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幸せだった人生、満足した人生

先日、下の子に「父さんは走ることが生きがいだね。」って言われた。そうだよなあ。今の自分は走ることで元気になっているし、楽しい日々を送っている。そんなことを考えていたら、自分の人生の目的って一体何なんだろうという疑問が頭にちらつき始めた。何を今さらって感じだけどね。

現役で働いている時は、自分の子を育てることと学校で教えることが全てだった。やがて子供は巣立ち、退職して生徒とも離れると、それまでの生きがいは生きがいでなくなった。それにとって代わったのがこの走ることとブログを書くことだった。それに加えて50歳になった頃から考えている海外への旅行計画だ。これらのおかげで、ごいさんの人生、今のところけっこう充実していると思っている。

先週行われた数学科の先生たちの歓送迎会で、ごいさんより一つ下の先生が再任用教員として働く理由をとつとつと語る。「家に居てもこれといってすることがない。働いていれば、自然に時間は過ぎていってくれるし、お金ももらえる。自分で何も考えなくてもいい。」と言うのだ。確かに、他の仲間からもそういう話はたびたび聞く。

世の中には60歳を越えても家族のために働かなければならない人もいるからすべてを否定するわけではないが、なんとなく流されるような生き方は自分にはできない。与えられた時間といってももはや限られたものだから、できるだけ有効に使い、創造的に生きたいと思う。

ごいさんは、人生の最後に「幸せだった」という言葉と合わせて「満足した」という言葉を残したいと思っている。それには、単に生きがいを楽しむだけじゃなく生きる目的を分かっていなければいけないのではないかと思うのだ。

走ることは今の自分にとっての生きがいだが、それが生きる目的だとは思えない。ブログもそうだ。記事を書きそれを読んでもらうことは楽しみだが、だからといってそれが生きる目的だとも思えない。マラソンやブログから何か生きる目的は見つけられないだろうか。本を読む。旅に出る。芸術を楽しむ。自分を高めようと努力する。それらはいったい何のためなのか。ここのところそんなことばかり考えている。

楽しく生き幸せに人生を終えられればそれで十分だとも思うけど、最後の最後に自分が満足したという言葉を残せる、そんな生き方をもう少しだけ模索してみようと思っている。

 

ウッドチップが敷き詰められた相模原麻溝公園のクロスカントリコースf:id:goisan:20160614112831j:plain