ニューヨーク、再び ④

今回はニューヨーク4日目のハーレム地区のご案内。この日はハーレムにある教会でゴスペルが聴けるというツアーに参加してみた。集合場所はミッドタウンにあるホテルで、7Avenue駅から地下鉄D線に乗り125street駅で下車。ガイドさんの話を聞きながら、ハーレムの街をのんびりと歩く。トランプさんになってから少しばかり雰囲気が悪くなったというけれど、街も綺麗で落ち着いた感じがする。

今、ここには白人は住んでいないという。時々、白人の集団が見えたがみんなヨーロッパから来た観光客だそうだ。ここに住む黒人の女性は稼いだお金の多くを髪の毛に使うという。今はストレートにするのが流行りだとか。男の子たちはシューズ命だそうだ。そんな話を聞くのも新鮮で面白い。

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日曜日に教会に行く時はみんなとっておきのおしゃれをするのだそうだ。奴隷制の頃からの名残とのこと。毎日働かされて、日曜だけ解放される。その日は、久しぶりに教会に集まって友だちと再会する。少しでも元気に見せるために精一杯のおしゃれをして行く。そうして時代が代わってもそれが今に受け継がれている。

地下鉄を降りて、St. Nicholas Avenueを先に歩いていくと、見えてきたのが「アポロシアター(Apolo Theater)」だ。マイケル・ジャクソンジェームス・ブラウンスティービー・ワンダーなど多くの有名なミュージシャンが巣立った黒人音楽の代表的な場所だ。入口前の路上には、彼らの名前が書かれたプレートが埋め込まれている。

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さらにこの辺りで有名なのが、シャッターアート。あちこちのお店のシャッターに絵が描かれている。これを描いたのはフランコさんという方でお年は90歳、まだ現役だ。キング牧師の暗殺後、ハーレムでは暴動が頻発し、お店の入り口には鉄製のシャッターが取り付けられた。そんな街の雰囲気をなんとか明るくしたいと考えて、フランコさんはそれらのシャッターに絵を描き始めたのだそうだ。その数は200枚を超える。ところでシャッターアートの欠点はお店が開いてしまうと見えなくなってしまうということ。確かにね。

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さて1時間ほどぶらぶらと歩いて教会に到着。椅子に案内されてほどなくして挨拶がありゴスペルが始まる。ところどころで立ち上がってはみんなで一緒にハレルヤと叫ぶ。みんなが思い思いの感じで楽しんでいる。小さい子たちがまた可愛い。1時間があっという間に過ぎ、一区切りついたところで会場を出る。ゴスペルの方はまだまだ続くらしい。終わる時間は特に決まっていないということだった。

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このツアーで東京大学からマサチューセッツ工科大学に研修で来たという大学生と親しくなった。自分が今さらながらに英語を勉強していると話したら、その子もこの研修で英語の重要性を痛感したのだという。爽やかな青年だった。きっとこの先、立派な社会人に巣立つだろう。

この後いったんホテルに戻り、初日にできなかったセントラルパークとハドソン川沿いのジョッギングに出かける。約2時間、景色を楽しみながらのんびりと。

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そして、おまけ。なんとこの日はNYCハーフマラソンの日だった。

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ニューヨーク、再び ③

ニューヨーク3日目はブルックリンを歩く。ホテルを出て地下鉄1線に乗り72streetで地下鉄2線に乗り換えてフルトン駅まで行き、そこからブルックリンブリッジに向かって歩く。まず目に飛び込んできたのがこのニューヨーク旧市庁舎。シティホールと呼ばれ200年の歴史があるという。

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市庁舎を過ぎて少し行くとブルックリンブリッジだ。この日は土曜日ということもあって多くのランナーが走っていた。他の国から来ているという感じの観光ランナーもけっこう多かったような。自分も一度は走ってみたい。

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ダンボ地区の絶好の撮影ポイントだそう。向こうに見えるのはマンハッタン橋。そしてその橋の下にエンパイアステートビルが見える。ダンボ地区を歩いてみたがまだ時間が早かったせいか、人も少なくお店もあまり開いていなかった。ちょっとした計算違い、残念。f:id:goisan:20190316095904j:plain

ダンボ地区にあるエンパイア・フルトン・フェリー州立公園から写したブルックリンブリッジ(上)とマンハッタン橋(下)f:id:goisan:20190316101846j:plain

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ブルックリン・ブリッジ・パークから出ているフェリーでウイリアムバーグにやってきた。メインストリートのベッドフォードアベニューをお店を覗きながらぶらぶらと歩く。いろいろなお店があって、かなりの人で賑わっていた。f:id:goisan:20190316115629j:plain

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ウィリアムズバーグを抜けると広々としたマッカレン公園に突き当たる。突然何かが足元を通り抜けたと思ったらリスだった。しばらくリスに癒されながら小休止。f:id:goisan:20190316123517j:plain

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地下鉄ナッソーAvenue駅からマンハッタンアベニューを歩く。お昼時ということもあってどのお店もかなりの混雑。しばらく行ったところの割と空いていたお店で昼食を取る。ちょこっとひげを蓄えた不愛想気味のお店のおじさんが、最後にニコッと笑ってくれたのが印象的だった。

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食事を終えて、ブルックリン探訪もひとまず終了。グリーンポイントAvenue駅から地下鉄G線に乗り、途中でA線に乗り換えてカナルStreet駅までやってくる。昨日の観光でソーホー地区が今ニューヨークでは人気があるというの知って歩いてみたいと思ったのだ。みんなでこういった街中でこんな風に歌っているのも楽しそうだ。公園ではみんな思い思いに過ごしている。チェス柄のテーブルでは実際にチェスの対局で盛り上がっていた。 

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ワシントン・スクエア・パークの凱旋門。初代大統領ジョージ・ワシントンの就任100周年を記念して建てられたという。手前は噴水広場。ここにもたくさんの人。

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最後の写真は地下鉄駅のホームで二胡を弾く人。顔つきは中国系の人かな。地下鉄のホームはもちろん電車の中でもいろんなパフォーマンスが見られる。とにかく自由な感じ。それがいいのかどうかは僕には分からないけど、日本では考えにくいことだね。

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ということで、この日の歩いた距離は約27km。頑張った。

 

ニューヨーク、再び ②

ニューヨークの2日目は、ニューヨーク市内半日コースの見学ツアーに参加した。限られた時間をできる限り有効に活用するには、ガイドさんからニューヨークの見どころを直接聞くのがよいと考えた。実際、ガイドブックでおぼろげだった部分が鮮明になり、またガイドブックには書かれていないこともたくさん知ることができた。

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参加者は10名ちょっと。大きなバスでまずはあの「自由の女神」を目指す。前回はフェリーから見ただけだったが今回はリバティー島に上陸してそばまで行ってみる。遠くで見る姿も美しいが、近くに寄るとそれに威厳が加わった感じだ。右手でたいまつを掲げ、左手に独立宣言書を持って遠くを見つめる姿は桂浜の龍馬の像と重なる。

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次に向かった場所は2001年9月11日に発生したアメリ同時多発テロの標的の一つとなったワールドトレードセンター跡地、いわゆるグラウンド・ゼロだ。もう17年も過ぎるのにあのシーンは未だに鮮明だ。

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それから今の流行の場所だというチェルシーマーケット。いろんなフードがあるが、中でもロブスタープレイスという店が有名だというので、お昼はここで取ることにした。ロブスターを丸ごと一尾食べるのはさすがにちょっと贅沢ということで、自分はロブスターロールを注文。ホットドッグなどで使われる細長いパンに、ロブスターの身がたっぷり挟まれている。1個18ドルはニューヨークでは妥当な値段だろう。

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この後、ツアーはグランドセントラル駅近くまで戻って解散となる。ここからは単独行動だ。まずはグランドセントラルステーションの探索。前回は寄れなかったので今回は是非ともと決めていた場所だ。広々とした空間がターミナルだというのを強調している。次に来た時はここから列車に乗ってどこかに出かけてみたい。

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続いてニューヨーク市立図書館。誰でも入れるというのを前回は知らなかった。観光する人が多い中、たくさんの人が静かに机に向かっていた。

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図書館の裏にあるブライアントパークを抜けて地下鉄に乗る。訪ねた場所は9.11メモリアルミュージアム。中の空間には、外の騒々しさとは打って変わって厳粛な雰囲気が漂っている。陽気なアメリカ人を考えれば全くの別世界だ。

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最後はいつものようにミッドタウンをぶらぶらしてホテルに戻る。2日目が終わる。

 

ニューヨーク、再び ①

3月14日から20日までの5泊7日で、再びニューヨークに行ってきた。前回は2年前の11月、ニューヨークシティマラソンに参加するためのツアー旅行だった。今回は自分で計画を立てる。いろんな意味で不安で一杯。思いついたのは今年の1月中旬だった。単純に、ESTAの有効期限が切れる前にもう一度行っておこうと考えた。それと、前回から1年と半年、どれくらい英語が上達したかの度胸試しもしてみたい。

そんな強い気持ちで決意したのに、出発の日が近づくにつれ、マラソン大会の時と同じように止めておけばよかったという後悔の念がこみ上げてくる。とにかく今回は添乗員さんも仲間もいない。分からなければ自ら尋ねるしかない。背水の陣…なんて、ちょっと大げさかな。まだ上手く話せる自信はないが、やってみなければ分からない、進歩もないだろう。ともあれ、一週間後に無事に戻ってこれたら、一定の成果だと考えることにした。

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では、ごいさんのニューヨークの旅、ざっくりとだけどご案内しよう。

朝6時半、子供と一緒に家を出る。子供は普段はバス通勤だが、何故か今日は電車で行くと言う。どうやら年老いた爺さんが一人でニューヨークに行くのを多少は心配しているようだ。横浜駅の改札口までついてきて見送ってくれる。こりゃ意地でも元気に帰ってきて父親の威厳を示さなければ…なんてことをちょこっとは考えた。とにかくここからは一人旅。改めて気持ちを引き締める。

空港で待つこと2時間余り、午前11時05分、羽田を離陸。飛行時間は約12時間で、これは思った以上にきつかった。ケネディ空港には予定より30分ほど早く到着。前回は添乗員さんの指示で入国審査もスムーズだった。今回はその時のシステムと若干違っているようで一気に緊張が走る。機械の前で戸惑っているのを見かねた係員がやってきてあれこれ指図してくれてどうにか入国審査をパス。

次の課題はここからマンハッタンまでの行き方だ。イエローキャブは安心感としては一番なのだが、チップも入れて70ドル前後とお高い。日本語ドライバーの送迎車は100ドル。バスは20ドル前後と手軽なのだが、マンハッタンに着いてから多少不便。地下鉄は、エレベーターやエスカレーターがほとんどないので大きな荷物を持っての移動がかなり大変だという。

地下鉄には他にも不安な要素がいっぱいあるというのだが、それでもエアトレインと合わせても8ドルほどと格安なのだ。結局自分はこの格安さを選んだ。いずれにしろ今回は地下鉄とバスを制覇するのも目的の一つだったから、初戦から地下鉄を利用することにした。突然(恒例)の車内でのダンスパフォーマンスはあったけど、これも前回経験済み。意外とあっさりとマンハッタンに着き、ホテルまでもスムーズに行けた。

最初の計画ではチェックイン後にセントラルパークとハドソン川沿いを走るつもりだったが、飛行機の疲れから走る元気が出てこない。結局はハドソン川沿いをのんびり散歩するにとどまった。こうしてニューヨークの一日目が過ぎる。

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伊豆の友と語らう

先日、焼酎とウィスキーの小瓶を持って、伊豆に住む友のところに出かけて行った。いつものように唐突の申し出だったが、これまたいつものように二つ返事の答が戻ってきた。彼は今までにごいさんの申し出を断ったことがない。こんな風にわがままが言える友がいる。なんて幸せなことなんだと思う。

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自分でも自分は明るく元気だと思っているし、多くの仲間もきっとそう思っているはずだ。みんなが楽しくしているのを見るのが好きだし、そんな中に取り残された人を見つけたらまず自分が何かしなきゃいけないと思う。おせっかい焼きというか。そんな自分だから、誰も自分が暗い性格だなんて思わない。逆にそんな感じだから、みんなの前で弱気な自分を見せたくない。いつも強く頼られる自分でなければいけないと思う。

でもね。本当はそんなに強くない。一人になった時のくたびれようは誰にも見せられない。悩んで愚痴をこぼしたい時もある。仲間はたくさんいるのだけど、そして誰もがきっと真剣に聞いてくれるのは承知なのだけど、そうは簡単でもない。弱い自分を見せられる友は限られている。

僕は伊豆に住む友を親友だと思っているが、彼がごいさんのことをどう思っているか分からない。彼には彼を慕って集まってくる仲間がたくさんいる。彼の魅力だ。その中にはいわゆる親友もいるだろう。でも自分がどういう存在なのかはどうでもいいことなのだ。何故って、会いたければいつでも会ってくれるのだから。

とまあ、彼の作ってくれた寄せ鍋を食しながら話が弾む。日々のこと、これからのこと、もちろんブログのことも。ごいさんが愚痴れる相手、どんなに弱い自分を見せてもそれでも信じてくれる友。そんな心地よい時間は過ぎ、気持ちよく床に就く。

彼はとことん自由人。思ったように生き、生きたいように生きている。誰とも比較することなく己が道を歩いている。その日が楽しければいい。夜にお酒にありつける金があればいい。そんな感じ。いいなあ。いつも何かにシャカリキになっている自分とは大違いだ。憧れるけど、たぶん自分には絶対にできないことだと分かっている。でも彼と一緒に話している時は、自分もそんな気分に浸っている。不思議だね。

翌日はこれまた同じように爽やかな朝を迎える。さあ、また頑張るかあ。

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熊本城マラソン2019

先月の17日に熊本城マラソンを走ってきた。記事にするにはずいぶんと過ぎてしまったが、記録として書き残しておこうと思う。

大会前日、熊本空港から会場に向かい受付を済ませて、早速に熊本城へと向かう。今回の大きな目的だ。高校2年生の時に修学旅行で訪れて以来ちょうど50年ぶりとなる。大きなクレーンを使って懸命に修復作業が続いているようだが、どれくらいかかるだろう。石垣の崩れたありようは戦国の戦に敗れた後のそんな感じだった。熊本城の後はこれまた懐かしい水前寺公園に向かう。当時に撮った写真の通りの変わらない姿だった。

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さて大会の方だが、相変わらずの不安だらけの状態だ。それでも前回の勝田でフルを走り切ったという気持ちがあるから多少はゆとりを持てた感じだった。ごいさんはBブロックからのスタート。今はこのゼッケンがどうにもプレッシャーに感じる。ラストのフィニッシュ地点の熊本城まで駆け上がることを考えると気が滅入ってきて、相変わらずテンションが上がらない。

1分26秒遅れでスタートラインを通過する。あ~あ、なんと足が重いんだろう。それでも沿道の声援に応えながら走っていると少しずつ足が軽くなってくる。勢いのあるランナーが次々と自分を抜いていく。最初の10キロは52分12秒で通過。次の10キロが51分05秒。まだまだ元気に走るランナーが多い中、ごいさんはだいぶへたばってきた。

そして30キロの10キロを52分06秒で通過。前回はここで力尽きたが、今回はもう少し頑張れそう。勝田の時よりちょっとだけでも前進したい。スピードは落ちるが次の5キロを27分52秒。ここで今日のレースは終わった感じ。今の状態ではまともな練習もできず完全に力不足。応援してくれる人に応えながらも足を止めてしまう。再び走り出すと温かい声援と拍手で励ましてくれる。沿道の応援は本当に優しくてありがたかった。

最後の熊本城への上り坂ではほとんど歩いているような状態でどうにかフィニッシュ。タイムは3時間47分32秒。これで今年度のフルマラソンは終了。年齢とともにタイムが落ちるのはしょうがないと思うのだけど、来年はもうちょっと頑張れるといいな。

でもフルマラソンはやっぱり楽しい。沿道から声援をもらって走っている、走ることができる自分はなんと幸せなんだろうと思う。今回も熊本の皆さんの温かい声援は本当に心にしみました。熊本の復興、心より願っています。

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母さんの誕生日

昨日は母の89歳の誕生日だった。昼から、ま~るいケーキを買って訪ねて行った。丸いケーキはここのところのお決まりになっている。「なんでこんな高いもん買って来る?」と母は言うけど、にこにこしていて嬉しそうだ。そうだよね、ごいさんが子供の頃は本当に貧乏だった。それでもクリスマスの日だけは丸いケーキを買ってくれた。あのバタークリームのケーキの美味しかったことは今でも忘れてないよ。

今こうして自分も妹も幸せに生きていられるのは母さんのおかげだと思っている。こんなケーキなんて何個でも買える、そんな生活ができるなんて小さい頃は夢のまた夢の世界だった。でも今はそれが現実だ。小学生の時に将来に役立つからと家計をやりくりしてそろばん塾に行かせてくれた。おかげで算数が得意になった。勉強が好きだからと高校や大学にも行かせてくれた。

母さんはずいぶんと僕のわがままを聞いてくれた。妹は高校を出てすぐに働き出して家にはほとんど迷惑をかけなかったけど、僕はお金もずいぶんと使わせて迷惑のかけ通しだった。だから妹以上に母さんにはお返しをしなければいけない、そう思っている。

ここ2~3年でぐんと年を取った感じだね、ゲートボールも仲間が出歩けなくなったりしてできなくなってしまった。前には1時間ぐらいしていた散歩も今は30分。一人でテレビを観ている時間がずいぶんと長くなった。あんなに話好きの母さんだから、話す相手が少なくなって物足りなさを感じているんじゃないか。

自分が母さんの年齢になった頃に、今の母さんのように一人で生きていけるかな。母さんはたった一人で毎晩どんなことを考えているんだろう。体のあちこちが痛くて時々自分たちに訴えるけど、母さんの気持ちを考えずに適当に返事をしている自分。母さんが自分たちに言う時はずいぶんと思い悩んだ末のことだと分っているはずなのに。

今までのお礼をしたい、大事にしなければいけない。そうは思っているのに、面と向かうと怒ってばかりいる自分が情けない。いつも帰りの車の中で自己嫌悪。「90歳までは元気に生きてよ。それまでは僕にやりたいことをやらせて。」と何年か前に言ったけど、もう来年だ。母さんはその約束をちゃんと守りそうだ。僕も守らなきゃね。

若い頃はいつも険しい顔ばかりしていた母さんも、今は優しい顔をしたいいお婆ちゃん。昔は叱られてばかりの自分が、今は母さんを怒ってばかり。いいんだ、遠慮は要らない。たまには昔のような強い母さんに戻って叱ってくれてもいいんだよ。

じゃあ母さん、この1年も怪我無く病気もしないで元気に90歳を迎えてね。89歳の誕生日おめでとう。

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