65回目の母の日

自分の病院に行くついでがあったので、土曜日に母を訪ねていった。今回の母の日のプレゼントは、小さな丸いケーキと造花でできた可愛らしいお花。それと母が最近はまっている焼酎。食前酒みたいにしてご飯の前にお猪口で1杯飲むのがいいらしい。それに商品券を少しだけ。以前は何か買っていったのだけどなかなか気に入ってもらえないから、最近は自分で好きなのを買ってよという感じで商品券を渡している。現実的な母にとってはこの方がありがたいらしい。お金はありがた過ぎてこれまた使わずにしまってしまうのだ。

2年ほど前から週に一度、母のところに寄るようにしている。2度3度と行ってもいいのだが、多すぎても母の自由を奪いそうな感じがして遠慮しているといったところかな。行けばご飯の用意をしたりお菓子やお茶を出したりと何かと忙しなく動き回る。それはそれで嬉しいからだろうけど、日課の散歩もできないし好きなテレビ番組も落ち着いて見られないというようなことになってしまう。それに母の友だちが訪ねてくることもある。

そんな様子を見ていると、母にも母の時間が確かに流れていると感じる。実際、母の一週間だが、月水金の午前中はゲートボール。午後はテレビと散歩を少々。火木土はゲートボールがないので洗濯や掃除をやって、後はテレビを観るのと少しの長めの散歩。時間が余ればボケ防止のためにと数独のパズルや絵の間違い探しに挑戦している。時々自慢げに出来栄えを見せてくれるのだが、良くできたねと褒めてあげると本当に嬉しそうな顔をする。日曜日は妹の家に行って夕食をご馳走になって帰ってくるといった具合の一週間だ。概ねこの流れができているから突然の横入りはしたくないところでもある。そんなわけで、自分が1回、別な日に妹が1回ぐらいというのが、今の元気な母さんにとっては妥当なところでしょう。

ただ時々思うのは夜に一人でいてどんなものかということ。周りが明るい昼間だとそんなに孤独感って感じないけど、暗くなって一人でテレビを見ている。87歳ぐらいになるとどんなことを考えるのか。自分だっていろんなことを考えて、それで寝付かれなくなったりもする。そんな思いを誰かに打ち明けることもできないというのもある。その辺がなんとなく気になるところなのだ。

今は週に1回の割合で実家を訪ねている。1年におよそ52回だ。もちろん丸一日いるわけではない。3~4時間もいればいいところだろう。そんなふうに考えれば、母といる時間なんてたかが知れたもの。まして母と話しをする時間はもっと少ない。とても貴重な時間に思えてくる。母がいつかはいなくなると思いながらもずっといてほしいと願う。だからこういうお祝いの日は素直に母に感謝をしようと思う。今のうちにちゃんと言っておかないと後悔するもんね。

今の母を見ていると、自分もやがてはこんなふうに穏やかな気持ちで過ごせたらと思う。いつか自分の歩んできた人生と素直な気持ちで向き合えられたらどんなに素晴らしいだろうか。

 

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