京都マラソン +α

着替えを終えてランナー出口で待ってくれていたカメキチさんご夫妻と改めて再会を喜ぶ。ブナさんが気遣ってくれて、ビールに餃子、唐揚げや大学芋とたくさん買ってきてくれた。こちらがお礼をしなければいけないのに、すみません。それに走り終えたばかりのごいさんはテンションが高くなっていてほとんど一人で喋っていた感じ。後になって、せっかくの機会だったのにもう少しお二人の話を聞けばよかったと後悔しきり。カメキチさんご夫妻とは3時を少し過ぎたあたりでお別れした。ごいさんの疲れを気にしてくれたのだと思う。今日は本当にありがとうございました。たれ目のぶたさんも大事にします。

お二人と別れて、鴨川に向かって歩き出す。鴨川を眺めながらもう少し飲もうと考えたのだ。途中でビールを買って、三条大橋から降りてすぐの川べりにどっかと腰を下ろす。バッグから缶ビールを取り出そうとしたのだが、掴み損ねた缶ビールが川に向かって転げだした。慌てて手を伸ばしたが間に合わない。川の中を浮き沈みしながら少しずつ下流に流れていく。口を開け茫然として見送っていると、左手の方に強い視線を感じて目を向けてみたら若い女性のお二人連れと目が合った。どうやら一部始終を見ていたようで、いかにもお気の毒にという顔をしている。そこでごいさん、すかさずカバンの中からもう1本のビールを取り出す。そして笑顔と一緒に彼女らに見せたら、安心したという感じでニコッと笑顔を返してくれた。2本買っておいて良かったと思った。

帰りの新幹線の中、前から少し気になっていた「思い出にも賞味期限というものがあるのだろうか」なんてことを考えてみた。今回も懐かしい場所を歩いてみたのだけど、若い頃のことを思い出しても以前のようにときめかないのだ。同じようなことが自分の小さい頃に育った町にも当てはまる。そこを訪ねればその頃のことがたくさん思い出されるのに、今の自分にはどうにもピンとこない。上手く言えないのだけど、立体だったのが平面的に、動画が写真になったような少し薄っぺらになった感じ。どちらも懐かしいのだけど、ずっと昔にそんな出来事があったぐらいにしか思えない。

そんなことを考えたら、思い出にも賞味期限があるんじゃないかと思うようになった。昔の思い出は大切だとは思うけど、何かの役に立つというのも聞かないし、今も感動するなんていうこともそうはなさそうだ。感動だって年が経てば色褪せてくる。上手い例えではないけど、人間の皮膚が毎日新しく作られているように、思い出もどんどん新しく作って行くのが大事なんじゃないかと思えてきたのだ。

例えば次に京都に行ったら、昔の思い出より先にカメキチさんご夫妻に応援してもらったことやマルさんにお会いしたことを思い出すのだろう。昔の思い出に引きこもらずいつも新しい思い出を作り出そうとしていけば生きる張り合いも出てくる。それに案外若さを保つ秘訣かもしれない……とも思う。

こんなたわいもないことを考えるのって楽しくて、それにいい時間つぶしになる。この日も、あっという間に新横浜駅に到着。新幹線、やっぱり速い。

 

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