体育祭

昨日、ごいさんの学校では体育祭が行われた。祭りとあるように、小学校や中学校の運動会とはだいぶ違う。競技も走るだけというのは無く、楽しめるものが多い。昔は応援合戦というのがあったが、今は各色に分かれてのパフォーマンス(主にダンス)の演技がその代わりになっている。学校によっては体育祭の1ヶ月ぐらい前から踊りの練習を始め、公園に集まっては夜遅くまで練習していると聞く。当然、翌日にはお叱りの電話が入る。確かにそれだけの気合いが入ってるから、なかなかの演技で見応えがある。
学校行事では目立つ子もいれば尻込みする子もいる。体育祭となると尚更だ。こういう行事にどれくらい力を合わせて取り組めるかというのは、担任の最も気になるところだ。クラスに50人近い生徒がいれば、それを一つにまとめるなんて正直無理だ。みんなそれぞれに不満を持つ。でもそれを乗り越えていくことに価値があるのだと思う。嫌なことだってやらなきゃいけない時もある。世の中にはそういう場面って結構出てくる。嫌な人の下で働いたりもする。でもその中で自分を生かすことを考えなければいけないのだ。
嫌がってそうに見えても実は声を掛けられるのを待ってたりする子がいる。声を掛けると、「しょうがねえなあ、やってやるよ。」なんて恩着せがましく動き出す。本の虫のような大人しい子だって、実はダンスが上手だったりする。嫌ならやらないでいいは、先生の逃げ口上だ。もちろん本当に嫌だという子もいるからその見極めは難しい。無理やり生徒を動かすのは相当な労力を要する。自主性なんていい言葉だけど、本当に自分でできるのは一握りの生徒だ。それを導き出してあげるのも先生の仕事だと思ってる。
体育祭の選手決めだが、最近は走る種目から埋まってしまう。50mも100mもあっという間に終わってしまって労力が少ないのがいいらしい。もちろんリレーはだいたいが運動部であっさりと決まる。先生になった頃は、徒競走の選手を決めるだけで一苦労だった。選手選考もずいぶん様変わりした感じだ。
ごいさんも小学生の頃は徒競走とフォークダンスが大の苦手だった。子供ながらに最後の方を走るのは嫌だった。背の高い子たちに混じって走るともう勝ち目はない。それでも運よく3位ぐらいになるとちょっと鼻高々だったりした。フォークダンスもどうしても上手く踊れない。それでも好きな子が近づいてくるとドキドキしたりした。今から思えば、本当に嫌い……というわけでもなかったのかな。
どんな行事も本当は楽しいものだし終わった後の何とも言えない感情がいい。一度そういう思いを味わった子は次からは積極的だ。尻込みしている子に昔のごいさんが重なる。だからどうしてもやり終えた後の感情を味わわせてあげたいと思う。「やりたくない」から「やってよかった」と意識が変わってくれた時、ごいさんは一番嬉しい。

 

写真は、通勤路にあるハイビスカスの鉢植え。綺麗に並べて置かれていた。f:id:goisan:20140930093648j:plain