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学園紛争

今日は高校の出来事を記録しておこうと思う。タイトルは学園紛争。今や懐かしい言葉になってしまった。それは2学期の中間試験の初日に起こった。今から45年前だ。いつものように登校すると、なんと昇降口がバリケード封鎖されていて校舎の中に入れない状況になっていた。先輩たち何人かが立てこもっているという。やがて、教職員との話がついてバリケード封鎖は解除されたが、それからが学園紛争の始まりだった。大学では東大の安田講堂事件など当たり前のように行われていた紛争だが、それが自分の学校で起きるなんて考えもしなかった。その先輩たちの中に朝鮮人国籍の子がいて、外国人には指紋押捺という制度があって差別を受けているのだと涙ながらに訴える。ごいさんにとっては初めて耳にする言葉だったり内容だった。そういう中で大学に入るための受験勉強だけしていていいのかと言う。もっと社会に目を向けろ。そんな感じの演説だったと記憶している。

翌日から体育館において全校集会が始まった。先生は一切関知しないというのが条件だったらしく、その後も誰一人その集会には現れなかった。出席点呼も生徒がとる。最初の議題は差別についてだった。部落差別というのもこの時初めて知った。自分たちでできるところから解決していこうということで、制服廃止の議論が始まった。制服による学校間差別を無くそうということだ。これはけっこう賛否が拮抗していた。利便性もあるし、私服になると余計な出費もかかる。結局は標準服という形で残すという妥協案を可決し、制服は廃止になる。次に論議されたのは、受験体制の問題だ。受験のための高校生活には反対である。定期テストや通知表は何のためにあるのかなどなど。テストについては、一定の理解の確認のためということで、毎週やるとか1年に1回とかの案もあったが、結局は学期に1回ということに落ち着いた。また、評価に対しては進級の判断が分かればいいということで通知表は撤廃された。次のターゲットは校歌だった。戦前に作られたもので、歌詞の中の「御国の精華……」というフレーズが、軍国主義を思わせるものでふさわしくないということでこれはあっさりと廃止された。紛争は、約3ヶ月続いてようやく収まりを見せる。当時の先生たちの譲歩の限界でもあったのだろう。

ごいさんは、こういうことに全く無知だった。それでもこの流れの中で、いろんなことを考えさせられた。部落差別の本も読んだ。当時もてはやされていた羽仁五郎の「都市の論理」なんて本も手にした。友だちと自衛隊の存続は是か非かなんてこともまことしやかに論じ合った。みんな一丁前に学生運動家を気取っていた。紛争が起こるまでは、世間から四無主義(無気力・無関心・無責任・無感動)と言われるくらいに平凡な日々だった。当時の言葉で「日没(日常生活に埋没すること)」と言った。それがこの紛争で、「動けば何かできるんじゃないか」って、みんなそう考えるようになった。そうして、その時ごいさんの人生も大きく変わったのだと思う。

 

写真は、富士山の初冠雪。今朝、マンションのバルコニーから撮影。右の山は大山。f:id:goisan:20141016065530j:plain

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