鳥取散歩

家を出る時は土砂降りの雨。駅まで行く数分の間に全身びしょ濡れ。風も強くて欠航も心配したが、予定通りに出発。厚い雲を抜けた後は気持ちの良い青空が広がった。下に敷かれた雲のじゅうたんの凸凹が面白い。f:id:goisan:20180309080146j:plain

鳥取コナン空港では予想通りの雨。レンタサイクルを借りて回ってみようという計画はあっけなく頓挫。それとお目当ての砂の美術館は次回開催の準備のため4月まで閉館中だった。どうしたものかと思案していたら、雨も小ぶりになってきたので、とりあえず砂丘へ行ってみることにした。砂丘に着いた時はすでに雨は止んでいたが、強風が吹き粉雪も舞うなどそうとうに寒い。人影もまばらで、さすがのごいさんも30分で退散。f:id:goisan:20180309115510j:plain

帰りに途中下車して鳥取城跡を見学する。あの秀吉による兵糧攻めの舞台になった城だ。ブラブラと歩いていたら、観光ボランティアの人が寄って来てくれてあれこれと丁寧に説明をしてくれた。やっぱり人から話を聞くのが一番分かりやすいね。

※山頂に本丸があった。f:id:goisan:20180309125400j:plain

※球体の形をした石垣は「巻石垣」と呼ばれ石垣崩落を防止するために築かれた。f:id:goisan:20180309143427j:plain

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二日目は「Gバス」というバスツアーを利用する。昼食がついて4,000円也。参加者は20名ほど。まずは因幡の白兎で有名な白兎海岸、白兎神社に向かう。大国主命と八上姫の仲をこのウサギが取り持ったということでこの神社は縁結びのパワースポットだそうだ。

※右の小さな島が白兎が戻れなくなっていた島。f:id:goisan:20180310102929j:plain

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続いて青谷町での紙すきの体験。こういうのは不器用であまり好きではないのだが興味だけは一人前にある。工房の人に補助してもらいながら紙をすく。その上に色水を垂らしたり切り抜いた紙を置いたりしてデザインを作る。その後で水を吸い取り熱い鉄板で乾かせば見事な和紙の完成だ。これをぐるりと巻いて素敵なランプシェードの出来上がり。不器用な自分でも十分に満足。f:id:goisan:20180310113308j:plain

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城下町「鹿野」を探索。ボランティアガイドの方が城主の方を「亀井さん」と親し気に呼んでいたのが印象に残った。お昼は人気の「すげ笠御膳」。f:id:goisan:20180310133257j:plain

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そして夏泊海岸、魚見台で雄大日本海を一望して、最後の見学地鳥取砂丘に向かう。同じ場所なのに昨日とはだいぶ違う様相だ。この後駅まで戻って6時間余りのバスツアーは終了。f:id:goisan:20180310153413j:plain

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最終日にもう一度砂丘に出向く。快晴の天気だ。風もあまりなく心地よい。思い残しのないように2時間近くたっぷりと歩き回った。天気のいい時は気持ちも晴れやかになるね。では最後に砂丘の写真をたっぷりと。f:id:goisan:20180312102331j:plain

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おまけ。f:id:goisan:20180311144031j:plain

 

鳥取マラソン

名古屋ウィメンズマラソン、古河はなももマラソンと盛り上がっていたこの前の日曜日、自分は鳥取ラソンに参加してきた。4,000人ほどのアットホーム的な大会だ。天気予報は晴れで暖かくなるということだったが、空は灰色の雲に覆われ寒くてなかなか上着を脱ぐことができない。ゼッケンは申告タイム順のようでごいさんは1,800番台。一般ランナーのゼッケンは1,001番からでその前に陸連登録選手が300人ほどいるから、ごいさんの妥当な順位は1,000番前後だろうと考えた。

荷物預けまもなく終了のアナウンスで仕方なく上着を脱いで荷物を預ける。ゼッケンは申告タイム順のようだがブロックは決められていない。当日の状態で多少の前後はできるようだ。今回の自分の目標は下の写真の通りだ。実のところこれも厳しいかという状態だった。前から痛かった首と腰に加えて、先週の三浦マラソンで左ひざを痛めてしまったのだ。大事を取ってこの一週間は一度も走らなかった。DNSはどうしても嫌だったのとDNFもありかと考えた上でやって来た。

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スタート直後の1キロ余りの急な上り坂はちょうどアップを兼ねる形でそれほど苦に思わなかった。沿道にはたくさんの人がいたが、今回はおじいちゃんやおばあちゃんの応援が特に目に付いた。手を振ると一生懸命に手を振り返してくれるのが嬉しい。やっぱり一週間走っていないのは不安に感じる。足の調子も気になる。いろんなことが入り混じって気持ちは暗くなるのだが、そういう時はその思いを払拭するように積極的に沿道の人に手を振った。

後から応援ナビを見たがスタート時は954番だったからまあ妥当な所に並んでいた。最初の10キロは51分33秒で通過する。順位は641番へと急上昇。次の10キロは50分37秒で順位は614位とどうやら同じレベルのランナー集団に追いついたようだ。ここで第二の大きなアップダウンがやってくる。長い坂道でかなりの辛さだ。そうしてこの10キロは52分22秒でクリア。順位は531位だからこの坂で多くのランナーが脱落した感じだ。

終盤に入ると強い向かい風を受けてますますスタミナを消耗する。それでも35キロまでの5キロはぎりぎり26分台で耐えた。でも気持ちはここまで。ゴールが見えたことで安心したことがあるかもしれない。40キロまでの10キロは55分45秒と落ち込んだ。しかし順位は451位とまだ上昇している。自分も辛いが周りはもっと辛く感じていたのだろう。

そして最後の2キロ、いつものように最後ぐらいはかっこつけたくてそのつもりで走っていたのに、残り600mぐらいのところで急にめまいを感じた。軽いハンガーノックのような症状。慌てて残っていたジェルを補給するのだが、その間にも多くのランナーが通り過ぎていく。その後懸命に走ったけど彼らには追い付かなかった。そしてフィニッシュ。タイムは3時間42分50秒。順位は452位と1つ落とす。最後の200mは苦しい表情丸出しで走った。今回はずっと笑顔で来られたのに最後に来て笑顔を見せられなかったのが心残りとなった。

最後に、応援の皆さん、ボランティアの皆さん、本当にありがとうございました。

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龍馬通りと碑巡り

さて旅の最終日の今日は長崎の一日観光だ。長崎には今まで5回来たけれど、そのすべてが修学旅行の下見や生徒の引率だった。仕事ということもあって行動にはそれなりの制限があったから全く自由に動けるのは今回が初めてということになる。そこで今回は念願だった龍馬通りの探索と、その後に平和公園を中心とした原爆の碑巡りをと考えてみた。

最初に訪れたのは、坂本龍馬のあの有名な写真を撮影したという上野彦馬が眠るというお墓。日本初のプロカメラマンと称される人物だそうだ。f:id:goisan:20180227102926j:plain

続いて風頭公園の展望台に建つ龍馬像と対面。長崎港を行き交う船や長崎の街をどんな思いで見ていたのか。f:id:goisan:20180227103108j:plain

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向かいには司馬遼太郎歴史小説竜馬がゆく」の一節が刻まれた文学碑が建てられている。f:id:goisan:20180227103940j:plain

「若宮稲荷神社」には、龍馬を始め多くの志士たちが参拝したという。f:id:goisan:20180227110027j:plain

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亀山社中資料展示場」は、"亀山社中ば活かす会"という地元の龍馬ファンが運営する資料館だそうだ。どうりで中にいたおじさんが龍馬のことをやたら熱く語るはずだ。f:id:goisan:20180227110306j:plain

長崎市亀山社中記念館」。亀山社中はご存知の通り龍馬とその同志が興した日本初の商社。f:id:goisan:20180227112607j:plain

「龍馬のぶーつ像」。早速ごいさんもブーツを履いて記念撮影。f:id:goisan:20180227112451j:plain

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龍馬通りに設置されている案内板が何ともユニークで面白い。f:id:goisan:20180227113808j:plain

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龍馬通りを抜けて中島川沿いに歩いて行くと眼鏡橋が見えてきた。中国の旧正月を祝う「春節祭」と合わせて「長崎ランタンフェスティバル」が行われていて、眼鏡橋周辺もずいぶんと賑わっていた。f:id:goisan:20180227121440j:plain

お昼は「吉宗」の茶わん蒸し定食をと思っていたのだがご覧の通りの長蛇の列。30年前はガラガラだったんだけどなあ。f:id:goisan:20180227121250j:plain

午後は浦上地区の散策ということで、まずは城山小学校の「少年平和象」。在校生約1,500名のうち、約1,400名が爆死したという。f:id:goisan:20180227135259j:plain

原子爆弾落下中心地碑。f:id:goisan:20180227140802j:plain

「平和記念象」。上に指した右手は原爆を、水平に伸ばした左手は平和を示し、顔は戦争犠牲者の冥福を祈る。f:id:goisan:20180227141647j:plain

山里小学校にある「あの子らの碑」。1,581人の児童のうちおよそ1,300人が死亡、教職員32名中28名が死亡。f:id:goisan:20180227145718j:plain

「如己堂」。永井隆博士が晩年を過ごし、多くの本を著した僅か2畳ほどの住居。f:id:goisan:20180227143114j:plain

浦上天主堂」。被爆遺構として保存しようという声があったが、保存困難ということで全面撤去され元の美しい姿に復元された。f:id:goisan:20180227151350j:plain

天主堂の前の植え込みには、黒く焼け焦げた聖人達の石像が並ぶ。f:id:goisan:20180227151424j:plain

浦上天主堂前の道路のガード壁面に刻まれている「長崎の鐘」の楽譜の一部。f:id:goisan:20180227152025j:plain

山王神社の「片足鳥居」。強烈な爆風に耐え、今なお奇跡的に立ち続けている。f:id:goisan:20180227154708j:plain

散策はこれにて終了。最後まで読んでいただきありがとうございました。

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長崎の友

翌日は福江島をぐるりと一周する予定でレンタカーを借りる。前日の雨中のマラソン大会とは違って良く晴れた絶好の観光日和となった。最初に向かったのは大瀬崎灯台。長崎出身の友だちや五島を訪れたことのある仲間が口をそろえて、「ここは絶対に行くべきだ」と言う。駐車場に車を止め、展望台に上がると東シナ海の海が目に飛び込んできた。その真っ青な海に突き出るようにして真っ白な灯台が立っている。f:id:goisan:20180226102520j:plain

次に荒川温泉に寄って足湯に浸かってから高浜海水浴場に向かう。これが見たこともないくらいに美しい光景だ。写真の通りの見事なエメラルドグリーンの海。夏はバナナボートやマリンジェットも登場するというからさぞや賑わうことだろう。それから前日に走ったマラソンコースを辿りながら遣唐使ふるさと館に向かう。一番苦しい最後の10キロのところだ。前日だったはずなのにすでに懐かしく感じる。エイドでおばさんたちと話しをしながらかんころ餅を食べたのを思い出す。f:id:goisan:20180226130637j:plain

最後に向かったのは堂崎教会。井持浦教会、貝津教会、水ノ浦教会と見てきて4つ目になる。後で友達に聞いて知ったのだが、五島列島には50の教会があるという。今回は4つしか見てないので大それたことは言えないのだが、教会の静寂の中に身を置いてみると、信徒ではない自分でもそれまでの歴史のことやそこに住む人たちの思いが伝わってくるような気がしたのだった。f:id:goisan:20180226152444j:plain

こうして約6時間のドライブを終えて、16時30分の高速船に乗り福江島を後にする。長崎港に18時10分に到着。すぐにいちごさんご夫妻との待ち合わせ場所、長崎駅に向かう。前回の記事に書いたけれど、いちごさんご夫妻との最初の対面は本当に意外なものだった。トップのランナーが走り過ぎるのからずっと見ていたというから、それからごいさんが来るまでは30分ぐらいはあっただろう。雨の降る寒い中をずっと待っていてくれたのに、ろくに声をかけることもハイタッチすることもできなかった。f:id:goisan:20180226185231j:plain

でもこのサプライズ、後でよく考えてみたら、いちごさんたちなら十分にあり得ることだと思った。ウサギマンさんのことがあったから、少し考えたならば予測できたのかもしれない。それでも高速船を使ってその日の朝にやってきてそして帰るという。例え思ったにしてもそうそうできるものではない。それをやってしまうところにお二人の気持ちが現れているように思えた。

この横断幕もお二人がどのような話をしながら作ったのだろうと考えただけで心が温かくなってくる。出来栄えからしてかなりの時間がかかったのではないか。それに道具を買いそろえる時間もあったはず。そこに自分はいなかったけどその時のお二人の心の中には確かにごいさんが存在していた。そう思うだけで何だか嬉しくなるのだ。f:id:goisan:20180212142912j:plain

お二人とはラソンの後に福江港の待合所で再会していて、その時はもう既知の友という感じで緊張感や違和感を抱くこともなく普通に会話ができた。そして長崎で再びの再会となった。いちごさんは仕事の帰りということで、この日はネクタイにスーツ姿がよく似合っていた。あっという間の3時間だったけど、たくさんの話が聞けてとても有意義だった。これでブログを読むのがまた楽しみとなりました。

 

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ごいさん、五島列島を走る

長崎出身の友人が盛んに五島に行くことを勧めるのと、長崎に住むブログ友のいちご一笑さんにお会いするのを目的に、先月25日の日曜日に五島つばきマラソンを走ってきた。

前日は福江港の近くに宿をとる。天気も良く当日が楽しみだったのだが、朝起きてみると雨が降っていてあいにくの天気。スタート直前にはだいぶ雨足も強くなってきた。大会の種目はフルとハーフ、それにフルのリレーとあって総勢で700人ほどの参加者だという。フルは300人といったところだ。当然スタートロスもなく、混戦もない。スタートの号砲が鳴るとみんな一斉に勢いよく飛び出していく。自分は早い方じゃないかと思っていたけどいきなり置いてけぼりをくった感じだ。

その後もどんどん抜かされて後方に追いやられていく。最初の1キロは5分16秒だからそれほど遅いわけではない。ようやく5キロを過ぎた辺りでエンジンがかかり始め、少しずつ前を捉えられるようになる。そうして迎えた10キロ過ぎの最初の急坂。まだ足に疲れがないせいか思ったほどに苦しまなかったが、だいぶ足への負担を感じた。下りもまたかなりの急坂で膝や首への負担が大きい。

何回かのアップダウンを終えてスタート地点の傍まで戻ってくると中間地点だ。実はその直前に大きなサプライズがあった。「まだ半分」と疲れ切った表情で前方を見た時に「ごいさん頑張れ」という横断幕が目に飛び込んできたのだ。同じような名前の人もいるものだと妙に感心しながら通り過ぎようとした時に小さく書かれた「いちご一笑」という文字に気がついた。「あっ!」と叫ぶのと同時に「ごいさん」という掛け声が返ってきた。そう、そのお二人はいちご一笑さんご夫妻だった。長崎にいるはずのお二人がなぜここに?あまりの衝撃で止まることも戻ることも忘れ、ただ手を振るだけで通り過ぎてしまった。でも確かにお二人からはたくさんの元気を頂いた。しばらくはその余韻に浸りながら走っていた。

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海岸沿いに出てからは小刻みにアップダウンが繰り返され、これがボディブローを受けているような感じなのか。向かい風も激しくてだんだん足が上がらなくなる。35キロを過ぎた辺りから後続のランナーが自分をどんどん抜かしていく。どうみても自分と同じか上ぐらいの人が懸命に走っている。最後のエイドを出るとあと2キロ。さすがにここからは休めない。

いつものように最後だけは格好をつけてフィニッシュ。タイムは3時間45分37秒。一息入れて着替え始めたところで放送が入った。なんと60歳以上の部で3位だという。大勢の前で表彰され、副賞まで頂いてしまった。最後に何人にも抜かされたのだが、彼らのほとんどはハーフのランナーだったことをこの時知った。

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終わってからは豪華バイキング料理でのおもてなし。お刺身、鯖寿司、唐揚げ、五島うどんにカレーライスなどなど。参加賞のTシャツ、五島うどんに完走タオルと、これで5,000円の参加料では大赤字じゃないかと思った。規模も大きくなく沿道の人も多いわけではないが、本当に応援は温かい。エイドの皆さんも雨の中をみんな一生懸命だった。この町を盛り上げたいという気持ちが十分に伝わってきた。

五島の皆さん、応援に、ボランティアに、本当にありがとう。お世話になりました。

 

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米寿

20日は母の88歳の誕生日だった。いつものように丸いケーキを買う。それに今回は特別に8の数字のろうそくを2つ付けた。少し耳が遠くなったのと味が分からなくなったと嘆く以外はとりあえず元気に過ごしている。朝はご飯、お昼は自分で作った餡子を挟んだサンドイッチ。夜はご飯以外にもお餅だったりうどんだったりとバリエーションを変えては楽しんでいるようだ。お猪口に一杯程度の晩酌も欠かさない。

月、水、金の午前中はゲートボールに出かける。他の日はゲートボールの代わりに5,000歩のウォーキングを日課としている、午後はもっぱらテレビ観戦だ。相撲、プロレス、バスケット、卓球、バドミントン、バレーボールなどほとんどがスポーツ番組だ。観ているうちにルールを覚えたようで得意顔であれこれと解説してくれる。それと選手の名前もけっこう覚えていて、お目当ての選手もいるらしい。

88歳は母にとっても節目の年だったのだろうか。ケーキにろうそくを立て吹き消した時に少し涙がこぼれたように見えた。何か思うことがあったのか。そう言えば、母の涙っていつ見ただろう。小さい頃から父との喧嘩はしょっちゅうだったけれど母が泣いているのを見た記憶がない。だから今日の母の涙を見るのは自分としては初めての体験だった。不思議な感情だった。そんな自分に気づいた母は、照れ臭そうに「さあ食べよう」と言って熱いお茶を入れてくれた。

自分が小さい時、クリスマスの日だけこの丸いケーキが食べられた。自分と妹が旨そうに食べているのをニコニコして見ている母の顔が思い浮かぶ。最近は甘いのを控え目にしているのだけど、今日は特別だ。四分の一ぐらいに切ってくれたのを一気に頬張る。それを見ていた母の表情はやっぱり嬉しそうだった。そうして母も美味しそうに食べ始めた。

母は自分に会うたびに「幸せだ、幸せだ」を繰り返す。こちらが恥ずかしくなるくらいだが、本人がそれだけ言うならそうなんだろうと思うことにしている。それで自分も最近は「ありがとう」を連発することにした。小さい頃は、くつ下や服やズボンのつぎ当てを見ては新しいのを買ってくれと駄々をこねたり、焼き魚や煮物のおかずを見てはハンバーグやスパゲティが食べたいと困らせたりした。中学や高校の時は母の言うことにはことごとく逆らっていた。それでも時には新しい服を買ってくれたり密かにハンバーグやスパゲティ作りに挑戦したりしていた。お弁当も高校を卒業するまで毎日作り続けてくれた。

生徒はもちろんたいていの人には素直に「ありがとう」と言えるのに母にだけはほとんど言ったことがない。若い頃は親が子供を育てるのは当たり前だぐらいに考えていて、「ありがとう」という言葉を口にすることはなかった。それに思っていても口に出すのが恥ずかしかった。でもそれじゃだめだということに最近になってようやく気が付いて、そして母の元気なうちに今まで言えなくて貯まってしまった分の「ありがとう」をきちんと返さなければいけないと思ったのだ。

だから返し終わるまで元気でいてよ。ハッピーバースデイ、母さん!

 

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やっぱり見ちゃう、オリンピック

羽生選手の復活劇は実に見ごたえのあるものだった。最初に行われたショートプログラムでは、想像を超える完ぺきな演技を披露。それに気おされたか金メダル最有力候補のネーサン・チェン選手はミスを続けて自滅。フリーでは最高得点を出しながらもメダルには届かなかった。これで羽生選手のメダル獲得はほぼ間違いないと思った。もちろんドラマ的には金メダル以外にはありえない。彼自身もショートの演技を終えてその思いを強くしたのではないだろうか。

そしてフリーでの演技。ちょっとしたミスはあったものの高得点をマークして予定通りに1位に立つ。続くスペインのハビエル・フェルナンデス選手は逆転への意識からか4回転ジャンプでの大きなミスもあって羽生選手の得点には届かない。そして最終滑走の宇野選手。彼にも羽生選手を上回る可能性はあったと思うのだが最初の4回転で転倒。たいがいこういった後は気落ちしてしまうのではないかと思うのだけどそれからが宇野選手の真骨頂だった。残りの演技をパーフェクトにこなし高得点を挙げる。羽生選手には届かなかったがそれまで2位のフェルナンデス選手を上回って堂々の銀メダルを獲得した。

こうして羽生選手の見事なまでの復活劇は完成した。誰もが期待しながらもそこまでとはと思えるほどの見事な演技は周りの選手をも圧倒した。細い体に優しい顔立ちとは全く違う強く逞しい精神力が輝いていた。今回はミスに泣いたチェン選手や宇野選手とのライバル対決は今後ますます激しさを増すだろうけれど当分彼の時代は続きそうだ。

そして昨日は小平選手がスピードスケート500mで見事に金メダルを獲得した。彼女の長年にわたる絶え間ない努力の結果だ。これまた強靭な精神力が感じられた。世界記録を持って同じように期待された1,500mで銀メダルに甘んじた時のインタビューでは、平静さを装ってはいるもののその言葉の端々に悔しさがにじんでいた。これで少しは自分を納得させられるのではないかな。

それからジャンプの沙羅ちゃんだ。銅メダルが決まった時は思わず両手を合わせてしまった。飛ぶ瞬間まで彼女の顔からは表情が消え悲壮感すら漂っていた。ソチから4年、この平昌では金メダルをと思っていたのが強力なライバルが出現した。正直メダル獲得も厳しい状態だったと思う。まずはメダルを獲得したことで気持ちが楽になったのではないか。インタビューを聞いていると次の北京にも挑戦しそうだ。緊張が和らいで、今回以上の活躍が期待できそうな気がするのだけど。

さて平昌の冬季オリンピックが始まって10日が過ぎた。テレビは朝から晩までオリンピックの報道だ。何度見ても結果は変わらないのについつい見てしまう。後半に入ってもまだまだ楽しみな競技が続くから、もうしばらくはテレビとにらめっこの状態が続きそうだ。これもごいさんのどうしようもない性分の一つ。でもちゃんと勉強はしているよ。その辺のところは少しは成長している。

 

20年以上も前の写真。この頃は毎年冬と春の2回、スキーに行っていた。f:id:goisan:20180219184340j:plain