奈良マラソン ~ 観光編(後) ~

さて、奈良での最終日。この日は明日香村に行こうと決めていた。高松塚古墳が発掘され極彩色の壁画が見つかったというニュースを聞いた時、この目で見てみたい、そんなふうに思ったのを覚えている。それから40年以上もの間、実現できないでいた。

新大阪駅に荷物を預け、橿原神宮駅へと向かう。ここから散策に便利な周遊バスが出ているとのこと。もっとも丈夫な人にはレンタサイクルがお薦めということだった。天気も暖かだしマラソン疲れもないようなので、結局はレンタサイクルを借りることにした。お店の人にモデルコースを教えてもらって、いざ出発。

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初めに向かったのは橿原神宮神武天皇がおよそ2,600年前に畝傍山の麓に橿原宮を創建したのが始まりで、その跡地に1890(明治23)年に作られたのだという。「日本書紀」に日本建国の地と記されていて、それで上の写真のような「ようこそ、日本のはじまりへ。」……ということなのね。

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続いて訪れたのは本薬師寺跡。あの奈良の薬師寺の前身にあたるお寺だそうだ。当時は、金堂や東西に二つの塔があったそうで、今はその礎石が残されている。

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次は少し離れて藤原京跡。もっと賑わっているかと思ったらただ広い空間があるだけで観光地らしい趣きはまったくない。大和三山がすぐ近くに見えたのが印象的だった。

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そしてあの天照大神の神話で有名な天岩戸神社。「えっ、こんなちっぽけ」なんて思ったら、宮崎県の高千穂町にあるのが本殿ということだった。

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次が「水落遺跡」。中大兄皇子が作ったとされる「漏刻」の跡だ。漏刻とは水時計のことで、この時代に時計を作るのってけっこう大変だったようだ。

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さてお目当ての飛鳥の大仏さん。飛鳥寺は596年に蘇我馬子が創建した日本最古のお寺だそうで、その講堂の中に大仏さんが祀られている。606年に造られたというから東大寺の大仏さんよりも150歳年上になる。何回も修理されたらしくあちこちにつぎはぎが見られて少々痛々しい感じがした。またお寺の裏には蘇我入鹿首塚がある。

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蘇我馬子の墓ではないかといわれている「石舞台古墳」に到着。石室にも入ることができる。この大きな石の造りに、往年の馬子の勢いが感じられるようだ。

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次は聖徳太子誕生の地だという橘寺。遠くから眺める景色はいかにも飛鳥の光景を代表している。庭には飛鳥時代に作られたという二面石なるものがあった。右善面、左悪面と呼ばれ、我々の心の持ち方を表しているとのことだ。

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続いて亀石と呼ばれる大きな石。前は顔のように見え全体が亀に似ている。なんともユーモラスで愛くるしい。亀を供養するために作られたという謂れもあるようだ。

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そして高松塚古墳。そのものは案外あっさりとしたものだったが、壁画館で見た2種類の壁画の模写は丁寧な説明もあって十分に楽しめた。これがあの時の壁画なのかとちょっとばかり感動。

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さて時計を見るともう3時過ぎ。駆け足の4時間だったね。次はもう少しのんびり回ることにしよう。では橿原神宮の絵馬に思いを込めて「来年も良い年でありますように。」

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