過去の自分、現在の自分、未来の自分

それは、朝の職場に向かう時のことだった。駅から学校までは15分ほどの道のりなのだが、最後の500mほどが直線になっている。それまでうつむき加減に歩いていたのだが、ふと顔を上げてみると40~50m先を自分らしき人物が歩いているのが見えた。後ろ姿しか見えないが、確かにあの格好は10年前の50歳の頃の自分だ。その頃のごいさんは、校長先生になりたいと思っていた。校長先生になって学校全体を盛り上げたいなんてことを考えていた。だが、その熱い思いは2~3年後にはすっかり冷めてしまうことになる。結局、校長先生の力も限りがあって何事も思うようにならないことが分かった。上からの命令をただ押し付けるだけの仕事は自分には合わないことは知っていたしね。それでも生徒や学校へ寄せるごいさんの思いは同僚や若い先生には伝わったようで、最後まで慕ってもらえて最高に幸せだったんだ。

よく見るとその先を40歳の自分が歩いているようだ。この頃は、生徒指導や進路指導の主任も経験して、自信に満ち溢れていた時だ。でもそれから数年後に大変な学校に異動することになる。毎週月曜日の朝になると胃が痛くなるようなそんな重苦しい気分に襲われた。それまでの経験が何の役にも立たなかった。でも大丈夫なんだよ。素晴らしい同僚たちが助けてくれる。少し経てば生徒たちとも気持ちが通じ合うようになる。そしてそれは今までに味わったことのない貴重な経験になるはずだ。

そしてさらにその前を30歳の自分が鼻歌を歌いながら歩いている。ようやく先生としての自覚が出てきて一番楽しい頃だ。若さいっぱい元気いっぱい。何も恐れずに思ったことを一生懸命にやっていろんなことを経験しよう。一見怖そうな先輩の先生たちだが、ごいさんのことを認めてくれて支えてくれるはずだから。

ずっと遠くを先生になったばかりの自分が、暗い顔して歩いているみたいだ。確か、この時は先生を続けるかどうか迷っていたんだっけ。「迷うことはないよ。君はこれから先生としての素晴らしい人生を歩み始めるんだ。元気を出せ!」大声で叫びたくなった。

 

そして思ったのだ。もしかしたら今の自分の後ろ姿を、70歳の自分が見ているんじゃないか。さらに後ろには80歳の自分もいるような気がする。何を語りかけようとしているのか。自分の歩んだ人生をどう思っているのか。いろんなことを聞いてみたかったけど、最後まで振り向くことはできなかった。

もし自分が生きて80歳になったら、今の自分にこう言ってあげたい。「マラソン、よくぞやり抜いた。ニューヨークやロンドン、パリにベルリン、それにホノルルと、世界各地をよくもまあ走り回ったもんだ。海外にもたくさんの友人ができたね。それからブログもよく書き続けてきた。ブログを通してかけがえのない友を何人も持つことができた。実際に会ったら、みんな想像通りの素敵な人ばっかりだった。いろんな知識も得たし。きっとこれ以上の20年はないだろうよ。」……ってね。

 

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