母の手料理を食べながら

お正月2日は母のところへ挨拶に出かけた。毎年の恒例の行事だ。もう何もできないと言いながら、煮物を作ったり小豆を煮たり唐揚げやきんぴら、ポテトサラダを作ったりとたくさんの料理が並ぶ。それらをつまみにして妹の旦那さんと酒を酌み交わす。テレビ画面は箱根駅伝の山登りの場面だ。今年は2区の一色選手が出遅れた感じだったが3区でトップに立った青山学院がそのまま逃げ切って往路優勝を果たす。2位の早稲田が最後にかなりの追い上げを見せ復路への期待を持たせて一日目が終わった。最終的には青山学院の圧勝に終わるのだけど。

こうして母の手料理を食べ、酒を呑みながら箱根駅伝を見る。もう30年以上も続いてきた行事だから、誰もがそれが当たり前のように思っている。その母も2月の誕生日が来ると87歳になる。こんなふうに料理を作れるのもそう長くないのかな。妹の旦那さんと2人で呑んでいる様子を見ながら母はいつも喜んでいる風だ。自分の作った料理を美味しそうに食べているのを見るのは嬉しいに違いない。そんな母の顔を見るのが好きだ。この時間がこのまま止まってもいいと思う。仏壇の横に飾ってある写真の中の父も笑っているように見える。

母親は盛んにお替りはどうだと言う。そんなに食えないのだけど、お替りをすると喜んでくれるから、ついついその要求に負けてしまう。結果としてお腹がはちきれるくらいになってしまう。昔の親は概してみんなそうだった。とにかく食べろ食べろとうるさい。小さい頃は家族でコッペパン一個なんていう日もあった。それと今日もコロッケ明日もコロッケという時代かな。母親の昔からすれば、今のこんな豊かな生活なんて考えられなかっただろうと思う。

けっこう食べたけどやっぱりかなりの量が余った。いつも作り過ぎなんだよと思うのだけどそれも母の計算のうちなのかな。今度はタッパーに詰めるから持って帰れと言う。もちろん断る理由もない。それでまた母は嬉しそうな顔をする。そんな母の顔を見ていると幸せのありがたさをつくづく感じる。こうしてごいさんの1年が始まるのだ。今年もみんな元気に、何より母が元気に過ごしてくれることを祈るのだ。

今日は母のことをあれこれ書こうと思ったのは確かだけど、なんだかごちゃごちゃしてしまった。母の笑顔を見て幸せな1年の始まりを思う一方で、毎年お正月が来て母の手料理を食べるたびに、母との別れが近づいているようにも感じる。むしろお正月が過ぎてふだんの生活に戻るとそんな感情は湧かないのだけどね。ともあれ今年もみんなで元気に過ごしたい、そう願うことだった。

 

浅草・仲見世通り。下の写真は浅草文化観光センター8階から撮影。f:id:goisan:20170105112341j:plain

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