「晩酌」の時のどうでもいいお話し

ごいさんはどうも大酒飲みの印象が強くて、友人からの旅のお土産や子供たちからの何かのお祝いだとたいがい日本酒、焼酎、ワインといったお酒が届く。確かに父に似て酒には強いと思う。友人と二人で日本酒二升とか焼酎のボトル3本とか半端じゃない飲み方をした時もあった。泊りの宴会で周りがバタバタと寝込んでいく時もたいがい最後までしぶとく飲んでいた。

でも実はごいさんは晩酌はほとんどしない。夏場でもせいぜい週2度、冬場だと一度も飲まない週もあるくらいだ。つまみは自分で作るのだがこれがけっこう時間がかかる。それなのに、飲むのはよほどでなければビールだから、グビグビっと飲んだらあっという間に飲み干してしまう。仲間の多くは毎日の晩酌を楽しんでいると言うが、だいたい何が楽しくてそんなに長い時間飲めるのかが分からない。

外で飲む時の楽しみはやはり友だちとの会話なのだと思う。話していればつまみは不要だ。餅つきの合いの手の如くうまい具合に酒が進むのだ。いやむしろ酒をつまみにして友と話すといった感じかな。ほどよく酔った感じでの友との語らいはまた一段と楽しい。少しだけ友だちの本音も聞けるし、ちょっとだけ本音も語れる。ごいさんにとって酒を飲むというのはそういうものなのだ。

晩酌をして一人で酔ってもたいして面白くない。酒が入った方が頭の回転が良くなるかと言えば、それは否だと思う。何かから逃げるために酒を飲むのはますます嫌なことだ。酔った頭で思いつくことなんてどうせ大したものじゃない。現役の時、外で飲むのも家で晩酌するのもほとんどが週末。酔った頭で生徒に対応できるほどごいさんの頭は優秀でも柔軟でもなかった。

さてここからが今日の本題。そんなごいさんが晩酌で飲むのは、一番搾りとのどごしの350mlの缶1本ずつ計2本なのだが、未だに悩んでいることがある。それは「どちらを先に飲むか」ということ。一番搾りを2本にすれば問題なしと一笑に付されるかもしれないが、今のごいさんの立場ではそれはちょっと贅沢な気がする。かと言ってのどごし2本じゃ寂しい。

どっちを先に飲んでも変わらないだろうというのが普通だと思うのだが、実はごいさんは丸々2本飲めなくて2本目の三分の一ぐらいを残す習性がある。じゃあ500ml1本にすれば量的にも問題なし、と考えて実際やってみたがやっぱり1本というのが寂しいのだ。そんなことで晩酌と言えばこの2本で定着している。

で、一番搾りを後から飲んで残すくらいなら先に飲むべきだというのが当然だろうけれど、ビール好きの方ならお分かりいただけると思うが、1本目は味わうこともなくあっという間に飲み干してしまうことが多い。これからの季節ならなおさらだ。それだと一番搾りを先に飲むのはもったいない感じがするのだ。そして順番を後に回せば、ゆっくり味わえたとしても三分の一を残すことになる。

鶏が先か、卵が先かみたいなもんで、たまにはどうでもいいことを懸命に考えてみるのも面白い。面倒くさくなって2本同時に開けて交互に飲んでみたこともあるんだけど。未だに結論は出ていない。

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母の日に思うこと

今日は母にとって66回目の母の日だ。でも母の日だなんて意識し始めたのはいつ頃からなんだろう。小学校の頃というのは確かだけれど、その頃はお小遣いなんてもらっていなかったから何かを買ってあげたという記憶はない。代わりにあの頃は肩たたき券とかお手伝い券とかそういうのが流行っていたように思う。多分その頃は何かをプレゼントするというそんな時代ではなかったのかもしれない。

小さい頃から働き詰めの母親を見てきた。朝早く起きて朝食を作り、会社で働いて、帰って来たら夕食の支度、そして夜には遅くまで内職と。そんな母親の夢は、ごいさんが銀行員になってたくさんのお金を稼ぐようになることだった。だからそんなに貧しい中でもそろばん塾に通わせてくれた。そんな母親を喜ばせるのは、家庭訪問や保護者面談の時に担任の先生が褒めてくれること、それと通知表で良い成績をとってくることだった。母はそれで近所の人たちに自慢話をするのを楽しみにしていた。お金のかからない唯一の親孝行だった。

母の誕生日の記事にも書いたけど、88歳の誕生日を迎えてだいぶ体力が衰えてきた感じがする。本当は一人で住むのも辛いのかもしれないと思う。今は週に1度顔を出しているけれど、行くたびに肩が痛い、腕が痛いと嘆くことが増えている。医者に行っても治らないという。「もう年なんだからしょうがないよ。」と言うと、顔を少し曇らせて悲しげだ。趣味だったゲートボールもお年寄り仲間が減って最近はやっていないようだ。歩けなくなると困るからと毎日のように散歩はしているけれどそれもだいぶ行動範囲は狭くなった。今まで母が弱音を吐くなんて聞いたこともなかった。ずっと母は強いと思っていた。

そんな強かった母もここにきて少しずつ子供に戻っているかのようだ。今まで考えもしなかったのだけれど、最近になって母が何を考えながら毎日を過ごしているのかというのが気になり出した。昼間は外も明るいし散歩をしたりして気を紛らわすこともできるだろうけれど、夜になって一人で過ごしている時ってどんなことを考えているのだろうか。病気のことやこれからのことで不安になる時もあるだろう。でも自分の前では決してそんな素振りは見せないのだ。

母の写真を誰に見せても若いねと言ってくれる。毎日散歩をして難解な数独パズルにも挑戦している。炊事、洗濯、布団干しなどの家事も一人でこなす。そんな話をすると誰もが驚き感心する。そうなのだ。昔、母が自分を自慢してくれたように、今は自分が母を自慢している。そしてそんな強い母がいるから、いや強そうにしている母がいてくれるから自分は好きなことをしていられる。母に会うたびに自分も母のように強く生きたいと思う。

でもこれからはもう少し母に会いに行く時間を増やそうと思う。

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春日部大凧マラソン大会 2018

5月4日に埼玉県春日部市で行われた春日部大凧マラソン大会に参加してきた。今回で5度目になる。「えっ、この前のかえるマラソンから一週間も経っていないじゃない。その歳で、お兄ちゃん、馬鹿なんじゃない」って、妹だったら言うだろうな。確かに自分でもそう思う。かえるマラソンを走ろうと考えた時、この大凧マラソンをどうしようかとは考えたのだが、いつも暑さや強い向かい風に負けて未だにまともに走り切っていないから、どうしてももう一度走ってみたいという思いが強かったのだ。

家を6時に出て会場に8時45分に到着。会場では中学生のボランティアの子たちの元気な声が響いていた。職業柄かこういう声を聞いていると妙に元気が出てくる。それにしてもみんないい顔していたなあ。着替えた後でグラウンドで高校生のダンス部の子の指導の下にストレッチ体操。そしてスタート20分前に列に並ぶ。

10時04分、スタートの号砲がなる。この中途半端なスタート時間は電車の運行時間との関係だそうだ。実はコースの3キロの手前に踏切があって電車の通過する前に先頭集団を通らせるという判断だという。当然、みんなそれをクリアしようと若干オーバーペース気味。ごいさんも流れに乗って順調にとばす。踏切まで後200メートルという所で誰かが「あと1分ちょっとあるので踏切は大丈夫。」と大きな声で叫ぶのが聞こえる。と思ったら踏切の直前で警報が鳴りだした。遠ざかって行く踏切の向こうのランナーたちをただ虚しく見やる。

ハーフの大会にしては沿道には応援の人たちが多い。改めていろんな応援の仕方があるものだと感心しながら走る。8キロ地点を過ぎて勝負どころの河川敷に出る。ここから上流に向かうこと8キロ弱だ。気温はだいぶ上昇しているようだ。この日は上流から吹いて来る風が気持ちいいのだが、それでも次第に余裕がなくなってくる。何回もこの辺りで撃沈しているからトラウマになっているのかもしれない。

16キロを過ぎて後は一般道を会場に向かってひたすらに戻るのみ。いつもならここで強い向かい風になるのだが今回はその風がない。ただ暑さのせいでだいぶばててきているのは確か。残り3キロ地点の手前にあるエイドで最後の給水を取って、ここからはノンストップでゴールに向かうことにする。このレース、最大の頑張りどころだ。応援の人も増えてきたから、ちょっとはいいところも見せたい。競技場に入ってから半周ほど回ってフィニッシュ。1時間47分09秒は、踏切で止まったこともあるしまずまずのタイム。自分としては最後の3キロを15分01秒と頑張り通せたのが収穫だ。

終わった後で久しぶりに足が攣ってしまった。今月の20日の奥州きらめきマラソン、昨年のリベンジをしたいと思って参加を決めたのだけど、このところのハーフのレースでどんどん不安が募るばかり。でもしょうがない。あと2週間あるからもうちょっと頑張ってみる。

最後になりましたが、大会関係の皆さま、ボランティアの皆さま、応援してくれた皆さま、皆さまのおかげで気持ちよく走ることができました。暑い中を本当にありがとうございました。

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かえるマラソン

28日、福島県川内村で行われた「川内の郷かえるマラソン」に参加してきた。以前にテレビで取り上げられているのを見た時からいつか走ってみたいと思っていたのだ。ご存知のようにここは福島原発事故に絡んでの避難指示が出された村である。今は8割ほどの村民が戻ってきているということで、現在の村の人口は2,000人余り。f:id:goisan:20180428102310j:plain

このマラソン大会はそんな中、子供たちがたくさんの人にこの村に来てもらいたいという願いから始まったものだという。この日は正に村の人口と同じだけのランナーが集まったことになる。実際に行ってみると若い人たちを中心にその復興への思い、この町を盛り上げていこうという熱い思いがひしひしと伝わってくる。中学生、小学生、幼稚園の子までがボランティアに参加してくれて本当に村ぐるみの温かさが感じられるものだった。

さてそれほどに温かく迎えてくれているのに自分はというと今一つテンションが上がらない。去年まであったあの勢いはどこに行ったのだろう。そんなことでこの日も逃げ腰、弱腰、及び腰。天気は快晴、気温も上昇中。今日は大会名にのっとってかえるの帽子を被って走るつもりなのだけどちょっときつい、それに耳までふさがって暑苦しい。それと向かい風も気になる。逃げる理由はいくらでもある状態。それでもどうにか気持ちを持ち直してスタートラインに立つ。f:id:goisan:20180428120006j:plain

スタートは12時10分。前半はいくつかのアップダウンはあるものの下り基調だから多少時間を稼いでおきたいところ。それに応援してくれている村の人たちを見るとつい見栄を張ってしまう。これがレースの良い所でもあり悪い所でもあり。6キロを過ぎたあたりで折り返してきたあの川内選手とすれ違う。思わず「頑張れ!」っと叫んでしまった。11キロあたりで、背中に「川内ウルトラの母」のゼッケンを付けた女性に追いつく。あの川内選手のお母さんだ。ちょっとだけ言葉を交わせたのは嬉しいハプニング。

スタート地点まで戻ってきてまだ15キロ。ここからいったん遠ざかって行かなければならないのが何とも辛い。これから片道3キロの往復だ。緩い上り坂に向かい風が加わって思うように進まない。18キロを過ぎたところで折り返して、ようやくゴールが見えてきた。それでも最後の500メートルになってさすがにバテる。軽い熱中症的な感じもあった。

その時、地元の中学生が横に並んで「もう少しです。頑張りましょう。」と声をかけてきた。これじゃ頑張るしかない。その子についていく形で必死に腕を振った。ゴール直前で「ラストです。」と言い残して彼はコースを離れた。タイムは1時間45分1秒(60歳台順位は93人中9位)とありきたりだけど、最後に並走して励ましてくれた彼のおかげで最高の気分でフィニッシュできたのが嬉しい。

沿道の応援も会場の雰囲気もアットホームだったし、準備やら何やら何もかもすべて良し。そこにいるだけで温もりが感じられる素敵な大会だった。最後にバスで会場を離れる時もたくさんのボランティアの方たちが名残惜しそうに手を振ってくれていたのも感激だ。来年も参加したい、そんな思いで川内村を後にした。ありがとう、川内村の皆さん!

 

ボストンの優勝メダルを首にかけた川内選手とツーショット。おめでとう、川内選手!f:id:goisan:20180428162812j:plain

 

京都の3日間

京都1日目。この日の午後にrecocaさん、いちごさんと会う予定なのだが、せっかくなので早めに行って伏見方面の散策をしようと考えた。しかし時間的にあまり余裕が無く結局行けたのはこの伏見稲荷だけだった。ご覧のように人人人。それも外国人の方たちがほとんど。そのパワーに圧倒されてしまう。f:id:goisan:20180414104451j:plain

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京都2日目。朝起きると昨夕から降り出した雨が相変わらず降り続いていて、この日に考えていた早朝ランは残念ながら実行できなかった。晴れていれば市内を走って回ろうなんてことも考えていたのだけど、さすがにこの雨じゃ無理だった。とういうことで、昨日に行けなかった同じく伏見にある龍馬ゆかりの寺田屋ともちろん伏見と言えばお酒ということでその辺を回ってみることにした。f:id:goisan:20180415111456j:plain

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酒に夢中になっていて酒蔵の写真を撮るのをすっかり忘れてしまった。f:id:goisan:20180415115942j:plain

午後になって雨が上がり日差しも出てきた。こうなれば走るしかないとソワソワし始める。2時過ぎにいちごさんご夫妻を京都駅でお見送りした後、ホテルに急いで戻り支度をして鴨川へと繰り出す。五条、四条と上がるにつれて人が増えてくる。日曜日ということもあって走っている人もけっこう多い。京都マラソンの時に鴨川は少しだけ走ったのだけど、今日はのんびりのんびりと。この感覚がいい。

鴨川から分かれて高野川沿いに修学院離宮の手前まで上がって北山通りを左に進み植物園前を通ってまた鴨川に出て下りてくる。今出川通りから京都御所に入ってその玉砂利をしっかりと踏みしめてたんたんと走る。一人だけ貸し切りみたいに走ってもったいないような気分だ。御所を抜けて丸太町通りから鴨川に戻り、そして鴨川沿いに下ってくる。三条、四条、五条、この頃は足も慣れてきてけっこうなスピードになっていた。人前では颯爽と走りたい、そんな気持ちかな。そうして十条の橋を渡ってホテルに戻る。走行距離22キロ余り。これもまた良き思い出となった。f:id:goisan:20180415151714j:plain

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ホテルで大浴場に浸かり一休みしてから、二条城のライトアップに出かける。多くの外国人の方が来ていたがすでに桜も散り内容的には少し寂しく感じられた。f:id:goisan:20180415201627j:plain

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京都3日目(最終日)。カメキチさんに会うことやチェックアウトのこともあったので、朝ランの代わりに少しだけ散歩を楽しむことにした。まだ空気はひんやりとしている。遠くに見えたのはお爺さんとお婆さんだと思うのだが話を楽しんでいる様子が微笑ましい。いつも京都の光景を紹介してくれているもりもりさんの世界に一瞬入り込めたような気がした。f:id:goisan:20180416055422j:plain

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正午を過ぎてカメキチさんご夫妻とお別れしてから三十三間堂に行った。いつ見ても千体もの観音様が並んだ様は圧巻だ。できるだけたくさんの観音様とにらめっこして歩くのが楽しみなんだ。今の自分にとって京都で一番好きな場所かもしれない。この後二条城にも行きたかったのだけど、ここでタイムアップ。最後に駅に向かう途中の東本願寺に寄って、御影堂の畳の上でしばし正座。こうしてじっとしているのが心地良い。京都の旅の最後はいつもこの正座で終わる。f:id:goisan:20180416155425j:plain

 

カメキチさんご夫妻に会う

はてな会」の翌々日に、カメキチさんご夫妻にお会いした。本当はカメキチさんも「はてな会」にお招きしたかったのだけれど、事故の後遺症で大勢の人の中にいることができないということだった。それでもせっかく京都に行くのにカメキチさんご夫妻にお会いしないで帰るというのももったいない。どうしてもとお願いしてなんとかお会いする約束を取り付けたのだった。

ブナさんから「茶寮都路里」というお店を指定されたので伊勢丹の開店とともにその店にまっしぐら。ところが約束の10時を過ぎてもお二人がなかなか現れない。どうしたのだろうと思っていた所に電話が入った。実は集合の場所は駅の中央改札口だった。またまたごいさんの早とちりで、早々にお二人に迷惑をかけてしまった。長い時間待っていてくれたようでカメキチさんは体が固くなってしまっていた。ブナさんからは強烈なパンチがさく裂……ということはなかったけど、「あ~あ、またやっちゃった。」と自己嫌悪。

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お二人に会うのは昨年の12月以来になる。いつ見てもお二人の夫婦漫才のような掛け合いが面白い。微笑ましいというのだろうか。ついつい笑いたくなるのを懸命にこらえる。それに時々聞こえてくるブナさんの京ことばがぽんぽんといい感じに響くのだ。京都の大学に通っていた友だちの下宿に泊まって遊びまわっていた若い頃、女の子が話している京ことばに憧れたものだった。

ブナさんにどんなに突っ込まれても、カメキチさんはニコニコしていて全く動じない。そりゃあそうだよね。もう何十年も2人でこうしてやってきたのだものね。特にカメキチさんが事故に遭ってからは二人三脚でずっとやってきた。そんな固い絆にちょこっと割り込もうなんて虫のいい話だとは思うけど、今の自分にはこのお二人の存在は極めて大きいのだ。

4年前の12月にカメキチさんのブログに偶然に出会った。何に心惹かれたのだろうか。まあ今さら思い出してもどうってこともないのだけどね。今はこうして素敵なお付き合いができているのだから。2年前の大阪マラソンの時に大阪駅の「時空の広場」で初めてお二人にお会いした。会うまでの緊張感、会った時の安心感、あの時の感動はきっと一生忘れない。それからはずっとごいさんを応援し続けてくれている。マラソンだけではなくいろんなことで励まされてもいる。

とにかくお二人と一緒にいると居心地がいいのだ。カメキチさんはとことん優しいしブナさんはいろんなことに気を遣ってくれる。二人と話していると自然と力みが抜けていく感じなのだ。お二人に会っていた時間は2時間余り。ブナさんお勧めの「都路里パフェ」もしっかりと頂いた。別れは淋しい。けれど、次にまた会えるという気持ちで過ごせるならそれもまた悪くないと思うことにした。何事も前向きにね。

帰りの新幹線の中でカメキチさんの言っていた言葉が心に響いていた。「お互い分からないことや知らないことがあったっていい。一番大事なのは『今』なのだから。」……ありがとう、カメキチさん。そしてブナさん。

 

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朋有り京都に集う

4月14日、京都でブログ友だちの集いがあった。いや、集いというほどに大げさなものじゃないか。集まったのはrecocaさん、いちごさん、それにごいさんの3人……いやいや3人じゃない。recocaさんといちごさんは奥さまご同伴だったから計5人だ。う~ん、奥さまご同伴なんてなんとも素敵なことです。ごいさんはrecocaさんにもいちごさんにもすでにお会いしているが、このお二人は初顔合わせ。さぞや緊張するかと思いきや最初の一言からすでに旧知の友のごとくで違和感がない。奥さま同士も気軽に話を始められていた。こうしてこの集いはごくごく自然な雰囲気で始まった。

話はあちらに飛んだりこちらに飛んだりととりとめもないが、それぞれの言葉にみんなで頷いては盛り上がる。recocaさんはオカリナでの演奏活動や俳句を作るなどしてその生き方はとても前向きで見習う所が多い。昨年喜寿を迎えられてごいさんとはちょうど一回り違うのだが、その年齢を全く感じさせない。時々見せる笑い顔はまるで少年のようだ。奥さまとは初めてお会いしたが、その話しぶりから社交的で行動力もあるしっかりした方だと感心した。

いちごさんの声はとてもやんわりしていて聞いていて心地良い。つい話に引き込まれてしまう。個人的にはフォークシンガーの杉田二郎を思い出す。ごいさんより年下とはとても思えないくらいに落ち着いている。気配りもできるし職場ではきっと頼られる存在であろう。奥さまの方はと言うと、上品で優しい、いつもいちごさんのことをそっと支えている。そんなイメージなのだが、実際に話してみるとこれがまたとてもしっかりしていて力強さも感じられる。あの雨の中を横断幕を携えて五島列島までごいさんを応援に来てくれたことを思えば、さもありなん。

お料理を食べている時間がもったいないくらいに、みんな話に夢中だった。部屋の予約の時間は2時間だそうだがあっという間に30分も超過。お店の人もこの雰囲気を察して大目に見てくれたのだろう。そんなに長い間何を話したのだろうかと考えたらあまり記憶に残っていない。記憶に鮮明なのはみんなが楽しく自由に話せたということ。初めて顔を合わせてこれだけ話せるなんてね。凄いと思った。

ところで、なんで京都に集まったのかって不思議だよね。recocaさんは東京から、いちごさんは長崎から、そしてごいさんは横浜から駆けつけた。実はもう一人ウサギマンさんという方が参加する予定でいた。それでみんなの住む中間の場所をとって京都でということになったのだ。ところがそのウサギマンさんは来られなくなってしまった。それでもみんな京都にはそれぞれに思いもあったから特に場所を変えようということもなかった。ごいさんもこの翌々日にはカメキチさんご夫妻にお会いすることになっていたから。

いちごさん曰く「はてな会、本当に楽しかったですね」。正にその通りで、素晴らしい思い出となった。大先輩のrecocaさんにお店の予約などお願いして申しわけなかったです。でもありがとうございました。

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