中秋の名月とスーパームーン

今週は中秋の名月スーパームーンなどとずいぶんお月さまのことで盛り上がった。出遅れたけど、ごいさんもお月さんにはとても興味があるので一言書き記しておこうと思う。

9月27日の中秋の名月は横浜では生憎の曇り空。それでも雲の切れ間にお月さんが見え隠れする。それがまたなんとも奥ゆかしく上品に思えるから不思議なもんです。しばらく見ていたが結局丸い形は見せてくれなかった。

翌日のスーパームーンはその分を取り返すように一回り大きくなったお月さんがその全貌を現す。雲がお月さんを隠すように薄く流れているが障害にはならない。むしろお月さんを包むスカーフ的な感じでこれはこれでまた魅力的に映る。

小さい頃の十五夜さんでは、母が作った白玉団子を供え、ススキを一升瓶に差して飾ったものだ。そしてお飾りの後でその白玉団子にお砂糖をまぶして食べるのが好きだった。母はそういう昔からの行事って割ときちんとやっていて、ごいさんも妹もいつも楽しみにしていた。

夜空を眺めるのは小さい頃から好きだった。何かあったり思うところがあったりする時ってなぜだかお月さんを見たくなる。そんな時はできればまん丸お月さんがいいな。まん丸お月さんを見ていると心が落ち着いてくる。それにもう少し頑張ってみようという気持ちにもなってくる。月の光は太陽のそれに比べればはるかに弱いけど、温かさを感じるには十分だ。そう、ちょうど人の心の温かさと同じくらい。だから近づきやすいのかもしれない。

お月さんがいなかったら夜空にはもっとたくさんの星が見えるね。でもいなかったらきっとものすごく寂しいと思う。逆に、火星のようにお月さんが2つあったらどうだろう。僕はフォボスが好き、君はダイモス派なんてことになるかしら。それはそれで面白いのかもしれないけど2つは要らないな。1つしかないからこそ大切なんだと思える。2人で両手を掴んでぐるぐると回る子供の遊びのように、地球とお月さんはずっとずっと昔から仲良く手をつないで回っているんだ。

昔の人は、毎日少しずつ形を変えていくお月さんに、満月や十六夜の他にも小望月、立待月、居待月、寝待月などの名前を付けてその風情を楽しんでいた。確かにその変化は面白いと思うし趣もある。でもやっぱり一押しは満月だね。満月を見ていたら泣くことなんて忘れちゃう。思わずニンマリしているんだ。きっとあの優しい光のせいだと思う。

いつかあのお月さんに人が住んだりするのだろうか。高層マンションなんかも建つかしら。そうしたらもっと身近に思えるのかな。「月にはうさぎさんが住んでいて餅つきをしているんだよ。」なんて小さい頃に言われたけど、もうこれからの子供には言えないね。でもそんなのどうでもいいことかもしれない。だって人を引きつけるあの美しさは昔と少しも変わらない。きっと今の子供たちにもそう思えるはず。願い事だってきっと叶えてくれる……と思ってるんだけど。

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