6月24日 父の命日に思う
昨日6月24日は父の命日。もう38年たつ。1977年のその日の朝、階段下から父の声がする。「早く起きろよ。遅刻するぞ。」と。そして父は会社に出かけていった。自分もその声に起こされ、支度をして職場に出かける。就職してまだ2ヶ月。スーツも真新しい。職場について9時を少し過ぎた頃に電話が入る。父が会社で倒れて救急車で運ばれたという。そして3日後、意識を回復しないままに息を引きとった。帰りの車の中で涙が溢れてきた。何故だろう。その時の気持ちは今でもよく分からない。
それから1ヶ月あまり、毎晩のように夢を見た。生きている時にはあまり見せたことがないような笑顔の父がいた。ふっと家に帰ってくる、いつもそんな夢だ。「お帰り」と言ったところで目が覚めたりする。あれほどに嫌っていたのに、そこには父と話したがっている自分がいた。でも夢の中でも結局は話をすることはできなかった。何を話していいのか分からなかったのだと思う。
父はどんなことを考えていたのだろう。若い時は酒を飲んでは暴れ、仕事もよくサボってパチンコをして遊んでいた。40歳を過ぎて会社員になってからは真面目に働くようになった。そして文庫本をがむしゃらに読むようになった。どういう心境の変化なのかまったく見当がつかない。
今から思うと、若い時の父はいいろんなことで悩んでいたのだろう。それが解決できなくてそういう行動をとっていたのか。そしてようやく本当の父の姿に戻りつつあるその半ばに倒れてしまった。今はもう想像しかできないのだけど。想像の中の父はもはや嫌いだった父ではなく善人そのものだ。母が今でも毎日お線香を上げて拝んでいるのだから、夫婦間だって考えるほどではなかったのだと思う。自分が社会人になり結婚をして、父のことが理解できるようになるまでもう少しの時間だったような気がする。
そんなことを考えながら、一日遅れのお墓参りに行ってきた。お墓をきれいにしてお線香を上げる。そして手を合わせて、ちょっと話しかけてみた。
「自分が酒に強いのは父さんの血筋だね。でも、酒には飲まれないようにはしている。これは身をもって教えてくれたこと。ところで、孫の扱い方が苦手なんだ。父さんは子供の扱い方は上手だったって、母さんやT子(妹)は言っている。泣いている子もすぐに笑い出すってね。生きていたら優しいおじいちゃんだったろうってさ。コツがあったら教えてほしいもんだよ。お小遣いはちゃんとあげているんだけどなあ。人付き合いの良かった父さんほどではないが、友だちもそこそこにはいる。なんだかんだ言ってもだいぶ多くのことを受け継いでいるように感じているこの頃だよ。きっと考え方や生き方も似てるんだと思う。今さらなんか可笑しい……けど。
母さんをもう少し見守らなきゃいけないから、当分生かしといてください。じゃあ、また来るよ。」
とまあ勝手に都合よく考えているごいさんです。呆れますね。
父43歳、母42歳。お正月で仲良くお出かけのようです。