顔、顔、顔

前にも書いたけれど、街中を歩いているとついその人を観察してしまうなんていう癖がごいさんにはある。全体の格好や歩いている時の雰囲気、そして顔かたちだ。イケメンだとか不細工だというのではない。この前は耳の大きさや鼻の形だった。一度気になると取りつかれたように見てしまう。例えば鼻だと少なくともその日は鼻しか見ない。耳なら耳だけだ。もちろん相手に気づかれては失礼だからさりげなく見る。遠くを見るふりをして焦点は手前のその人の鼻や耳に合わせている。よく見るとみんな見事なまでに違う。確かに指紋の代わりに使えるのも納得する。きりっとした鼻もあればぺちょっとした鼻もある。自分の倍もあろうかという大きな耳の人にはびっくり。こういう人ってたくさんの幸せを運んでくるのかな。鼻と耳の他に目や口と合わせれば無限大の組み合わせができる。人の顔が個性的で魅力的なのはそういうことなんだと合点する。

とまあ、そういうことで最近はと言うと顔全体の表情というのが気になった。それも一人で街中を歩いている時の表情だ。その人たちの顔を見ていると、では自分はいったいどういう顔をして歩けばいいのかなんてことを考えてしまう。これまた個人の自由だなどと言われそうだけど、こんなことをうだうだと考えるのもごいさんの悪い癖だ。それからはすれ違う人を注意深くしかも気づかれないように眺めては歩いてみる。ターゲットはあくまで一人で歩いている人だ。

結果としてこれがいいと思える顔には出会えなかった。ということは自分も大した顔して歩いていないというわけだ。自分もそうだが大方の人は歩く時の表情まで気にすることはないのだろう。ましてわざと変な顔をして歩くなんて考えられない。これが日曜日とかで、家族や恋人、仲のいい友だちと一緒にいる時の表情はがらりと変わってくるから、やはり心の持ちようということになるのかと思う。ということは、一人で何気に歩いている時にこそふだんのその人となりがそのままに顔の表情に表れているってことじゃないか。

自分もすれ違いざまに他人の肩や荷物が振れただけで顔が歪んでしまうことがある。この前はあやうく正面衝突しそうになって相手に思わず舌打ちされた。何とも言いようのない不快感を覚えたのだが、その思いがしばらく顔の表情から消えない。それに何かを考えながら歩いていて顔を曇らせている自分に気づくことが度々ある。そんなことを考えてみたら自分もずいぶんと不満顔で歩いているのかもしれないと思った。

一人で歩く時は誰に気づかうこともない。だから余計にふだんの様相がそのままに表れる。そんな時はゆとりのあるいい表情を作りたいと思うのだが、応急処置的に作ったものは少しのはずみですぐに剥げてしまいそうだ。やはりふだんからの表情作りが大事なんだと思う。それにしても一人で歩く時の表情って本当に難しい。こんなことを考えている自分は変?でもちょっぴり意識したら少しは改善できるような気がしているんだ。

 

生徒の描いた37年前のごいさん。いい顔、している?f:id:goisan:20170817105126j:plain