キンキン、逝く

キンキンが亡くなったという訃報を朝のニュース番組で聞いた。ショックだった。80歳という年齢からすればしょうがないのだろうけれど。

キンキンを初めて知ったのは浪人の時で、キンキン・ケンケンのコンビで放送されていたTBSラジオの「それいけ!歌謡曲」という番組だった。キンキンの軽妙な語り口、テンポの速さにどんどん引き込まれていった。そこに何とも言えないケンケンの声がまた最高。ほとんど毎日のように聴いていた。

なんで浪人生がそんな昼間のラジオ番組を聴けるのかって思われるよね。その時ごいさんは夜間の予備校に通っていたんだ。昼間に通うにはお金も無くて。確か、授業料は年間5万円ぐらいだったと思う。もちろん午前中と予備校とそれに帰ってから寝るまではしっかりと勉強したよ。それにいくら好きでも全部を聴いているわけじゃない。

新宿の伊勢丹の屋上で行われた公開放送も聴きに行った。今から思えばまだ30代の若いキンキンだったね。お客さんは、埼玉だ、千葉だとけっこういろんなところから来ているようだった。ラジオで聴いている通りのテンポの良さ、ケンケンとの間合い。そこにいるお客さんとの掛け合いを生で見るのはやっぱり楽しかった。

ごいさんの小さい頃はまだテレビが無かったから、ラジオを聴くのが楽しみだった。そこで聴くのは、落語や漫才だった。だから話をするということに興味を持ったし、実際にお喋りになった。ブログを読まれてどんな印象を持たれているかは分からないが、ごいさんはけっこうなお喋り屋さんだ。これを読んでいる同僚の方たちはきっと頷いてくれると思う。それもだらだら話すのではなくて、パッパッと話す、そういうのが好きだ。キンキンの話し方こそ正にごいさんの理想とするところなのだ。

アド街なるほど!ザ・ワールドの名司会ぶり。それに西村京太郎シリーズの十津川警部の相棒の亀山刑事なんて正にはまり役だ。ケロンパと結婚した時は、二人ともマシンガンのような話しぶりだから、二人で会話する時はどうなっちゃうんだろうなんて興味津々だったのだけど、最後まで仲良く過ごしてきたんだね。

実際には、キンキンのことをそれほど多く知っているわけではない。それでもごいさん得意の第一印象で決めてしまうところもあって、ごいさんには彼のいい所しか思い出にはない。

実は、ごいさんは一度だけテレビに出たことがある。もう25年くらい前の暮れの歌謡番組だった。そしてその時の司会者がキンキンと紺野美沙子さんだった。紺野美沙子さんの美しさに見惚れ、憧れのキンキンと話しているという、なんか夢のような出来事だった。その時、ごいさんに話しかけてくれたキンキンの声は、今でも聞えてくるような気がする。

今日は別の記事をアップしようとしていたのだけど、ごいさんには珍しいくらいに大好きなキンキンの追悼ということで急きょこの記事を書かせてもらった。内容は深く吟味していないけれど、それも含めてごいさんの気持ち……。

キンキンも死んじゃうんだ。淋しい。

 

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