名古屋二人旅

ぎふ清流マラソンを走れなくてちょっと落ち込んだ状態で名古屋の宿に戻ってきた。この宿は、ブログ仲間のrecocaさんが予約してくれたものだ。岐阜でマラソンを走るということを話したら、名古屋に良い宿があると言う。彼は名古屋出身なのだ。ついでに名古屋の街を案内してくれると言う。そのために彼はわざわざ東京から一日遅れでやってくるのだった。10歳以上も大先輩の彼がわざわざ東京からやってくる。言葉では上手く表せないけれど、何ともありがたいことだ。

夕方6時ぐらいに彼の部屋から内線があった。去年の暮れのクリスマスパーティ以来、久しぶりの再会。だけどそういう感じは全くしない。彼は、ブログの記事そのままに実直な人だ。彼のような人が戦後の日本を立ち直らせてきたのだというのがよく分かる。そして今もまだ彼はいろんなことに挑戦しては進化を続けている。なんとも魅力的な人なのだ。

部屋でひとしきり話した後、夕食を食べに行くことになった。名古屋の名物を味わってもらいたい、名古屋のいろんなことを知ってもらいたい、そんな彼の熱い思いが伝わってくる。そして見つけたのが、名古屋名物ひつまぶしのお店。お店の構えを見ればそのお値段の見当もだいたいつくが、どうせ食べるならいいものを食べたいという気持ちが勝った。

翌日に真っ先に案内してもらったのは名古屋城。金シャチが眩しい。本丸御殿が新しくなったということでなかなかの人気だそうだ。9時の開園時間前には着いたのだが、すでに入場券売り場には列ができ始めていた。お目当ての本丸御殿に入るのにさらに20~30分ほど並んだろうか。真新しい本丸御殿も、これから月日を重ねてますます魅力的になっていくのだろう。名古屋城を後にする頃には、入場券を購入するための列が200mほどに延びていた。早い時間に来て大正解だった。

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続いて名古屋のテレビ塔。耐震工事で立ち入ることができなかったのがちょっと残念。次に大須観音浅草寺みたいな感じで、浅草の仲見世に似た大須商店街は溢れんばかりの人で賑わっていた。そして最後はテレビでよく見かける熱田神宮。観音様といい熱田神宮といい、キリスト教徒のrecocaさんとは全く縁の無い場所だ。わざわざ自分のために案内してくれるというのが嬉しい。ちなみにこの日のお昼はおかかがたっぷり乗ったきしめん

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帰りの切符は別々に購入していたが、時間を変えてもらって一緒に帰ることができた。前日の夕方から新横浜に着く夕方6時まで、寝ている時間を除けば12時間以上も彼と話し続けた。不思議だ。年齢もだいぶ違うし、やってきたこと、それに考え方もきっと違う。そんな二人がこんなにも長い時間を二人だけで過ごせるなんてね。きっと彼の周到な準備のおかげだ。ごいさんと歩くために足腰も鍛えてきたという。実際この日は12キロ近くも歩いた。

来年は常滑中部国際空港の方を案内してくれるということだから楽しみにしていよう。もちろんぎふ清流マラソンをしっかり走ってからね。彼のおかげで、ショックも癒え、楽しい旅となった。

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第Q回ぎふ清流ハーフマラソン

一昨日に行われたぎふ清流マラソンに行ってきた。でも走れなかった。

前日の夕方6時頃、受付会場の岐阜メモリアルセンターに向かう。さすがにこの時間になると受付に来るランナーも少ない。露店も片づけを終えて帰らんとしている。で愛ドームに案内され、ゼッケンを受け取る。ブロックはA、だいぶプレッシャーを感じる。それでもボランティアの皆さんから頑張ってくださいと声をかけられ、気持ちは前向きに。

名古屋のホテルで、コース図を見ながらレースプランを考える。橋の位置と距離関係を確認しながらだいたいのペースを設定する。今の状態から1時間50分を切れればいいかと妥協点を見つけたところで早々と床に就く。朝は目覚ましの鳴る前に目が覚める。軽く体を動かして朝食を取り、6時20分、ホテルを出発。この時はやる気も十分、そしてQちゃんとのハイタッチに期待を膨らませていた。

なのに、走れなかった。駅に行く道を少し間違えて途中から走って、どうにか予定の電車には間に合いそう。そう思って改札を入ろうとした時に、パスケースがないのに気付いた。持って出たのは記憶しているから、途中で落としたに違いない。お金とクレジットカードが何枚か一緒に入っていたから、当然だけど手元には一銭もなく電車にも乗れない。

仕方なく来た道をパスケースを探しながら宿まで戻ることにした。落としたなら時間はあまり経っていないからまだそこにあるだろうかとも思ったが、結局は宿まで見つけることはできなかった。宿には予備にクレジットカードを1枚残しておいたから、お金を引き出すことはできたからこの時点では急げばまだスタート時間に間に合ったと思う。

ただ一緒に落としたクレジットカードや保険証のことが不安だったし、それに膝の調子も相変わらず思わしくない。これは走らない方がいいという天からの案じなのかもしれないなんて勝手なことを考えた。そう思ったら、自分には珍しくあっさりと諦めもついた。そうして、交番への落し物の届けや、カードの使用停止の手続きを済ませる。

一通り済ませるとようやく気持ちが落ち着いてきて、ともあれ会場に行ってQちゃんに会ってこようという気になった。会場に着いた時は2時間ぐらいのランナーが次々と帰って来ている頃だった。沿道にはたくさんの人が出迎え、大きな声援を送っている。いつ見てもいい光景だ。

12時半からは、サンプラザ中野くんパッパラー河合さんによるライブショー。彼ら曰く、平成を駆け抜けたというヒット曲「ランナー」をみんなで大合唱。続いてQちゃんや川内君、それに彼の婚約者などがやって来てのトークショー。歌って踊って、Qちゃんや川内君の元気な声を聞いていたら、自然と自分もそこを走った気分になっていた。

Qちゃんとは、いつだったか、三浦マラソンでハイタッチしてからの熱烈ファン。来年はできればあの競技場の中でQちゃんとハイタッチしたい…なんて、会場を後にする頃には落し物のことはすっかり忘れていた。これもある意味、いい思い出になった…かも。

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母の入院と手術

自分がニューヨークに行く前日の朝、母は頭に強い痛みを感じてしばらく横たわっていたという。夕方になっても一向に痛みが引かないので妹に連絡して、妹の家に泊まることになった。一晩休んだら、多少痛みが和らいだようで自宅に戻ったという。妹からのメールでそれを知ったのは、ニューヨークにちょうど着いた時だった。母はもう大丈夫だから楽しんできていいよとも添えてあった。

ところが実際はその後も痛みは続いていて、病院に行ってCTを撮ってもらったりしたのだが何の異常も見つからなかったという。処方された痛み止めを飲むが、痛みは治まらない。ニューヨークから帰った自分に、母がもう一軒だけ病院に連れて行ってくれと頼む。すでにCTでも異常がなかったんだから気のせいだと本気にせずにあしらう自分。それでも母の勢いに負けて、脳外科の病院に連れて行った。

専門のドクターは母の顔色やCTの話などから特に問題はないようだと語ったが、母を納得させる意味でも、MRIを撮ってほしいとお願いした。早くお願いしたいという気持ちが伝わったのか、翌日の開院前に撮ろうということになった。話の内容から特に問題は無さそうだと思ったので、当日の立ち合いは妹夫婦にお願いした。

そうしたら翌朝に、妹から電話が入った。母にくも膜下出血が見つかって緊急入院、午後には手術をするという。電話があった時点ですでに何かあったと思ったが、これを聞いた時は本当にショックだった。祖母もくも膜下出血で亡くなっていて、それがいかほどに恐ろしいものかということは十分承知している。仮に治ってもかなりの後遺症が考えられた。いや、それでも生きていてくれればいい。

89歳の母にとって手術は大変な負担だろう。幸い運ばれた病院では、カテーテルを利用した手術ということで体への負担は軽く母でも大丈夫ということだった。手術は1時間ほどで終わり、ドクターからは手術がうまくいったことを告げられた。また、発症して2週間も経つのにこうして無事に生きているのは奇跡だとも言われた。酸素マスクをつけて苦しそうにしている母と面会するのは辛かった。逆に、そんな自分たちを元気づけるように声を出す母だった。

ドクターの思った以上に母の回復は早く、10日後には退院できることになった。後遺症もほとんど見られない。妹の家で数日過ごした後、実家で一人暮らしを再開した。妹から連絡をもらってから病院までの道すがら、母が死ぬことも覚悟した。母の言葉を聞いてあげなくて、もしも母が亡くなったらどれほどの後悔をすることになっただろう。

母のことでは後悔しないようにしてきたつもりでも、いざとなると思いだすのは後悔することばかり。今回はそんなのとっくのお見通しの神様が与えてくれた試練だったのではないか, そんな気がする。それが証拠に、母は後遺症もなく無事だった。こうして母の存在価値を改めて噛みしめたおかげで、僕も妹も親孝行のやり直しができる喜びを感じている。言葉に表せないくらいに嬉しい。

二度とこんな機会は来ないだろう。今度こそ、後悔しないようにしなければ。

引地川の千本桜f:id:goisan:20190407125041j:plain

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ニューヨーク、再び ⑥(終)

メトロポリタン美術館を出て、バスでミッドタウンに向かう。バスは真っ直ぐに走るだけだし、開放感のある窓からは外の景色が見えるから、降りる場所も分かりやすい。乗り降りの仕方は基本的には日本と同じ。7日間フリーパスは地下鉄もバスも乗り放題という優れもの。だから気軽に利用できる。ただ道路の方は常に渋滞気味なので、時間がない時や遠くへ行く時はやはり地下鉄利用。

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ミッドタウンでお土産を買っていつものデリでお茶して、セントラルパークの中を歩いてホテルまで戻る。ニューヨークは夏時間が始まっていて、6時になってもまだまだ明るい。平日だけど相変わらず多くの人が走っている。ずっと想像の世界だったセントラルパークを、今こうして自分が実際に歩いているのが不思議だ。一生、外国なんか行かないだろうなんて思っていたのに。

でもまだ夢が叶ったというのではない。もっといろんな人とたくさんの話ができるようになりたい。こうしてセントラルパークを走っている人や歩いている人、たたずんでいる人と話ができればと思う。欲を言えば冗談も言えるぐらいになりたい。今回はスピーキングはまあまあとして、リスニング力のないのを痛いほど感じた。今までの勉強じゃ甘いというのを思い知らされた。でもそれも今回の旅の一つの成果。

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夕暮れのセントラルパークは素敵な光景だった。暗くなると怖いとか言われているけれど、それなりに人もいるしある程度の時間までは心配ないように思う。近くに住むというお年寄りから「夜の9時頃に見える景色は最高なんだよ」とアドバイスされた。その時間には行けなかったけど、少し暗くなりかけた頃の景色を見たらさもありなんと思った。次に来る時、自分はどんな思いでこのセントラルパークを歩いている、いや走っている?

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そして、最終日。朝9時を少し回ったところでチェックアウト。フロントの人にしっかりとお礼を言い、一緒に記念撮影。空港までの手段は、来た時と同様に地下鉄を選んだ。朝のラッシュが気になったけど、9時を過ぎた頃はそれもあまり感じられなかった。むしろ道路の渋滞の方が気になる。時間に余裕があったから、ミッドタウンで最後のお茶をして調整。通り過ぎて行くたくさんのニューヨーカーを眺めながら、その中に混じる自分、そんな光景を思い浮かべてみた。ごいさん、どこに行くんだい?

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さあ、これでマンハッタンともお別れ。50Street駅で地下鉄E線に乗車。Sutphin Blvd(サットフィンブルーバード)駅でエアトレインに乗り換えてケネディ空港へ。1時間余りだったけど実にスムースであっという間に着いてしまった。ウェブチェックインをしてあったのと、セキュリティチェックも前回に経験しているので難なく通過。後は14時間のフライトを残すのみ。ニューヨークに来る前からあった緊張感からようやく解放された瞬間だった。

海外旅行、初めての一人旅。やればできるじゃない。さて、次はどこに行こうかな。

 

ごいさんの折った鶴。ホテルに残した置き土産…のつもり。f:id:goisan:20190319090850j:plain

 

かすみがうらマラソン 2019

この前の日曜日にかすみがうらマラソンを走ってきた。結果は惨敗。2年前に同じこの大会で出したワースト記録を更新する4時間21分18秒でフィニッシュ。天候はそれほど暑くもなくむしろ涼しい風が吹いていたぐらい。それでも2年前のトラウマから脱することはできなかった。もっとも3月3日の三浦マラソン以来、ほとんど走っていないのだから当然と言えば当然の結果だ。

3月は三浦マラソンの後は体を休ませるためにしばらくランオフしようと決めていた。その間にニューヨークに行き4月から練習を再開する予定だったのだが、母が病気をしたこともあってそれを口実に走ることをしなかった。いよいよかすみがうらマラソンが近づいてきて、とても参加できるような状況ではなかったけれど、それだけの理由では棄権するわけにはいかなかった。

そこで調整を兼ねて参加したのがかすみがうらの一週間前に行われた月例湘南マラソン20キロの部だった。これも初めは桜のお花見マラソンにしようかなどと甘く考えたのだが、ブログ友だちのmacさんの記事を読んだら久しぶりに月例湘南を走ると書かれてあったので、自分も参加することに決めたのだ。しかしコース上には砂が山のように堆積していて、滑ったり足をとられたりして大変だった。結果的にはかすみがうらの当日までその疲労が尾を引いたかも知れない。

月例マラソンでそこそこに走れたので少しばかり自信が回復したのと木曜日に20キロを走ってみてこれまたそこそこの走りができたので、いよいよ参加する気になった。しかしやはり練習不足は明らかで、たいして走ってもいないのに足の疲労がなかなか抜けない。その上、当日は気温が高くなるというニュースを聞いて、ますますテンションは下降していくのだった。

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朝5時59分の電車で出発して8時少し過ぎに到着した。会場が近づくにつれ2年前の悪夢が正確に思い出されてくる。結局そんな思いが積極性を失わせ失敗レースとなったのかもしれない。そういう予感もあって抑え気味にスタートしたのだが、それでも15キロあたりで苦しくなってきた。何とか23キロぐらいまではもたせたものの、そこで気持ちが切れてしまった。そこからの20キロの道のりの何とも長いこと。

暑さはそれほど感じなかったが、軽い熱中症になったようで、もうまともには走れない。どうにかロッキーおじさんのいるいつもの場所、39キロ地点に到達。ロッキーおじさんと初めての握手を交わす。これが最後と看板に書かれてあったがもう会えないのかと思うと寂しさが募ってきた。ロッキーのテーマソングとともに片手を上げ下げし無言のまま頷く。そんなロッキーおじさんに今まで何度も励まされてきた。ありがとう、ロッキー。

ロッキーおじさんのおかげか体調が回復してきたように感じられたので、少しスピードを上げてみる。周りの選手もみんなかなりバテているようで、こんなに一気に抜くなんて実に久しぶりのことだ。どうにか最後まで走り切ってフィニッシュ。

さて、この悔しい気持ちを次のシーズンに生かすことはできる……かな。

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ニューヨーク、再び ⑤

ニューヨーク5日目は、メトロポリタン美術館 (The Metropolitan Museum of Art  通称メット(The Met)) とグッゲンハイム美術館の見学。美術のことは丸っきり分からないごいさんだから、当然ガイドさんに引率してもらうことにした。それでなくてもメトロポリタン美術館は一日では回り切れないという話だしね。

さて今回の記事は写真が主。ごいさんが実際に目にしたのはみな本物だったけど、写真に収めた段階でもはや本物ではなくなってしまう。それによく知られているものばかりだから皆さんには味気なく思われるだろうけれど、自分の記録としてここに残すことにする。

まずはメトロポリタン美術館の正面入り口。f:id:goisan:20190318095815j:plain

エジプトから寄贈されたというデンドゥール神殿。f:id:goisan:20190318102555j:plain

美しいティファニーのステンドグラス。f:id:goisan:20190318104152j:plain

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ドミニク・アングルの『ド・ブロイ公爵夫人』f:id:goisan:20190318105823j:plain

ルノワール『ピアノに向かう2人の少女』f:id:goisan:20190318110538j:plain

同じくルノアールの『海辺に座る女』f:id:goisan:20190318115446j:plain

フェルメールの『少女』f:id:goisan:20190318111805j:plain

フェルメール『水差しを持つ女』f:id:goisan:20190318111842j:plain

フェルメール『眠る女』f:id:goisan:20190318112326j:plain

クリムトの『メーダ・プリマヴェージ』f:id:goisan:20190318113437j:plain

 スーラ『グランド・ジャット島の日曜日の午後f:id:goisan:20190318114326j:plain

ゴーギャンの 『マリア礼拝』f:id:goisan:20190318114432j:plain

モネ『睡蓮』f:id:goisan:20190318114813j:plain

モネの『ひまわりの花束』f:id:goisan:20190318114948j:plain

モネ『サンタドレスのテラス』f:id:goisan:20190318115121j:plain

ゴッホ『糸杉のある小麦畑』f:id:goisan:20190318114832j:plain

ゴッホの『自画像』、背景に見えるのは『糸杉』。f:id:goisan:20190318113744j:plain

日本人画家,国吉康雄f:id:goisan:20190318120055j:plain

ピカソ『Reading at a Table』f:id:goisan:20190318120639j:plain

同じくピカソ『Woman asleep at a table』f:id:goisan:20190318120709j:plain

シャガール『Le Pont de Passy et la Tour Eiffel』f:id:goisan:20190318120825j:plain

 

グッゲンハイム美術館。このユニークな建物をデザインしたのはフランク・ロイド・ライトという人。日本では帝国ホテルや自由学園明日館の設計を手がけている。f:id:goisan:20190318122906j:plain

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ドガの『Dancers in Green and Yellow 』f:id:goisan:20190318124918j:plain

シャガール『酒を飲む兵士』f:id:goisan:20190318125614j:plain

モディリアーニ 『黄色いセーターのジャンヌ・エビュテルヌ』f:id:goisan:20190318125729j:plain

そしてピカソf:id:goisan:20190318125151j:plain

 

再びメトロポリタン美術館にもどって、「The Tale Of Genji」(源氏物語)特別展示会を鑑賞。f:id:goisan:20190318134705j:plain

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芸術的センスの乏しい自分の頭でも、これだけの本物を見たら、何か少しばかり進化したように思えてきた。ニューヨークに訪れるたびに、ここに立ち寄る人が多いと聞く。確かにそれだけの価値があるように思う。きっとまだ半分も観ていないだろうから、いつかまた訪れてみたいと思う。

さて次回は、このシリーズもようやく最終回。もう少しだけおつき合いください。

 

ニューヨーク、再び ④

今回はニューヨーク4日目のハーレム地区のご案内。この日はハーレムにある教会でゴスペルが聴けるというツアーに参加してみた。集合場所はミッドタウンにあるホテルで、7Avenue駅から地下鉄D線に乗り125street駅で下車。ガイドさんの話を聞きながら、ハーレムの街をのんびりと歩く。トランプさんになってから少しばかり雰囲気が悪くなったというけれど、街も綺麗で落ち着いた感じがする。

今、ここには白人は住んでいないという。時々、白人の集団が見えたがみんなヨーロッパから来た観光客だそうだ。ここに住む黒人の女性は稼いだお金の多くを髪の毛に使うという。今はストレートにするのが流行りだとか。男の子たちはシューズ命だそうだ。そんな話を聞くのも新鮮で面白い。

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日曜日に教会に行く時はみんなとっておきのおしゃれをするのだそうだ。奴隷制の頃からの名残とのこと。毎日働かされて、日曜だけ解放される。その日は、久しぶりに教会に集まって友だちと再会する。少しでも元気に見せるために精一杯のおしゃれをして行く。そうして時代が代わってもそれが今に受け継がれている。

地下鉄を降りて、St. Nicholas Avenueを先に歩いていくと、見えてきたのが「アポロシアター(Apolo Theater)」だ。マイケル・ジャクソンジェームス・ブラウンスティービー・ワンダーなど多くの有名なミュージシャンが巣立った黒人音楽の代表的な場所だ。入口前の路上には、彼らの名前が書かれたプレートが埋め込まれている。

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さらにこの辺りで有名なのが、シャッターアート。あちこちのお店のシャッターに絵が描かれている。これを描いたのはフランコさんという方でお年は90歳、まだ現役だ。キング牧師の暗殺後、ハーレムでは暴動が頻発し、お店の入り口には鉄製のシャッターが取り付けられた。そんな街の雰囲気をなんとか明るくしたいと考えて、フランコさんはそれらのシャッターに絵を描き始めたのだそうだ。その数は200枚を超える。ところでシャッターアートの欠点はお店が開いてしまうと見えなくなってしまうということ。確かにね。

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さて1時間ほどぶらぶらと歩いて教会に到着。椅子に案内されてほどなくして挨拶がありゴスペルが始まる。ところどころで立ち上がってはみんなで一緒にハレルヤと叫ぶ。みんなが思い思いの感じで楽しんでいる。小さい子たちがまた可愛い。1時間があっという間に過ぎ、一区切りついたところで会場を出る。ゴスペルの方はまだまだ続くらしい。終わる時間は特に決まっていないということだった。

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このツアーで東京大学からマサチューセッツ工科大学に研修で来たという大学生と親しくなった。自分が今さらながらに英語を勉強していると話したら、その子もこの研修で英語の重要性を痛感したのだという。爽やかな青年だった。きっとこの先、立派な社会人に巣立つだろう。

この後いったんホテルに戻り、初日にできなかったセントラルパークとハドソン川沿いのジョッギングに出かける。約2時間、景色を楽しみながらのんびりと。

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そして、おまけ。なんとこの日はNYCハーフマラソンの日だった。

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