電車通学の思い出話

今日はスペシャルオリンピックスの説明会があったので、東京の東陽町まで出かけて行った、午後に皇居を走る予定だったが、雨が降り出していたので中止。本当は、昨日のテニス仲間との飲み会で飲み過ぎたせい。去年だったら走っていただろうなあ……。

さて今日の記事は、今朝の電車の中で思い出したことを紹介したい。

それは、ごいさんが大学生の時代に電車通学をしていた時の話だ。その頃のごいさんは乗り物酔いがかなり激しくて、いつも遠い景色を見ていないといけなかった。座っている時に人が前に立ちはだかって視界を塞がれたりしただけでめまいがしてくるのだった。もちろん本なんか読めない。いつもはドアのところで進行方向に向かって立ち遠くを眺める、それがごいさんのスタイルだった。

それでも一度だけかなり疲れていて、座って帰ろうと思い、1台を見送り次の始発の急行に乗ろうとして列の先頭に並んだことがある。やがて電車が入ってきてドアが開き、車両に足を一歩踏み入れる。その瞬間だった。後ろから誰かに突き飛ばされて2~3歩よろけたのだ。そしてその体勢を立て直して振り向いた時には、なんと席はすべて埋まっていた。みんな平然と座っていて誰が押したのか分からない。本来の指定の場所であるドアのところも占領されている。本当にあの時は情けないと感じた。以来、二度と並ぶことは無い。

それでも日中は、さすがの急行でも空いているものだ。誰も立っていない時に自分だけ立っているのも微妙だから、とりあえずは座ることになる。やがて少しずつ乗客が増えてくる。そしてある時、ごいさんの前にお婆さんが立っているんだ。選りによってなんで自分……不思議だ。すぐに気づいて譲れればいいのだが「稚児のそら寝」のようにタイミングを逸すると、後悔の念とともに居ても立っても居られない気持ちになってくる。ついには電車が駅に着くとあたかもここが下車駅であるかのように一度車両を降りることになる。そして慌てて後ろの車両に向かってすっ飛んで行く。これであのお婆さんに席を譲れたんだという満足感を味わいようやく心が落ち着く。だから、あまり空いている電車にも乗りたくなかった。座るとたいがいそういうことになる。不幸だ……と何度思ったことだろう。

それでも最近は遠慮なく座ることが多くなった。もちろん狭いところにお尻からずるずると入り込んでいくという技は習得していない。基本的には真ん中に座る。両端はドアのところに人が立って何となく落ち着かないのだ。映画館や講演会なども席は真ん中を選ぶ。始めに端に座ると中に出入りする人の邪魔になるし、逆に自分の前を頻繁に通られるってのも嫌なんだ。真ん中に居ればずっと落ち着いていられるからね。

とまあ、今日は朝の混んでる電車の中でそんなことを考えていたのです。

 

写真は、先日I坂邸からの帰り道、狩野川の土手から撮影した富士山。美しい。

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