彼岸花

ちょうど一週間前、お彼岸のお墓参りに行ってきた。お墓の隅っこには7本の彼岸花が綺麗に咲いていた。昨年の秋の墓参りで母が彼岸花の咲いているのを見て喜んでいたのを思い出す。去年よりも何本か増えているのかしら。ごいさんは彼岸花曼珠沙華という名前のイメージとあの真っ赤な花の色からどうにも好きになれないでいたのだが、今年はそんな気持ちが消えていた。

皆さんのブログを見て花や鳥の名前が少しずつ気になりだしたのも事実だ。生まれてこの方、花の名前なんて気にもしてこなかった。それが昨年の秋の墓参りの時に母が口にした彼岸花という花の名前。皆さんのブログの多くにもこの花の写真が貼られている通り、まさしくこの彼岸の季節に咲く花だ。それから妙に彼岸花が気になりだした。

花茎だけがすっくと伸びたその先端に真っ赤な花がポッと咲いている。実にシンプルな花だ。父のお墓に咲いた彼岸花。まっすぐに伸びて咲いているその姿は母の姿に似ていると思った。ずっと胸を張って生きてきた母の姿に似ていると。

自分はあまり感じてはいないのだけれど、家は本当に貧しかったのだと思う。母親が何かをして遊んでいるとか体を休めているという姿を見たことがない。昼間はパートで働き、帰ってくれば家事仕事。お姑さんとの同居だったから何かと大変だったみたいだ。パートに出ていたのが少しは救いだったのかもしれないと今は思う。

母は負けず嫌いだ。けっして贅沢はしないが子供にみすぼらしい思いをさせたくないという気持ちは人一倍強かったと思っている。周りに先駆けて先生や友だちを招いての誕生会を開いてくれたり、銀行員になって豊かな生活ができるようにとそろばん塾にも通わせてくれたりした。勉強しろと言われたことはないけど、良い成績をとったり表彰状を貰ったりするととても喜んでくれるからごいさんは頑張って勉強した。

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自分の思うところをまっすぐに歩いてきた母だ。決して贅沢はしない。何かのためにとお金はいつも貯めていた。誰にも迷惑をかけない。誰の世話にもならず自分の力で生きてきた。そしてそれは85歳の今でもそうだ。自分で食事を作り洗濯もして病院も一人で行く。足腰の悪くならないようにと毎日1時間ほどの散歩を欠かさない。背筋もピンとしたもんだ。誰に対しても卑屈にならない。自分が歩いてきたそのままを今も表しているかのようだ。

とにかく強い人だ。その姿が彼岸花のピンとした姿によく似ていると思うのだ。彼岸花には赤色の他に白や黄色もあるというが、母に似合うのはやっぱり赤だろう。今まで視界に入ることなんてちっともなかったのに、今年はそんなことを考えたから、とても身近な花に思える。もちろんそれが思い出の花になるなんてまだまだ遠い先だと思っているよ。ただ、今は彼岸花がとても素敵に見えるんだ。

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