修学旅行の思い出から ~ 広島 ~
2校目の学校で担任を受け持った時、その学年の修学旅行担当になった。1年前に創立されたこの学校は、いろいろな行事が初めて行われようとしていた。そしてその多くの行事の計画は1年目にいた先生によってすでに決められていた。修学旅行も京都を班別自主行動で巡るというもので、その頃の進学校などで時々見られるものだった。
もともと修学旅行には、家庭ではあまり旅行ができないような時代に、この修学旅行によって見聞を広めようというねらいがあったと聞く。今の修学旅行はけっこうな費用がかかる。沖縄への3泊4日の旅行で10万円近くにもなる。最近では海外に行く学校も多いが、お小遣いやパスポートの費用などを加えると軽く10万円を超えてしまう。旅行会社のパックツアーなら、かなり安い費用で行けてしまう時代。金銭面で考えれば修学旅行にメリットはない。それでも生徒の修学旅行への思いは強いものがあって、簡単に無くすことができないのが現状だ。
さて話を戻して、ごいさんが修学旅行の担当になった時、行先は京都と決められていた。でもごいさんの頭からはどうしても広島が離れない。その時はまだ自分も行ったことがなかったから、漠然とした思い込みだったのだろう。修学旅行の意義を考えた時、学校の授業では学べないこと、高校3年間の集大成として平和教育の必要性だけは感じていたのだと思う。京都や奈良は大人になってからも行く機会はある。広島はここで行かなければその後はないような気がしていた。戦後35年が過ぎ、生徒にとって戦争ははるか遠い昔の出来事だ。意識をしない限り知識は教科書から得られる程度しかない。原爆ドームや資料館の展示物を実際に目の前で見てもらうこと。それこそ百聞は一見に如かずだと考えたのだ。
一緒に学年を受け持った先生たちの賛同をもらい、行程の変更をお願いすることになった。当時の経緯はだいぶ忘れてしまったが、まだ新設校で流動的な所があり、それほどに混乱することもなく広島に行くことが了承されたように思う。ただ京都での自主行動は残すということで、全体の行程は少しばかり窮屈なものになってしまったのだが。
東京から広島までは新幹線で5時間余り。原爆ドーム、平和記念資料館の見学は、わずか2時間足らずしか取れなかった。それでも彼らの心には強い思いが刻まれたと思っている。そして8月6日が来るたびに自分たちがここに来たことを思い出してくれる。戦争のことを何も知らない子たちが、原爆や終戦のニュースを聞いただけで関心を持つとは思えない。こういうきっかけをちょっと与えるだけで、関心の度合いが大きく変わってくる。
この子たちは、今年51歳になる。明日の広島平和記念日をどのように迎え、今の日本の情勢をどのように考えるか。その原点がこの時の修学旅行にあってくれたら嬉しい。
この修学旅行で平和教育の大切さを改めて認識したごいさんは、この後も「平和」をテーマに掲げた修学旅行に取り組んで行くことになる。
その日の朝、広島も抜けるような青空が広がっていたのでしょう。