ごいさん、ニューヨークを走る ~ 前 ~

11月2日の午前11時に羽田からアメリカのニューヨークに向け飛び立つ。その約13時間後の現地時間11月2日午前11時50分にケネディー空港に着陸した。このツアーの総勢は62名ということだがこの日からの参加者は20名ほど。自分もそうだが予想通りに年配者が多い。時間的に余裕があるということなのだろう。早速にバスに乗り込みEXPO会場のコンベンションセンターへと向かう。

入口で解き放たれて各自での行動となる。さあここからは少しでも英会話の実践訓練といきたいところだ。まずはゼッケンを受け取る。ごいさんは20000台のゼッケンで第2ウェーブのコーラルDでのスタート。参加者は5万人余りということだから順当な所だ。続いてTシャツの受け取り。それから後は日本でもよく見かけるEXPOと同じ光景だ。違いはそこに居る多くが日本人ではなくアメリカ人ということ。

必然的に英語を話す機会が訪れる。最初に話しかけた人の印象が良かったのか、自分の言葉が意外にきちんと伝わって、発音に自信がなかったのがこれで少しばかり気が和らいだ。もちろんちゃんとしたセンテンスを作れるほどではないが少なくとも話せば通じるらしいという感覚を得たから、ますます話しかけてみようという気になった。こうして言葉に関して不安だった気持ちが少しずつ薄らいでいく。

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翌日は、マラソンコースの下見ツアーに参加する。コースはもちろんのことだが、車窓からニューヨークの街並みをざっと見ることができるだろうと考えたからだ。ガイドのI原さんがコースのポイントを説明してくれる。スタテン島をスタートしブルックリン地区、クイーンズ地区とかけ抜け、ここで一度マンハッタン地区に入る。それからブロンコス地区まで行って折り返し、再びマンハッタンに戻ってきてセントラルパークでゴールする。ゆるいけれどけっこうアップダウンもあるしいくつかの橋も越えなければならない。なかなかタフなコースだ。

大会前日の土曜日は、フィニッシュ後の流れを確認するということで早朝ランニングが行われた。初めて走るセントラルパークにワクワク感いっぱい。説明が一通り終わって解散した後で、一人のんびりとセントラルパークを走ってみる。ずっと頭の中に描いていたことが現実となって不思議な感じだ。いやがうえにも気持ちが高揚してくる。

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夕方にセントラルパークのフィニッシュ地点付近で行われたパスタ・ディナーに参加する。テントにはたくさんのボランティアの方たちがいて持っている容器に次々と料理を乗せていってくれる。皆さんとても素敵な笑顔で、違和感もなく、自分が異国にいるということを忘れてしまいそう。

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今回は法被を着て走ることにした。法被を着ているから日本人と分かってもらえるかどうかは何ともなのだが、やはり法被は日本独特のもので、お祭りにはお祭りらしい装いが一番だと考えた。これを見て沿道の皆さんはどんな反応をしてくれるだろうか。そんな期待感を持って当日の朝を迎える。

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大雨のしまだ大井川マラソン

今回はラン仲間のS田さん、Y村さん、それにY村さんの元同僚のW田さん、そして自分と計4人での参戦となった。前日に横浜マラソンが中止になったというニュースを聞いて、さて島田はどうなるかとやきもきしたが結局は開催されることになった。判断を下すには相当の勇気が要ったことだろうと思う。

焼津の宿を出て島田駅に着いた時にはまたしてもどしゃ降りの雨になっていた。8時40分の少し前にはてブロランナー待ち合わせ場所をうろついていると、naoさんとてつさんに声をかけられる。naoさんは館山以来、てつさんは6月にお会いして以来だ。この後たまおさんという女性の方が見えられて結局は4人でのシューズ円陣となった。

てつさんとはBブロックのスタート地点で再度の再会。彼のレポートを後で読んで後半に失速してサブ3.5への思いが叶わなかったことを知った。走る前に余計な言葉をかけてプレッシャーを与えてしまったかもしれない。でも彼なら近いうちに間違いなくその目標を達成するだろう。

9時にスタートの号砲が鳴る。最初の1キロの入りは5分32秒。4キロほど走ると島田宿を抜けて河川敷へと入ってくのだが、そこに最初の洗礼が待ち構えていた。水たまりなんてものじゃない。まさに川の中を走っている感じ。そんなところで給水をしてくれているボランティアの皆さんにはただただ頭が下がる。

本当に3,000m障害の水濠みたいなところが次々と登場する。それでも最初の10キロは52分02秒とまずまずのタイム。今日の目標は3時間40分台。最低でも一昨年出したコース記録の3時間51分20秒を更新すること。ここで少しばかりスピードを上げる。19キロ地点辺りでピンクのはてブロシャツを着たnaoさんが颯爽と現れた。速い。

さて20キロまでの10キロは50分25秒と今の自分にしては上出来だったのだが、折り返して上流に向かい始めた途端にスピードが落ち始めた。それでも30キロまでの10キロはどうにか54分35秒にまとめる。このへんで突然かなりの空腹感に襲われた。少しふらふらする感じだ。それでもとにかく33キロ地点の大エイドまでは立ち止まるまいと決めて前進する。それまでは3時間40分を切れるのではないかと考えていたのだが、ここで心が折れた。大エイドではチキンラーメンを完食。それに水ようかんや餃子もいただいた。

さあここからの残りは9キロ弱。35キロを少し超えたあたりで再びnaoさんとすれ違う。ゴールを目前にして少し苦しそうだがやはり速い。38キロを折り返して残り4キロ。そうして40キロ地点を通過する。この10キロは大エイドの関係もあるけど58分46秒を要した。そしてフィニッシュ。タイムは3時間48分20秒。この環境でこのタイムは年寄りには上出来なのだが、最近は後半になると気力が持たないのが気になるところだ。

ゴール後も大変だった。自分たちはもうぐちゃぐちゃでどうとでもなれなのだが、ボランティアの人たちや関係の方々の服も靴もびしょびしょだ。雨の日のボランティアは本当に辛い。ランナーからのありがとうの声を聞くというそれだけが唯一の報酬。そんなことを考えたら涙が出てきそうだった。ボランティアの皆さん、大会関係の皆さん、それに雨の中を応援してくれた皆さん、本当にありがとうございました。

 

帰りの東海道線、「用宗駅」で2時間立ち往生。f:id:goisan:20171029185948j:plain

再び、妹のこと

今年も妹のことを記事にする時期になった。ずっと読んでいただいている方には「えっ、また」と思われるだろうけれど、1年に1度は妹についてのことを書いておきたい。いや二人の小さい頃のことを思い出したいだけなのかな。気が強いくせに泣き虫で、親に叱られるのはいつも自分ばかり。食べるものだっていつも大きい方。「あなたはお兄ちゃんなのだから我慢しなさい」って。小さい頃はそんな妹がとても鬱陶しかった。

今は二人とも60歳を越えていわゆるお爺ちゃんとお婆ちゃんだ。なのに気持ちだけは小さい頃のままの兄妹だ。小さい頃は毎日のように喧嘩をしていた。馬鹿にして罵って言い争いに負けては手を出して、そして親からはさんざんにどやされる。それでも兄妹の関係は壊れることはなかったけど、妹から見たら何とも頼りのない兄貴だったことだろう。

初めて兄らしいことをしてあげたのが大学4年の時だった。妹が結婚するというのでウェディングドレスを買ってあげたのだ。結婚したら妹は遠くに行ってしまう。何もしてあげないまま頼りない兄として別れてしまえばこの後ずっと後悔する。そんなふうに考えた。大学生の自分にしてはずいぶんと奮発したものだけど、妹の喜んでいる顔を見たらようやく一人前の兄になれたような気がした。

妹が結婚した翌年に父が亡くなった。初めての出産を2ヶ月後に控えた妹にとって父の死はかなり大きなショックだったに違いない。父親が亡くなった分、それまで以上に兄妹として強い絆が生まれたような感じがした。それからちょうど40年、兄として、時には父親のような存在として妹に関わってきた。少しでも頼りにされる兄になりたい。きっと小さい頃からそう思っていたのだと思う。

今月の21日が妹の誕生日だったから63年間兄妹の関係が続いていることになる。小さい時には想像もできないくらいの長い年月だ。凄いことだと感心する。今はあまり会うこともないのだが、その分メールやラインが頻繁に送られてくる。いつも何かにつけて心配されている。きっと奥さん以上のうるささだ。小さい頃と何も変わっていない。でも最近はそれも心地良く思えてきた。傍にいるというその感覚だけで十分な幸せを感じている。

妹がいたことで自分の人生はとても豊かに過ごせたと思う。今でも母のことを託して、好き勝手なことをやらせてもらっている。妹のおかげで自分はずいぶんと楽をしてきた。いやいつも妹に寄り添ってくれている旦那さんのおかげもある。これから残された人生で少しでも彼女たちにお返しをしてあげなきゃと思うところだ。

21日に誕生日おめでとうのメッセージを送ったら「頼りにしています」という返事が帰ってきた。ようやく頼りにされる兄貴になれたか……と思った。小さい頃には鬱陶しいだけの存在だと思っていた妹が、実は自分にとってとても大きな存在だった。妹がいたから退屈することもなく一人ぼっちになることもなかった。そしてそれは今もまだ続いている。

 

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雨のタートルマラソン大会

日曜日にタートルマラソンを走ってきた。朝起きて窓の外を見ると冷たそうな雨が降っていた。個人的には雨の日に走るのは嫌いじゃないけど、問題は走り終わった後なのだ。仲間を待っている時の寒さと、会場が河川敷ということもあって足元がぐちゃぐちゃでシューズが泥だらけになってしまうこと。今回はそれに腰への不安という要素もあって、北千住の駅に着いても一向にテンションが上がらない。

今日の待ち合わせは北千住駅の丸井の2階入り口付近に8時ということで、集まったのはラン仲間のA美さん、S田さん、Y村さんと若者組のS井さん、K藤さん、Y池さん、それに自分の計7人。K藤さんは大学では駅伝部に所属していてかなりの走力の持ち主。今日はキロ4分で走ると言う。S井さんは180㎝ぐらいの長身でストライドが広くスピードがある。大会に出るのはまだ3回目だが力は確実に伸びていて今日の目標は95分辺り。紅一点のY池さんは昨年の記録を更新することだそうだ。

寒いのもあってぐずぐずしていたらスタートの時間が近づいてきた。アップもストレッチもろくにしないまま列に並ぶ。それでも伸び盛りの若い人たちに刺激をもらってようやくやる気は出てきたようだ。腰の不安はあるが、とりあえず今日はハーフ。行ける所まで頑張ってみようと決めた。最近はスピードを出しての練習はしていなかったから、今日はそのいい機会ということで、キロ4分台をできるだけ維持したいと考えた。

最初の1キロは4分55秒。予定ではアップも兼ねて5分30秒ぐらいまでは覚悟していたのだけど周りに引っ張られたせいか思わぬハイペースになってしまった。ここでペースを少し落とすことも考えたのだが、一度落としたペースを上げるのは厳しいと判断して、とりあえずは流れに身を任せることにした。

上流に向かって行く前半を頑張れれば後半は下りになる。考えていた以上のペースで折り返す。ハーフは折り返せばもう残りの距離のカウントダウンだ。辛いけどなんとか耐えられる……はず。ところが前半が少しオーバーペース気味だったことと練習不足のつけが回ってきた感じで思うようにスピードが上がらない。結局前半の貯金を食いつぶす形になってフィニッシュ。それでも1時間40分35秒のタイムは、今の自分には十分に満足のいく結果。それに腰の痛みも感じなかった。これで2週間後のしまだ大井川に向けて、少しだけ自信復活かな。若手の3人もそれぞれに公約を無事に達成してまずはめでたしめでたしでした。

会場は予想通りの泥だらけの状態。最後に参加賞をもらうのも長蛇の列で半袖短パンで並んでいるのはさすがに寒くて辛い。でもボランティアさんたちも泥だらけで頑張ってくれている。自分も雨の中でボランティアをやった経験もあるが本当に寒いし逃げ出したい気持ちにもなる。それを長時間最後まで、ありがたいことだ。それから太鼓や吹奏楽の演奏、チアリーダーの応援とこれまた雨の中を本当にありがとうございました。皆さん、風邪を引かれませんように。また来年よろしくお願いします。

 

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シーズン7、始まる

明日のタートルマラソン大会から、自分たちのチームの今シーズンが始まる。ということでこの大会にも7度目の出場となる。思えば6年前に同僚のS田さんと初めて参加した時は気温が30度を超え、30名余りのランナーが救急車で搬送され、道の両脇にもかなりの人が横になったりしゃがんだり、歩く人も相当数いて、何とも壮絶な大会だった。S田さんにとっては初めてのマラソン大会で2時間半を目標に走ったのだが、まさにジャストの2時間半でフィニッシュ。ぎりぎりではあったけど目標を達成したということで彼はマラソンを続けることを決意したのだった。

ごいさんはと言うと、体力にはまあまあの自信もあったし1時間50分ぐらいは楽勝なんて思っていたところが13キロで両足が攣るなどして、結果は2時間3秒と惨憺たるもの。情けなく悔しい思いをしたのを覚えている。もしこの時S田さんが続けると言っていなければごいさんも今はきっと走っていない。二人で居酒屋に入って冷えたビールを前にして一滴も飲めなかった、それもまたいい思い出になっている。

それから6年が過ぎた。この初戦のハーフはシーズンを占うにはちょうど良い大会だし、仲間が久し振りに集まって走り終わった後の飲み会も楽しみなのだ。さて明日はどんな結果となりますやら。

さてそんなことで今シーズンのごいさんの予定をここにまとめておこうと思う。走ることにはあまり興味が無い方もおられると思うけど、「お爺さん、頑張ってるじゃない」ぐらいの感じでちょこっとでも応援していただけたら嬉しいです。また、はてブロランナーの方たちとどこかの大会でお会いするのも楽しみの一つ。良ければ声をかけてください。

 

10月15日 タートルマラソン(ハーフ) ……シーズン初戦。
10月29日 しまだ大井川マラソンinリバティ(フル) ……大エイドが楽しみ。
11月5日 ニューヨークシティマラソン(フル) ……いざ、憧れのニューヨークへ。
11月26日 つくばマラソン(フル) ……サブ3.5に再挑戦。
12月10日 奈良マラソン(フル) ……去年のリベンジ。
1月14日 ハイテクハーフマラソン(ハーフ) ……正月気分を吹き飛ばす。
1月28日 館山若潮マラソン(フル) ……相性の良い大会。
2月4日 神奈川マラソン(ハーフ) ……記録に挑戦。
2月25日 五島つばきマラソン(フル) ……地元の人との触れ合いが楽しみ。
3月4日 三浦国際市民マラソン(ハーフ) ……呑むために走る。
4月15日 かすみがうらマラソン予定(フル) ……シーズン最終戦

 

昨シーズンはサブ3.5も達成した。正直言えばこれ以上のタイムは今の自分には出せないと思うし出そうとも思わない。今年はサブ4を維持しながらいかに楽しんで走るかを追求してみたい。走り終えた時に楽しかったと言えるレース、どれくらいできるかなあ。

 

横浜マラソンスタート地点 ~みなとみらい大橋~f:id:goisan:20171014113214j:plain

 

教え子との再会

みやぎ復興マラソンに出かける前日に、仙台にいる教え子からメールが届いた。「先生は復興マラソンで仙台に来ますか。時間があれば会いたいです。」と書いてあった。この子は最後に受け持ったクラスの子で今年24歳になる女の子だ。卒業してからは一度も会っていないが、年賀状のやり取りだけはしていて、確かに今年の年賀状に復興マラソンを走るようなことを書いたのを思い出した。

その子は明るくはきはきした子で、3年生になると大学受験に向かって一生懸命に勉強に取り組みだした。志望の大学に十分手が届きそうなくらいまでに成績も伸びてきた。ところがいざ出願する時になって突然に受験をしないと言い出してきたのだ。何を本当に学びたいのか、大学に行く目的が見つからないと言う。それからはいろんな説得を試みたのだけれど彼女の気持ちを変えることはできなかった。

結局クラスでは彼女だけが進路が決まらないまま卒業することになった。1年生の時からずっと自分になついてきてくれた子で、その子の進路をちゃんと決めてあげられなかったことが何よりの心残りだった。卒業してからは薬局で働いているというのは知っていた。それが昨年のクラスの同窓会の時に仙台で暮らしていて今日は来られないのだというのを聞いた。どうして仙台にいるのかと思ったのだけど、その理由がどうにもよく分らない。そんなことで、彼女からメールを受け取った時はどうしても会わなければと思ったのだ。

土曜日の夕方5時半に仙台駅の新幹線入口で待ち合わせる。5分ぐらい前に階段を上がっていくとそれらしき女の子が立っているのが見えた。いや、もう女の子とは言わないね。素敵な女性になっていた。その子の顔を見た時の安心感、どのように表現したら分かってもらえるだろう。ちょうど夕食時だからご飯を食べながら話をしようということになって、彼女のお勧めらしき牛タン専門店に入る。運よくカウンターの席が空いていて待つことなく座ることができた。このすぐ後でたくさんのお客さんがやってきたから実にタイミングが良かった。

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何を話して何を聞いたのかあまり覚えていないのだが、思いつくままにいろんな話をしたのだけは覚えている。ここに詳しくは書かないけれど、今は好きな人と暮らし、好きな人と同じ会社で働いているという。その話しぶりからは幸せな感じがよく伝わってきて、ごいさんも一安心だ。卒業の時の彼女はとても不安定に思えたから、今の落ち着いた彼女を見ていて本当に嬉しく思う。

楽しい時間はあっという間に過ぎて、気がついてみればもう3時間も話していた。お店を後にして駅までブラブラと歩いていく。神奈川県から400キロも離れたところをこうして教え子と二人で歩くなんて不思議な感覚だ。そうして改めて思ったんだ。彼らがどこで暮らしていても、彼らの心の中には昔の担任の自分がちゃんといるのだと。だから自分も彼らの担任であったことを決して忘れちゃいけないのだってね。

突然の再会でまた素敵な思い出が一つ増えた。そしてごいさんの抱えていた悩みが一つ消えた。

 

『この子たちの残した3年分の学級日誌』f:id:goisan:20171007173649j:plain

 

「東北・みやぎ復興マラソン 2017」を走る ~ 後 ~

阿武隈川にかかる亘理大橋を渡って亘理町に入るとまもなく10キロ地点だ。大震災の記憶がよみがえる。ここでも総出でランナーを出迎えてくれていて、「ありがとう」の声があちこちで聞こえる。それに応えて多くのランナーからも「ありがとう」という声が返される。正に気持ちが一つになった、そんな感じだった。ここが最初の折り返し地点で、10キロまでの5キロは26分34秒。

しばらくして海沿いの道路に出る。ただ真っ直ぐに延びた道があるだけで他には何もない。右側には防潮堤があって直接に海を見ることはできない。一瞬ですべてが飲み尽くされた正にその場所を今走っている。これが10キロ近くにも及ぶのだ。応援の方もさすがにここまでは来られないようで、ここではランナーの走る音だけが響く。太陽が背後から容赦なく照りつけている。この辺から少しずつ落ちてくるランナーが出始める。それを確実に拾いながら少しずつ抜き返していく。15キロまでの5キロが26分20秒、20キロまでの5キロが26分43秒。

23キロ地点のエイドはちょうどスタート地点の近くの場所にある。あと10キロほど行って帰ってくればゴールだ。これならなんとかいけるという気持ちになったところでまたアクシデント。給水の時に前を歩いていたランナーと接触しそうになって横に避けたところでまた腰をひねってしまった。大したこともないのだが今日はやけに気になってしまう。

25キロまでの5キロは26分47秒で凌いだが、その辺から少しずつタイムが落ち始める。不安な気持ちとそれに追い打ちをかけるような今日の暑さで、予想以上に体力を消耗しているようだ。30キロまでの5キロは28分32秒かかった。そして32キロ地点は最後の折り返しの場所。本当にたくさんの人が応援してくれている。そんな声援に小さく手を振るのがやっとの状態。この時の自分はこの復興の道を走り切りたいという気持ちだけが支えだった。何が何でも最後まで走り通したいのだと。

35キロまでの5キロが28分46秒。そして40キロまでの5キロが29分24秒。タイムはかなり落ちたがそれでも自分を抜いていく人は思ったほどにいない。残り2キロとなってこれで走り切れるという思いからか思わず顔がにやけてしまう。途中では4時間を切るのも難しいかと頭をよぎったこともあったが、フィニッシュ地点にいるバンビさんやいつも応援してくれているカメキチさんやブナさん、それとブログで励ましていただいている皆さんを思い浮かべると簡単には諦められない。自分の書く頑張ったという記事を読んでほしいのだ。それにだいたいが倒れるほど弱ってはいない。そういう思いで懸命に腕を振ってゴールに飛び込んだ。タイムは3時間52分55秒。

思った走りはできなかったが、走り切れたことに十分満足している。それに走って本当に良かったと思う。沿道でのたくさんの人たちの応援はとても温かだった。そしてボランティアの皆さまからの励ましも素晴らしかった。大会関係の方々も含めて、皆さんの復興に対する熱い思い、しっかり伝わってきました。これからも気持ちは一つ、東日本大震災のことは忘れません。大変お世話になりました。ありがとうございました。

 

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