39回目の父の命日

今日は父の39回目の命日。月日が経つのは早いものだとつくづく思う。生きている時にはあれほど嫌っていた父が、亡くなってからはずっとごいさんの心の支えだった。いつもどこかで見ているはずだ。情けないことはできない。きっと応援してくれている。だからといって、いつもうまく行くわけじゃない。でもそう思うことで、たとえうまく行かなくても割と冷静でいられる。自分で手を抜いて父にすがるなんてことはできない。父が亡くなってからの方が自分をしっかり律せられるようになった気がする。

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その日の父は、「〇〇、起きろ!仕事に遅れるぞ!」という声をかけて会社に行き、朝の9時に倒れてそのまま意識を回復することなく3日後に亡くなった。しばらくは毎日のように夢を見た。「帰ったぞ」という声と共に玄関が開き、笑顔の父が入ってくる。そして「お帰り~」と言った瞬間に目が覚める。だいぶして夢だということに気づく。39年も経つと、さすがに父の夢を見ることもなくなった。父の声も聞こえなくなって、声自体も忘れてしまった。確か実家のどこかにテープレコーダーに遊び半分で録音したのがあったはずなのだが、探してみたけれど見つからなかった。

父と一緒に生きたのは24年と6ヶ月。その間、ごいさんは父が大嫌いで、ろくな会話もしてこなかった。だから父が何を考えていたかなんてまるで見当もつかない。今は、残されている記憶を少しずつつなげて父の思いを探し出そうとしている。そうして人情味あふれる父親のイメージが出来上がりつつある。亡くなってからの方が、生きていた頃よりもずっとみんなから慕われ頼りにされている感じだ。39年もの間、そう思われている父親は亡くなっても幸せに違いない。

でもよく考えれば、きっとあと数年もしないうちに父とは和解できたように思う。孫ができて優しいお爺さんになって、手先の器用な父さんは家のことやおもちゃなど何でも直してくれる。お嫁さんからも孫たちからも神様のように思われるだろう。あんなに読書もしていたから、その知識の量はきっとごいさんを抜いているはずだ。やっぱり49歳で死ぬのは早かったね。もう少しで一緒に酒が飲めたかと思うと、本当に残念だ。

今日は仕事があったので、墓参りは昨日に済ませてきた。もちろん走ってね。颯爽と生きている所を見てもらわなくちゃいけないし。「みんなを守っていてよ。」って、しっかりお願いしてきた。結局、また頼りにしちゃいました。

 

突然どこからか飛んできて、ごいさんの周りを飛び回っていた。カメラを向けたらポーズをとってくれてるよう。一緒にお墓参りをしてくれました。f:id:goisan:20160623160800j:plain

 

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