明日のために生きる

11月23日にブログを通して知り合いになったrecocaさんと再会した。東京の久留米の方から横浜まで2ヶ月に一度ぐらいの割合でリコーダーのレッスンを受けに来ているという。最初に会った時にそんな話が出て、それでは今度は横浜でお会いしましょうと約束をしていた。

彼と話している時から、何かワクワクしたものを感じていて、でもそれが何だかよく分からなかったのだけど、一人になって考えてみたら何となく分かってきたことがあった。それはだいぶ前にも感じたことでその時はもやっとしたままで放置してしまったのだけど、今回はその少しばかり分かった気持ちをここにまとめておくことにした。

Recocaさんはご自身のブログにも書かれているように現在77歳なのだが、血色もよく表情も豊かでだいぶ若々しく見える。そしてその要因は何かと考えた時、その一つに挑戦し続ける姿勢があるのではないかと思ったのだ。彼の場合だとまず音楽活動がある。いろいろな場で発表する一方でさらに技術の高みを目指してレッスンを受けている。俳句も然りだ。十分に知識を持っているのにさらに確実なものにしようと通信教育に挑戦する。なんとも意欲的だ。

今まで自分は、「明日なんて当てにならない。生きているかも分からないのだからまずは今日を懸命に生きよう。」と考えてきた。でも最近になって、少し考え方を変えてみようと思うようになった。今日を一生懸命に生きることはもちろん大切なことなのだが、明日が当てにならないとか明日が来ないという考え方は捨てるべきだと思ったのだ。実際、ほとんどの人に明日は確実にやって来る。ならば明日も楽しめるようなそんな生き方をしなければいけないのではないか。

明日がない、明日はつまらないと思えば必然的に過去を振り返ることも多くなる。そうだ、あの頃は楽しかった。上司や先輩としてたくさんの部下を従え、話をすればみんなしっかりと聞いてくれた。でも退職して肩書きを失った瞬間、それはみんな過去の思い出になる。それでもつまらない明日よりはその思い出にしがみつこうとする人は多い。そうして自分の現状を嘆いては、「昔はよかった。」という名ゼリフを口にするようになる。

ところが、常に明日や未来のことを考えている人は過去にとらわれないで生きている人が多いと思う。お爺ちゃんだって懸命に何かに打ち込む姿勢は輝いている。なんでもいいのだ。他人が見てつまらないものだって自分が積極的になれるものを見つけてそれに打ち込む。いつか進化した自分になれるというそのワクワク感が、人生をより楽しいものとするだろうしいつまでも年老いない秘訣なんじゃないか。それに学ぼうとする姿勢があれば謙虚な気持ちにだってなれる。

過去がどんなに素敵で時には心を癒してくれても、それだけで残りの人生を前向きに生きることはできない。残された未来にだってたくさん素晴らしいことが待っているはずだ。そこでまた新しい思い出を作ればよい。とまあそんなわけでごいさんも未来の自分のために生きてみようと考えたのだ。5年先、10年先の自分がどのくらい進化しているか、ちょっと想像しただけでも楽しくなってくる。

 

日曜日に奈良マラソンを走ってきます。f:id:goisan:20171207232957j:plain