父の命日

今日6月24日は父の命日だ。少しばかり早く帰れそうなので墓参りに行こうと考えた。ところが昼過ぎあたりから雷鳴とともに激しく雨が降り出した。これが一向に止みそうにない。どうしたものかと考えているうちに少し小降りになった感があったので、いつものごいさんらしくやはり行くことにした。お墓に着くと嘘のように雨が上がった。雲の切れ間からは光も差し込んでいる。誰もが考えるようにごいさんも不思議な感動を覚えた。

父が亡くなってもう37年が過ぎた。父と一緒に生きていたのが24年間だから、はるかにそれを超える長い時間が過ぎた。生きている時はまったく父のことは好きになれなかったが、今ではとても懐かしい。父の形見は2つある。一つは、ごいさんが小学校に入学するときに買ってくれた机。しっかりした木製の机で、けっこう高かったと思う。大きな引き出しの裏側には、父の文字で「入学記念」と書いてある。もう一つは、父から教えてもらったネクタイの結び方だ。誰でもがやる普通のやり方だけど、父親にまともに教わったのはこれしかない。

父親は、請負いで仕事をしていたのでお金はまとまって入る。お金が入ると決まって駅前の食堂にみんなで出かけた。ごいさんはいつもかつ丼だった。ぜいたくができるのはこの時ぐらいだったけど、それが本当に楽しみだったんだ。神峰公園という遊園地にも何度か連れて行ってもらった。ここには動物園もあってこどものごいさんにとっては夢のような場所だった。父は、お酒さえ飲まなければ案外いい人だった。それに今でいうイケメンタイプだったから、案外もてたんじゃないだろうか。でも、お酒を飲むと人が丸で変わってしまう。誰かと喧嘩をするのもしょっちゅうだ。そんな父をどんな思いで見ていたのか、今はほとんど思い出せない。

ごいさんが小学校6年の時に神奈川県に引っ越してきた。父の酒癖は相変わらずだった。そして、ごいさんが高校生の時、ついに父と衝突する。その時はもう父は腰痛のために大工を辞めて、会社勤めをするようになっていた。その一件で父は少し変わった。文字もろくに読めない父が、毎日のように文庫本を読むようになった。ごいさんにとっては何よりの驚きだった。どうした心境の変化なのか、生きていたら聞いてみたいところだ。それからはもう前のような荒々しさは消えていった。酒癖はまだ相変わらずのところもあったが、大工をしていた時とは違って生活の方も安定してきた。

ごいさんが大学4年の時に、父は中央林間に念願の一戸建ての家を買った。そしてその秋に、妹が結婚。翌年の4月にごいさんが就職。5月に兄が結婚。そして8月には初孫の誕生予定と幸せが続いている時だった。前から血圧が高かったのを隠していて、とうとう脳溢血で倒れてしまった。かなりの重傷だった。父はその辺も考えたのだろうか。意識の戻らないまま3日後に亡くなった。父が亡くなった時、どうしてだか涙が止まらなかった。壊れた蛇口から流れ出てくる水道水のように涙が溢れてくるのだ。止めることができない、そんな不思議な現象だった。亡くなった後のしばらくの間は、朝、目を覚ますと父が生きているように思うことが何度もあった。亡くなったのは本当なんだろうかなどと思ったりもした。37年が過ぎてさすがにそう思うこともなくなったが、それでも自分のそばに父がいるような気はしている。

あの朝、父は、2階で寝ていたごいさんに、「早く起きろよ。遅刻するぞ。」って声をかけている。それが父の最後の言葉だ。忘れられない言葉になった。

 

写真は、父の墓がある本興寺の山門

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