久しぶりに子供と話して

昨日、一昨日と久しぶりに下の子と話しをした。話題は、iPhoneiPadのこと。お互いちょうど買い替えようとしている所で話題が一致したのだ。もちろん子供の方が詳しいからごいさんはもっぱら聞き役だ。一昨日は夜中の2時近くまで、そして昨日は夜中まで。ここ何年もまともに喋ったことがないのを一気に吐き出すような感じだった。小さい頃からあまり喋る子ではなかったからこんなに話すのにちょっと驚いた。

ごいさんは小さい頃から酒を呑んでは暴れる父親が大嫌いだった。だからろくに口をきくこともなかった。そんな父親のようになりたくないと思っていた。子供に口をきいてもらえない父親なんて寂しすぎる。ではどんな父親がいいのかと聞かれると、実はそれもよく分らなかった。ともかくも子供の意思が大事だ。子供に嫌われたくない。自分が父親になった時にまず頭に浮かんだことだった。

でも実際の子育ては親のエゴだらけだった。勉強はできてほしい。運動もできれば尚更だ。男の子でもピアノが弾けたらいいな。そんな具合に自分にはできなかったことを子供に押し付けた。遊びたい盛りに習い事に通う時間だけが増えていく。小学校5年生の時に1年間に及ぶ入院生活を送った。このまま歩けなくなるとも言われた。その時にそういった親のエゴに気づくべきだった。やっとの思いで退院した直後から今度は塾通いだ。少しでもいい大学に入れば身体への負担の少ない就職先も探しやすいだろうと思ったからなのだが。

中学2年になってある日のこと、頭を金髪に染めてきた。反抗期の始まりだった。無理やり勉強させられているのに嫌気が差したのだろう。それから会話も途絶えるようになった。あれほど子供に嫌われたくないと思っていたのに、その現実が目の前で起きている。父親として自分はどうしたらいいのか分からなかった。自分の父親も今の自分と同じような気持ちだったのだろうか。初めて父の思いを垣間見たような気がした。

それからの子供はろくに勉強もしなかったから当然のように浪人。どうにか第3希望ぐらいの大学に入学した。卒業してからもしばらくはぶらぶらしていたが、一昨年甥っ子の紹介で小さな会社に入社した。長い間のいい加減な生活を心配したが、それが嘘のように真面目に働きだした。生活面が落ち着いて精神面もようやく安定してきたようだ。

今だから思えるのだが、男の子に対しての父親の接し方というのはとても大事なことだ。やがてその子が父親になった時に真っ先に思い出すのは自分の父親のことで、それをベースに自分なりに工夫して次第に父親らしくなっていく。子供が小さい時のお父さんの姿は、母親にも負けないほどに重要なのだということを言っておきたい。

来週、子供と一緒にタブレットを買いに行くことにした。二人で出かけるのも実に久しぶりだ。大した話もしないのだろうけれど、一緒に歩けるのがとても嬉しい。自分の父には経験させてやれなかったことだ。もう少し生きていたら、きっと一緒に飲み屋に行けたに違いない。

 

横浜駅通路に貼ってあった等身大のポスター。みんな群がっていた。f:id:goisan:20160930222750j:plain