないのだが……」f:id:goisan:20170822085544j:plain

11時に仙台駅に到着しすぐにレンタカーを借りて最初の見学地の多賀城跡に向かう。今は何もなくただ跡が残るのみだが、すでに奈良時代にここに陸奥国府と鎮守府が置かれて政治や文化の中心地として栄えていたという。都からこんなにも離れたところでと思うだけで感慨深いものがあった。その後、埋蔵文化財調査センターに寄って昼食となる。昼食は「すし哲」というお寿司屋さん。どうやら相当な人気店らしくお客さんが次々とやってくる。自分はちらし寿司を注文。寿司なんて回転ずししか食べたことがないので旨いのかどうか分からないが、値段が値段だから旨いのだと思うことにした。

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それから塩釜神社瑞巌寺と見学する。瑞巌寺は平成の大修理ということだったが、本堂が見られたことは幸いだった。もっとも仙台には伯母さんが住んでいたこともありここには何度も来ていてごいさんにとってはさほど目新しくない。今日の見学はどちらかというとお付き合い的な気分だ。続いて「みちのく伊達政宗記念館」を見学。ここで一通り伊達政宗の人生を辿ってみて、彼の人となりが理解できたような気がした。

塩釜神社 奥の古い建物が本殿」f:id:goisan:20170822144637j:plain

瑞巌寺の本堂」f:id:goisan:20170822153129j:plain

「蝋人形展示 右に立っている子が政宗f:id:goisan:20170822163149j:plain

さていよいよ待望の宿に向かう。その宿は「大観荘」と言い、少し上った丘の上に建っている。部屋のガラス窓の向こうにはいかにも松島らしい光景が広がる。夕食は懐石料理風。担当してくれたのは研修生という名札を付けた若い女の子だった。こういう若い子にちょっかいを出すのはいかにもお爺さんの集団らしい。そんな会話の中でなんとその子が神奈川県のそれもS渡さんの家の近くに何年間か住んでいたというのが分かって、ますます盛り上がった。その子にも身近に思ってもらえたのは何よりだった。

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部屋に戻って恒例の2次会となる。旅の初日ということでみんなさすがにまだまだ元気だ。自分も初日の夜が一番楽しい。明日も旅が続くという安心感からだろうか。そんな楽しい時間も最近はみんな呑まなくなって早く寝てしまう。それがちょっとばかり物足りない。呑兵衛達の旅は普通の旅になるのかな、それとも終わりが近づいているのかな。そんなことがちらっと酔った頭をよぎった……ような。

 

第9回 呑兵衛達の旅、始まる

今年もまた呑兵衛達の旅が始まる。いつだったか忘れたが、飲み会の席で青森県出身のI坂さんがたまたま口にした田酒というお酒の名前。それならば青森まで行って呑んでみようではないかと、いかにも酒好きの考えそうな計画がまとまったのだ。もちろんそこは先生の集団だ。ただ酒を呑みに行くのでは芸がない、しっかりと観光も楽しもうということになった。この旅の一切はM橋さんという社会の先生に任せっきり。彼は知識も豊富だし実際にあちこち歩いているからまさに適任なのだけれど、要は自分たちが面倒くさいだけなのだ。

さてその地に行ってそこの地酒を呑むということに味を占めた連中たちはさらに大いに盛り上がり、翌年からの地酒巡りの旅を恒例の行事とするようになった。そうして、青森、秋田、岩手、山形、石川(能登)、福井、京都(丹後)、福島ときて今年は宮城県、松島と鳴子を訪ねる。それぞれで美味しいお酒を呑みそして思い出もたくさん残してきた。その中で、東日本大震災の前年に訪ねた岩手の三陸の思い出は忘れられないものとなった。

明日は朝の8時56分発の東北新幹線で仙台に向かう。う~ん、今から電車の中で旨そうにビールを呑んでいる自分の姿が思い浮かぶ。しばらくぶりのワクワク感だ。こういう気持ちって、一人でマラソン大会に出向く時には起きることがないのだが。やはりこれも気のおけない仲間との一緒の旅というその安心感が大きいのだろう。

ということで改めてその仲間のメンバーを簡単に紹介しようと思う。まずは今年71歳のM橋さん。この旅行の添乗員兼カメラマン。若い頃から教職員組合で活躍して、今も退職者で作る組合の委員長をやっている。また現地ではレンタカーの運転も担当するが、そこいらのジェットコースター以上のスリルを味あわせてくれる。実に豪快な運転だ。だからごいさんはいつも一番後ろの席で隠れている。

次はごいさんの1つ上のO矢さん。教科は同じ数学。実は高校の先輩でもある。彼が大学受験をした時は前年の東大入試の中止の煽りを受けて大混乱した年だった。彼もこのことをよく口にする。彼の人生の大きな岐路だったに違いない。いつも落ち着いていて的確なアドバイスをくれる。ごいさんにとって頼もしい存在だ。

次は1つ下のI坂さん。ごいさんのブログにもしょっちゅう登場している。彼のように生きることがきっと人間の本来の姿なのかと思う。実に自然に生きている。彼とは今まで本当によく呑んだ。1回3時間は当たり前、最長で12時間というのがある。その間に何を話したか全く記憶にない。酔ってしまえば話なんかどうでもいい、そこに友がいれば、そんな感じだったのだと思う。

そして2つ下のS渡さん。グループ唯一人の独身貴族。当然お金もいっぱい持っているのだが、競馬をやって使おうとしたら逆に100万円稼いでしまったという。お金のあるところにお金が集まる、確かにそう思いました。

とまあ、こんな呑兵衛5人の珍道中。いよいよ本日スタート。帰ってきてからのレポートを楽しみに待っていてくださいね。では、行ってきます。

 

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顔、顔、顔

前にも書いたけれど、街中を歩いているとついその人を観察してしまうなんていう癖がごいさんにはある。全体の格好や歩いている時の雰囲気、そして顔かたちだ。イケメンだとか不細工だというのではない。この前は耳の大きさや鼻の形だった。一度気になると取りつかれたように見てしまう。例えば鼻だと少なくともその日は鼻しか見ない。耳なら耳だけだ。もちろん相手に気づかれては失礼だからさりげなく見る。遠くを見るふりをして焦点は手前のその人の鼻や耳に合わせている。よく見るとみんな見事なまでに違う。確かに指紋の代わりに使えるのも納得する。きりっとした鼻もあればぺちょっとした鼻もある。自分の倍もあろうかという大きな耳の人にはびっくり。こういう人ってたくさんの幸せを運んでくるのかな。鼻と耳の他に目や口と合わせれば無限大の組み合わせができる。人の顔が個性的で魅力的なのはそういうことなんだと合点する。

とまあ、そういうことで最近はと言うと顔全体の表情というのが気になった。それも一人で街中を歩いている時の表情だ。その人たちの顔を見ていると、では自分はいったいどういう顔をして歩けばいいのかなんてことを考えてしまう。これまた個人の自由だなどと言われそうだけど、こんなことをうだうだと考えるのもごいさんの悪い癖だ。それからはすれ違う人を注意深くしかも気づかれないように眺めては歩いてみる。ターゲットはあくまで一人で歩いている人だ。

結果としてこれがいいと思える顔には出会えなかった。ということは自分も大した顔して歩いていないというわけだ。自分もそうだが大方の人は歩く時の表情まで気にすることはないのだろう。ましてわざと変な顔をして歩くなんて考えられない。これが日曜日とかで、家族や恋人、仲のいい友だちと一緒にいる時の表情はがらりと変わってくるから、やはり心の持ちようということになるのかと思う。ということは、一人で何気に歩いている時にこそふだんのその人となりがそのままに顔の表情に表れているってことじゃないか。

自分もすれ違いざまに他人の肩や荷物が振れただけで顔が歪んでしまうことがある。この前はあやうく正面衝突しそうになって相手に思わず舌打ちされた。何とも言いようのない不快感を覚えたのだが、その思いがしばらく顔の表情から消えない。それに何かを考えながら歩いていて顔を曇らせている自分に気づくことが度々ある。そんなことを考えてみたら自分もずいぶんと不満顔で歩いているのかもしれないと思った。

一人で歩く時は誰に気づかうこともない。だから余計にふだんの様相がそのままに表れる。そんな時はゆとりのあるいい表情を作りたいと思うのだが、応急処置的に作ったものは少しのはずみですぐに剥げてしまいそうだ。やはりふだんからの表情作りが大事なんだと思う。それにしても一人で歩く時の表情って本当に難しい。こんなことを考えている自分は変?でもちょっぴり意識したら少しは改善できるような気がしているんだ。

 

生徒の描いた37年前のごいさん。いい顔、している?f:id:goisan:20170817105126j:plain

 

伊豆のラン合宿

ラン仲間のS田さんと2人で、先週の木曜日と金曜日に伊豆の国市に住むI坂さんの所で、ラン合宿をしてきた。とは言え、飲むための口実のようなものでたいして走るわけではない。それでも見知らぬ土地を走るのはいい気分転換になる。午前中の夏期講習を終えたS田さんとは、小田急海老名駅で待ち合せる。東海道線駿豆線と乗り継いで田京駅に到着。駅前のスーパーで夕食(?)の材料を購入してI坂邸に向かう。

この日は桂川沿いに修善寺駅まで行き、折り返して大仁駅近くにある温泉旅館をゴールとする約10キロのコースだ。すでに5時半で空はどんよりとした雲で覆われ暑さはあまり感じられない。それでも走り出したらすぐにシャツが汗でびっしょりになってしまった。

S田さんについていく形でキロ5分30秒のペースを維持しながら修善寺駅に到着。ここからはもう2キロ余り。終わりが見えてS田さんのスピードが上がる。あっという間にゴールだ。そして温泉に浸かる。この時の開放感は半端じゃない。冷たいビールがいかにも美味しそうだがここはぐっと我慢の子であった。

I坂邸に戻るともう8時を回っていた。バイクで先に帰っていたI坂さんがフライヤーと食材を用意して準備を整えておいてくれた。いつもながら本当にありがたい。このフライヤーのことはだいぶ前に彼のブログで知って気になっていた。やっぱり揚げたての天ぷらは最高。失った塩分の補強とばかりにわさび塩をさっと振りかけて頂く。う~ん、旨い。

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走った後のビールもこれまた最高の味わいだ。当然の如く焼酎へと飲み物は変わりいつものように際限がない。I坂さんに会うのは実に4か月ぶり、S田さんに会うのも2か月ぶりになる。それにこのところ毎日が英語漬けでまともに日本語を使っていないから、今日はそのうっ憤を吐き出すように次から次へと言葉が出てくる。

いろんな話をする中でちょっと気づいたことがあった。それはみんなそれぞれにこれからのことを話しているということだ。もちろんたいした中身ではない。でもそれで改めて思ったのだ。生きている限り誰にだってまだまだ未来はある。その未来を追い求めることを簡単に放棄しちゃいけないってね。どんなに素晴らしくても過去はあくまで過去にしか過ぎないのだからって。

さて、翌朝は二日酔い気味で目が覚めた。今日は走れないと弱気になっていたら、「走りましょうよ」とS田さんが声をかけてきた。何度も言われて嫌々覚悟を決める。今日のコースは山を一つ超えるというハードなもの。最初の3.5キロで一気に350mほどを上り、その後韮山反射炉に向かって駆け降りていくというもので、約13キロのコースとなる。

上りはキロ7分台後半のペースでほとんど歩くような感じ。逆に下りは4分台前半のペースで油断すると足がもつれてすっ転びそうな勢いだ。ともあれ無事に走り終えてシャワーを浴びる。冷たい水が何とも気持ちいい。何だかんだと言いながらも当初の日程はすべて消化した。となれば当然〆の乾杯と相成る。

I坂さんには毎度のことながら大変お世話になりました。心から感謝しています。

 

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夏の匂い

少し前の朝、ごみを出しに行った時のことだ。前を国道が走っているのだが、朝の通勤時間帯で車の往来も激しい。ごみを置いての帰りにその流れを見ていたら、突如としてムワーっとした蒸し暑い空気が押し寄せてきた。ところがこの匂いがどこか懐かしい。少し考えて、そう言えば子供の頃の夏はいつもこんな匂いがしていたのを思い出した。そこら中に響き渡るセミの声。ようやく夏休みが訪れて、解き放たれた心。6週間という長い休みをどう過ごそうかと考えただけで心が躍る。宿題の計画を立てるのも案外楽しみだった。

そう、なんか久しぶりの夏らしい匂いを嗅いだのだ。あの頃はエアコンはもちろんのこと扇風機だってない。家に居る時はランニングシャツにパンツ一枚といったスタイルだ。そう言えば蝿もたくさんいた。祖母に頼まれて毎日何十匹もの蝿を蝿たたきで叩き落した。いや叩き潰した。まさに丹下左膳鞍馬天狗になったかのような気分だった。夜は蚊帳をつって寝る。これがまた子供ながらに怖さを感じたものだ。その頃の夏の映画と言えば決まって怪談だった。その映画によく蚊帳が登場するのだ。そしてその脇に幽霊が恨めしそうにたたずんでいる。子供のごいさんはどうしても蚊帳の外が気になってなかなか寝付かれなかった。

冷蔵庫もなかった。スイカは井戸水で冷やすのだが、これが本当によく冷えて美味かった。あの頃は食べ物の保存ができなかったから毎日の食事は大変だったろう。当然家では氷は作れない。夏になると近くのかき氷屋に毎日通った。毎日と覚えているくらいだから確かに安かったのだと思う。もちろんイチゴかメロンかそれにレモンやスイというシロップが単にかけてあるだけだ。でも本当に美味しかった。

海まで近かったから毎日のように海水浴に行った。プールは日立製作所の工場の関係で一つだけあったのだが有料だった。それでも伯父さんのつてでたまに無料券が手に入る時があった。この時はやっぱり嬉しかったし、毎日のように行ける子がちょっぴり羨ましかった。海はやっぱり真っ昼間に行くのが好きだ。砂浜に寝っ転がってあの真っ青な空を見上げる。あの底なしの大空をね。そうすると心が大きくなったような気がしてくる。そして大きな夢が膨らむんだ。

今までもこの匂いって何だろうなんて思うことがたびたびあった。その答えを探し求めていくと小学校ぐらいまでに遡る。何十年と年を取ったのにあの頃の匂いって意外と忘れていないんだ。思い出って写真で代表されるように見たことやしたことが記憶されるという印象が強いけど、こういった匂いというのも十分に思い出になるのだと改めて認識した。考えてみれば、おふくろの味なんていうのもある。これも思い出の一つかな。

何気ない匂いへの思い。またすぐに忘れてしまうから書き留めておくことにした。

 

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英語漬けの日々

今日は8月3日。振り返ると7月はあっという間だった。働いてもいないし、マラソンのシーズンが終わって出かけることもなくなった。それにテニス教室も終わってかなりの時間ができた。だからと言ってこれだけ暑いと外を走る時間を増やす気にもなれない。それならますます自由時間が増えて、他に何でもできそうにと思うのだが、それがなかなかそうならない。

増えたはずの自由な時間はどこに消えたのやらと探してみたら、単純に英語の学習の方に回していただけだった。この年になって学ぶというのは難しいことだと改めて思う。覚えられなくてやればやるほどに焦りを覚えて、それでいたずらに時間を増やしているという感じなのだ。覚えたとたんに忘れ、翌日にはまた後戻りしてから始めるという繰り返し。大学受験の頃の冴えた頭だったらなあなんて、考えてもしょうがないのについ考えてしまう。

これから年を取るにしたがってますます物覚えが悪くなるだろうということは十分に分かっていた。それでいつまで続けてもどうにもならないと思い、この1年間にすべてをかけることにしたのだ。それで見通しが立たなかったら思い切って諦めようかと。やるだけのことをやって出来なかったら諦める。それは決して敗北じゃない。

必要な出費は将来の自分への投資と考えたから、この4月からは週に2回英会話スクールの個人レッスンに通い、オンライン英会話も始めた。4か月が過ぎて、最初は一日に1回だけだったオンライン英会話も今は一日3回やっている。一回当たりの予習や復習に使う時間が90分。1レッスン30分弱だから1レッスンを受けると2時間勉強したことになる。3レッスンで6時間だ。このほかに自分で文法をやったり単語カードを作っては覚えたりしているのと合わせると平均して一日8時間ぐらいになる。

そういうわけで最近は独り言も英語が混じっていたり、誰かと喋る時もこれを英語で言ったらなどと考えたりしてしまう。ただ単語がなかなか思い出せないのが情けない。文の構成は出来上がっているのにそこにはまるわずかに1個の単語が出てこない。思いを瞬時に伝えられないというもどかしさ、日本語ならよどみなく出てくる文章なのにというちぐはぐ感、それらが大きなストレスとなり焦りへと繋がっている。

そんなわけでブログを書いたり見たりする時間もだいぶ削っている。ランニングは気分転換も含めて適当にやっているが、本来の調子ではない。ごいさんにしては珍しく自分を追い込んでいる感じだ。でも英語が話せるようになって世界にたくさんの友人を作ることがごいさんの最後の夢舞台の最低条件なのだ。簡単に諦めるわけには行かない。

 

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ブログの散歩 第16話 ~ 半リアル ~

今年になってブログで知り合いになった方とお会いする機会がだいぶあったのだが、皆さんイメージ通りで期待を裏切らない。いやそれ以上の好印象を受けた。さすがにごいさんが読者になっただけのことはある……なんて思ってみたのだけど、よくよく考えてみたら、これって案外当たり前の結果なんじゃないかと思えてきた。

実際に会う時のその人はまさしくブログの住人としてのその人だ。わずかな出会いの時間の中でその人のどれほどのことを知ることができるだろうか。逆にごいさんのどれほどを伝えることができるのだろう。でも正直に言えば努力してまでお互いを知る必要はないのかもしれない。お互いにブログの中の住人と同一人物だということが認め合えればそれでもう十分なのではないか。もちろんそれ以上のことを知りたいという思いもあるかもしれないがそれは必須ではない。

みんなブログを始める時ってどんな気持ちだったのだろう。新たな自分になろうとして始めたのだろうか。やってみて初めて新たな自分が見つかったという方も多いのかな。そうやって書き続けていくうちに、それまで生きてきた自分が本物だったのか、それともこうしてブログの世界にいる自分が本物なのか、本人にもよく分からなくなったりする。ごいさんもそうだ。ブログの中で新しい自分をいろいろと模索している。

ごいさんも働いている頃に比べてだいぶ変わったように思う。仕事をしている時はいろんな利害関係で苦しんだり悩んだりしてきた。退職した今は、それから解放され今まで隠れていた違う自分を前面に押し出そうとしている。見栄や虚勢を張ることもない。ありのままの自分だ。そんなごいさんを一人でも多くの人に理解してもらえたら嬉しい。そうして今度は実際の自分をブログの中のごいさんに近づけていく。

ブログを通してのお付き合いはどちらかというと自分のいいところだけを見せ合うようなものだけど、それでいいんじゃないかと思う。それだって間違いなくその人の一部だし、その仲間の人たちにとってはその一部こそがその人の全てなのだから。お互いが会うことでいかにもバーチャルからリアルになったような気もするけれど、まだまだ知らないことが多過ぎてリアルになったとは言い難い。半リアルといった感じだろうか。

さて、実際にブログの友達と会う時、相手がどんな人なのか、自分はどう思われているのかといろんな思いが交錯する。が、結局は杞憂に終わる。上にも書いたが、この時、決してブログのお付き合いの範疇を越えることはない。当然、お互いが持っている相手への期待感も裏切られることはない。そうして始まる半バーチャル、半リアルといった感じのお付き合い、これがちょうどいい塩梅で心地良い。ずっと大切にしたい関係だ。

 

先日、久しぶりに見た夕焼け。ふぅ~。f:id:goisan:20170717183757j:plain

 いつも拙い記事を読んでいただきありがとうございます。これからも末永くお付き合いください。