記事が書けないよ

最近なかなか記事が書けない。なんて一流作家みたいなことを言ったけど、ここのところ書いては止め、書いては止めという状態が続いている。頭には書きたいことが浮かぶのだけど、じゃあそれで何が言いたいのと考えたらそこから先が進まない。たかがブログじゃないの。思いついたことをそのまま書けばいいじゃんって思うよね。でもそれじゃ嫌なんだ。もちろん思いついたことはメモってあるからいずれ書ける時が来るかな。と、まずはそんな言い訳を先にさせていただいて。

そういうわけで今日の記事も上手くまとまりそうもないのだけど、このままだと「書かなくてもいいや」なんて自分をどんどん甘やかしそうなので、とりあえず書くだけは書いてみることにした。読んでいただく皆さんには申し訳ないのだけど。

さて先日のハイテクハーフマラソンの後の食事会で、ラン仲間のS田さん、Y村さんと3人で会話した時に思ったことだ。まだ現役で働いている彼ら2人の会話は実に生き生きとしていて、そこにすっと加われない自分に気がついたのだ。職場はどんどん変化していて、今さら昔の話を持ち出してもしょうがない。まだ仕事を離れて1年も経っていないのにずいぶんと遠くの世界になってしまったものだと思った。

でもそれは自分で決めたことだ。自分は残りの人生を全く違った形で歩もうと決めた。もちろん教員をしたという事実とたくさんの教え子たちとの思い出は消えることはない。そうして昨年の4月からは働くのを完全に止めて、英語の勉強を中心とした生活に入った。昼間は家で一人で過ごし、話す相手はパソコンモニターの向こうにいるオンライン英会話のフィリピンの子だけだ。1レッスンは30分ほどでそれを2~3レッスン受ける。それぞれの前後に1時間半程度の復習やら予習やらをする。それに自分なりに文法や単語の勉強をして、平均して一日7~8時間ほどの勉強時間と言ったところだろうか。一日はあっという間だ。

今の気持ちは未来を追いかけていた浪人時代に戻ったような気分。あの時もこんな感じだった。夜間の予備校に通いながら、昼間は家で一人で勉強していた。友人との付き合いも合格するまでは一切絶った。自分は本当に弱い人間で誰かが傍にいるとすぐに流されてしまうから。さすがに今はそんなわけには行かないが、それでも人との付き合いはかなり減らした。そして自分が教員をしていたという事実も遠ざけようとしている。その時の成功体験からどうしても目的を達したい時は自分を隔離するのが一番だと知ったから。

今の自分は、昔のことを思うよりも、今までとは全く違った新しい自分になれるのを待ち焦がれている。今は何よりもその新しい自分づくりに全力を傾ける時……だ。

久し振りの大雪?朝は銀世界だな。f:id:goisan:20180122160928j:plain

 

2018 ハイテクハーフマラソン

日曜日に荒川河川敷で行われたハイテクハーフマラソンに参戦してきた。この大会は上流に向かって折り返して戻ってくるのと下流に向かって折り返してくる2つのコースに分かれている。どちらかといえば先に上流に向かった方が気分的に優位だろう。帰りは強めの北風を背に受けてスピードアップも図れそうだ。

しかし今回のごいさんは久しぶりの下流組となった。先に追い風を受けて下るのだが後半は上流に向かってしかもけっこうな向かい風を受けて走ることになる。相変わらず首が痛いだとか腰が痛いだとか言っている自分だからタイムのことはあまり考えていないが、それでも後半のことを考えるとモチベーションが上がらない。しいて前向きの理由を挙げるなら、久しぶりに仲間と一緒に走れるということかしら。

今回の参加はS田さん、Y村さん、そして自分の3人。S田さんが少し遅れたので会場に着いたのは9時を少し回った辺り。早速着替えて荷物を預ける。去年の荷物預けのことが頭にあったが今年は改善されていてとてもスムース。ところが問題はトイレ。待つこと30分。やっと用を済ませてスタートの列に並んだのはスタートの3分前。ろくにストレッチもアップもできずにスタートすることになった。

第1ウェーブだからなのか周りが異様に速い。スタートの号砲と共にみんな全力ダッシュといった感じだ。ついていこうとするが両側からばんばん抜かれる。タイムは最初の1キロが4分51秒、次が4分44秒。それほど遅いとも思わないのだが、まだまだ後ろから続々と飛び出してくる。5~6キロを過ぎて全体がようやく安定してくる。追い風のうちにもう少し飛ばしたい気持ちもあるのだが、後半のことを考えると慎重になってしまう。

10キロ地点を47分44秒で通過。そうして折り返しになるのだがUターンのコーンを回った瞬間に強い向かい風を受ける。一気に気持ちが萎える。それでも友達とのすれ違いゾーンだから見栄を張って腕を振る。11キロ、12キロとそれぞれの1キロは向かい風を受けながらもぎりぎりで4分台をキープ。精神力さえ保てればこのまま行けるだろうという感じだったから、ここは修練の場と考えることにした。

18キロを過ぎたところで土手に駆け上るのだがこの19キロまでの1キロで初めて5分19秒と5分台に乗せてしまった。次の1キロも風に煽られて5分11秒。最後の1キロはきっちり締めようということで何とか4分台に戻す。ゴール直前で聞き覚えのあるびあーさんの声。それを合図に最後の100mは全力疾走(一応ね)でフィニッシュ。タイムは1時間43分19秒。まずまず。S田さんはハーフの自己ベストを更新してちょっと得意げ?次の館山では念願のサブ4.5をどうやら達成できそう…だね。

さて帰りに打ち上げ兼新年会となるのだが、暮れからY村さんが調子を崩していたというのもあって今日は軽く食事をしてお別れということになった。久しぶりにみんなと会ってゆっくり飲めるのを楽しみにしていたからちょっぴり残念。でもしょうがないね。次回を楽しみにしよう。

 

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お正月の行動記録

年が明けて1週間が過ぎ、一昨日は成人の日(自分にはまだ成人の日は15日というイメージが強いのだけど)だった。テレビの映像には艶やかな格好をした若者の姿が映し出されている。一方で、振袖を依頼した会社と連絡が取れずに注文した晴れ着を着られなかったという子が多数いたというニュースが繰り返し流されていた。その悲しい思いはその子の親も一緒だろう。子育ての節目としての成人式。親の思いもいかばかりだと思う。

そうして学校では3学期が始まった。昔は初日は始業式ぐらいで終わっていたのが、最近ではいきなり平常の6時間授業で始まる学校が多い。お正月気分がどうのこうのなんて言っている暇もない。いきなりトップスピードでレースに参加するようなものだ。今どきの高校生は昔のようにのんびりとお正月も過ごせない。

高校3年生にとってはすぐにセンター試験があり大学受験が始まる。当然冬休みもお正月気分も味わえなかっただろう。それとこの時期はうかつに風邪を引くことも許されない。家族もしばらくは緊張する日が続く。ともあれ受験生で頑張ってきた子たちにはその目標が達せられることを望む。もちろん大学は合格して終わりじゃないね。そこから真の勉強が始まる。

さて前置き?はこれくらいにして、今日は自分の正月のことを少し書き留めておきたい。

1日は年が明けてすぐに近くのお寺に初詣に出かけた。初めて来たのは下の子が中学受験の年だった。どうにか希望の学校に受かることができて、それからは毎年来ている。明け方、初日の出を見ようと裏手にある丘に上る。しばらくして遠く向こうの地平線にぽっかりと太陽が姿を現す。家族の健康と無事を祈る。午後はこのところ恒例としている父の所への墓参りランニングだ。往復30キロ。風もなくのんびり走ってちょうど良い。お墓を少しばかり綺麗にして父と乾杯。生きている時は実現できなかったことだ。ちょっとだけ親子の気分を味わう。

2日は実家の母を訪ねる。何も作れないと言いながら、煮豆や煮物、からあげやらなんやらと準備して待っていてくれる。味覚が馬鹿になっているからと言い訳しながら味はどうだと聞いてくるから、昔と同じだよ、美味しいよと答える。ついつい調子に乗って飲み過ぎた。

3日は箱根駅伝を見て一日が終わる。往路の結果から青山の圧勝は予定通りといったところ。2月4日の神奈川マラソンで彼らの走りを直に見られるのが今から楽しみだ。

4日は銀座の英会話学校に出向く。ついでに皇居を3周ばかり走る。

5日は浅草寺に初詣。これもこのところの行事にしている。そうしていつもの店でもんじゃを食べて帰ってくる。ただそれだけのことなのだけど。

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6日はテニス始め。午前中2時間ほどやってその後ファミリーレストランで昼食を取りながら2時間ほど話に興ずる。みんな知識が豊富だから聞いているだけで十分に楽しい。

そして7日は久しぶりに湘南海岸を走りに行った。江の島も富士山も澄んでいてとても美しかった。距離は24キロほど。う~ん、ビールが旨い。

書き出してみると、けっこう活発なもんだ。やっぱりじっとしているのは苦手らしい。

 

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2018年、今年の目標

早くも三が日が終わってしまうということで、いつものように今年の目標を決めなければと思い記事を書くことにした。そこで過去の記事を読み返したのだが、去年も一昨年もなかなか意欲的な文章を書いていた。そうだよね、目標ぐらいはこのくらいの意欲をもって書かなければ達成なんてできるわけがない。

毎年のように英語のことが書いてあるのは、多分に学習が進んでいない証拠だね。でも今年はちょっと違う。昨年1年間で確かな手ごたえを感じた。実際にニューヨークに行ってみて海外に行くという緊張感や不安感はだいぶ薄らいだ。それから、英語力を身につけることで自分の世界が広がるというのを実感できた。できれば今年中には使える目途をつけたいからやれるだけのことをやってみようと思う。今年の最大の目標だ。

次はマラソンだが、一昨年の記事にはもの凄くやる気が感じられることを書いてあって、そしてその通りにサブ3.5を達成した。そこで今年の目標はとなるのだが、それが以前のように意欲が湧いてこないのだ。サブ3.5を達成した時の頑張りをこれからも続けられるという自信がない。働いていないのだから練習する時間なんてたくさんあるだろうにと思われるだろうが、それが意外とそうでもない。

それと自分の中で一定の評価を下してしまっているというのが大きい。初めはサブ4もままならなかった自分がサブ3.5を達成してしまったのだからね。この先、1分、2分縮めてもと思ってしまう。ただ、マラソンを通してたくさんの方とも知り合えたのだからもう少し続けようと思う。世界を歩くという夢を叶えるためにもそこそこの体力はつけておかなければならないし。ただ大会の方は原点に返って楽しむことを優先しようかななんて考えている。

最後にこのブログについてだけど、飽きやすい自分にしてはよく続いていると感心する。これも多分に読者の皆さんの支えのおかげだと思う。ありがたいことです。ただ最初の頃の勢いがだいぶなくなっているのは事実。一つの記事を書くのに何時間もかかるような状態だから、英語やマラソンとの両立がけっこう難しい。それでもやはりブログは楽しいし学ぶことも多くて刺激にもなる。それと自分の目標として1,000記事は書きたいと考えている。昨年の最後にようやく500記事を達成した。この感じでいけばあと5~6年ぐらいで達成できるかしら。まずは一つの区切りとしてそれまでは頑張ろうと思っている。

さて容量の少ない自分にとってはこれで手一杯という所なのだが、他にもやりたいことはいくつもある。例えば、本を毎月1冊は読む、映画も毎月1本観に行く。手話も習いたい。他にお花やお茶なんかもと切りがない。でも英語の方の目途がつくまでは難しそうだ。もちろんできる範囲ではやるけど目標として掲げるには至らない。ともあれすべては英語を片づけてからのお楽しみとしておこう。

ここまで書いたところで、暮れの振り返りの時にどんなことを書くのか自分でも楽しみになってきた。

 

初日の出f:id:goisan:20180101065638j:plain

 

今年を振り返って ~ その2~

初めになぜ自分は英語を始めようと思ったのかについて触れておきたい。だいぶ前の記事にも書いたのだが、自分の人生でやり残したことがあるとすれば何だろうと考えた時に出した結論だった。それは50を過ぎて定年退職が視野に入ってきた頃だ。退職後をどう生きていくかとしばらく真剣に考えてみたのだ。それまでの仕事を何かしらの形で続けていくか、それとも物見遊山の旅にでも出ようかとか。

そしてその時に考えたのが、還暦で振出しに戻るのを機に20歳ぐらいの気持ちに戻って二度目の人生を歩めないだろうかということ。それは決して人生のやり直しではなく、全く別のもう一度の人生を生きてみること。今までの人生では経験できなかったような全く違った世界で生きてみたいと思ったのだ。

20歳と言えば大学生だ。そこで、もし再び大学に行くとしたら何を学びたいかと考えてみた。そうした時に、自分がかって大学生の時に外国語の学習が面白くなって、英語の他にドイツ語、ロシア語それにフランス語と手当たり次第に授業を受けたのを思い出した。もっとも専門の物理の方が忙しくて片手間にやっている程度だったから結局は物にはならなかった。でも興味があったのは確かだ。だから今度の人生は、その語学を使って世界を歩き回るというのはどうだろう。そんな生き方をしてみたいと考えたのだ。

実際はこの4年間は働きながらだったのであまり進化もできなかった。そこで今年は思い切って仕事を辞め、英語の学習に集中することにしたのだ。仕事を辞めて増えた自由時間はそっくり英語の学習に割り当てることにした。いや実際はそれ以上で、その結果としてランニングの練習とブログを書くことが疎かになってしまった。

さてここからが今日の本題とも言うべきマラソンの話になる。昨年はサブ3.5を達成するべく意欲に燃えていたから、練習もかなり真剣だった。これもまた昔の記事に書いたことだが、もともと練習嫌いなごいさんでも常時4時間を切れるようになって少しばかり欲が出た。もしかしたらもう少しいいタイムを出せるんじゃないかってね。もうその時は60歳を越えていたから、今頑張らなければ後で後悔するんじゃないか。それで1年間だけでも真面目にやってみようと考えたのだ。

月間200キロ以上を走り、それも常に全力に近い状態で走った。そうしたら面白いくらいにタイムが縮まっていく。そうしてそれから1年後の去年の大阪マラソンでとうとうサブ3.5を達成できた。ただ若い人のようにそれでは次へということにならないけど、それでもその時はまだ少しでもタイムを縮めようという意欲はあった。

ところが、4月から英語の学習が始まるとそちらに気持ちを奪われるようになる。月間200キロは走るものの去年のような勢いはなくなった。それと9月に入って腰を痛めたことが拍車をかけた。今もまだ違和感があるのと他にも痛みが出てきたりして、自分の走りもそろそろ転換期を迎えているのだろうかなどと思ったりしている。

一定のタイムは維持したいけど、これからは長く楽しく走り続けられるようなそんな走りを考えていかなければいけないのだろうか。まだ頑張りたい、もう頑張れない。心の中で葛藤が続いている。

 

夕日って、いつ見てもいい。f:id:goisan:20171224160214j:plain

 

今年を振り返って ~ その1~

今年は久しぶりに大きな変化のあった年となった。それはなんと言っても40年も働いてきた仕事から完全撤退したことだ。そして50歳ごろからずっと思い描いてきた英語の勉強に没頭することにしたのだ。それによって4月からの日々の生活は激変した。その時はそう思わなかったのだがこうして振り返ってみるとその大きさを改めて認識する。

本来なら定年を迎えた時にそうするはずだったのだが、やれ税金対策だとか収入がなくなるのは不安だとかいろんな理由を見つけては仕事を継続することした。本当のところは自信がなかったのだと思う。それでも仕事の量が減れば少しは英語の勉強もはかどるだろうぐらいには考えていたのだが、結局は生徒や学校のことを引きずってそれもままならなかった。そうこうしているうちに4年という月日が(あっという間に)過ぎてしまった。

この4月からは英会話スクールに通い始めオンライン英会話も始めた。合間にはラジオ講座も聞く。最初の3ヶ月はやり方もよく分からずにもたもたしていたのだが、夏になって気合いを入れ直した。11月にはニューヨークに行くことが決まっていた。せっかくだから向こうで会話も楽しみたい。そんなわけで7月以降は平均して6~7時間やるようにした。講師の関係で真夜中にレッスンを受けることもたびたびだった。

そのしわ寄せをまともに受けたのがブログを書くことだった。もともと文章を作るのは苦手で、一つの記事を書くのに3~4時間かかっていた。それにブログの散歩もしなければいけない。その時間を確保するのが相当に厳しくなった。3日に1記事ぐらいを書いていたのが4~5日で1記事といった具合になってしまった。年間100記事は書けるだろうと思っていたのだが、それも微妙な数字になってきた。適当に書けば帳尻は合わせられそうだけど、大事なブログをそんないい加減には書けない。

実は足りなくなったのは書くという時間だけではなかった。それまでは自由な時間がけっこうあって、そんな時にたわいもないことをあれこれ考えたりするのが好きだった。それが今は頭の中のほとんどを英語が占めていて、それもできなくなった。だから書きたいと思うテーマも見つからない。外出することが減って、見聞きすることも減った。そんなことでますます記事が書けなくなっている。

最後は言い訳がましくなって、自分でも好むところではないが、今のこんな自分を知ってもらうのもいいだろうということでそのまま記事にすることにした。

漠然とだけど、来年もまたいろんな変化が起きそうな予感がしている。

 

イブの日の横浜駅前。最近、クリスマスって盛り上がっている感じがしない。音楽も耳にしないし、スーパーではすでにお正月商品が並んでいる。なんか寂しいんだけど…。f:id:goisan:20171224185428j:plain

 

奈良マラソン ~ 当日編 ~

ホテルの朝食を食べて、7時を少し回ったところで宿を出る。会場に着いてまず思い出すのは去年のこの日のことだ。そう、マルさんとびあーさんに初めてご対面した。その後もマルさんとは京都で、そしてびあーさんとは何度かお会いする機会があった。マルさんは顔全体に優しさがこぼれている感じだ。きっと長い時間をかけて作られてきたのでしょう。来年こそは一緒に打ち上げをしたいものです。

自分は今さら若い頃に戻ってまでとはまったく思わないのだが、でももし若かったらと考えることはある。その時にびあーさんや古本屋さんたちのような若手のはてブロランナーに自分を投影することがある。びあーさんに初めて会った時、こういう子たちを応援していくだけでも楽しいだろうなあなんて思ったりしたのだった。

さて思い出話はこれくらいにして、今年は一人ぼっち。ちょっと寂しい…かな。さて今回の目標タイムはとなると、今年のこれまでのレースを考えるとどうしても前向きになれない。どうやっても去年のタイムをクリアするのは難しい。最初から弱腰になるのは好きではないけど、とりあえず「ぜんざいポイント」までは自分らしく頑張ってみようと考えた。後はレースの終盤で応援の人たちに感謝の気持ちを示しながら走り切ることだ。

9時に号砲が鳴る。会場でもらった寒さ除けのポンチョを脱ぎ捨てる。去年は走ることだけを考えていて景色を見る余裕がなかったから、今年はそれも楽しんでいきたい。今回は去年から一つ上がってCブロックからのスタートだ。周りもそれなりのスピードがあって混雑もそれほど苦にならない。最初の1キロは5分21秒とまずまずの出だし。

しばらくして平城京朱雀門が見えてくる。もうすぐ5キロの折り返しだ。Uターンして近鉄奈良駅を通り過ぎ奈良公園に入ると10キロランナーと並走する形となる。そうして最初の10キロ地点。51分09秒で通過。15キロを過ぎて長い上り坂が始まる。途中で奈良マラソン名物の忌野清志郎さんとハイタッチ。上りきった少し行った所が20キロ地点でこの10キロは51分00秒。今度は急な下り坂が1キロ余り続いて、この5キロを24分52秒で走る。

ここで待ちに待ったぜんざいのエイドスポットの登場だ。走りの調子がまずまずということで一瞬ためらったのだけど、やはりここでのぜんざいはしっかり食べていかなきゃと思った。ここでのロスとこの後にコース最大の上り坂があったことで次の5キロは30分02秒かかった。昨年より無理をしていないせいか気持ち的にはまずまずなのだが足の動きは俄然鈍くなる。それほどの上りはないはずなのに時々現れる緩い坂道が上りきれない。

40キロまでの10キロは56分53秒。今年のごいさんはこの最後の10キロが以前のように粘れない。それでも最後の4キロは沿道からの声援にも応えられたしハイタッチもして結構楽しめた。なんとか笑顔も見せられた。そうして3時間46分15秒でフィニッシュ。タイム的には昨年より7分ほど遅いけど、今の自分はこれで目一杯…かな。

最後に、応援の皆さまやボランティアの皆さま、大会関係の皆さま、皆さまの声援のおかげで、最後まで頑張ることができました。ありがとうございました。

 

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