秋の夜長に思うこと

先日、友だちのブログに、近所の人から聞いたという本人の知らない両親の一面が記事に書かれてあった。ごいさんは「父や母の気持ちや普段の行動なんて分からないことだらけ。」とコメントに書いたのだが、実はこのことはだいぶ前から思っていたことだった。

ごいさんは父のことは好きではなかったから話もしないし知りたいとも思わなかった。そしてごいさんが24歳の時に父は突然亡くなり、実際に何も知らないままになってしまった。大酒飲みで酒に飲まれるタイプだったが、仲間内ではけっこう人気があったという。自分が見ていたのはいつも遊んでいる父だったが、腕は良かったと誰かが言っていた。40歳を過ぎてから本を読むのに夢中になっていた。何故だか分からない。ごいさんはずっと父から目を背けていた。それでも高校や大学の入学式には父がやってきた。金もあまり無かったはずだが結局は大学まで行かせてくれた。父は何を考えどんな思いだったのだろう。妹の結婚が決まってから、父の晩酌の相手はいつも妹の旦那さんだった。自分の子供と飲めなくて少しぐらいは寂しかったのだろうか。

そして母親の昔のこともやはり何も分かっていない。いつも働いていて、楽しんでいる様子がなかったぐらいにしか記憶にない。それでも最近の母親を見ていれば、その社交的な性格から会社の仲間たちと楽しく過ごしていたのだろうと想像がつく。面倒見のいい性格はきっと変わらないから、その頃も彼女の周りにはたくさんの友達がいたのだろう。子供は母親といる時間の方が長いから必然的に父親よりは分かっていることが多いように思う。それに長いつき合いだし、今なら聞こうと思えば何でも聞ける。

もうずいぶん前だが何かで読んだことがあるのだけど、親にはいつも感謝の気持ちを直接伝えたらいいと言う。だから機会あるごとに、「母さんの子で良かったよ。幸せだよ。」と言っている。ちょっと恥ずかしいからお酒の力を借りているけどね。そんなことはわざわざ言わなくてもちゃんと伝わっているよという人もいるけど案外そうじゃないような気がする。亡くなってから、仏壇の前で「ありがとう。」と言ってももう遅い。口に出せば間違いなく相手に伝わる。その時それを読んでなるほどと思ったんだ。

今は逆の立場で、子供たちはごいさんがどんな思いで毎日を過ごしているかなんてきっと分かってはいない。このブログはそういう自分の姿を書き残そうということで始めたものだ。いつかこれを読んでくれたら、ごいさんが幸せに生きていたのが本当だったということを分かってくれるだろう。素敵な家族とたくさんの仲間に恵まれたお陰でね。

大事なことや大切な思いは、やっぱり言葉にして伝えるべきだと思う。分かってもらえているなんて考えるのは、自分の思い上がりだ。自分が亡くなってから彼らに想像を強いるよりも、感謝の気持ちは生きているうちにちゃんと伝えておきたい。子供たちに、そして友人たちにも。もちろん何度でも……だ。

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