教え子の同窓会
今日は大晦日。本来なら今年の振り返りをというところなのだが、それは新年の抱負と共に年が明けてから書くことに。今日は教え子の同窓会に行ってきたお話を少しだけ。
一昨日の29日に、退職前の最後に受け持ったクラスの子たちの同窓会があった。卒業して今度の春が来て5年になる。11月中旬にM保さんという女の子から「12月の終わりにクラスの同窓会を開きたいのだけど、先生にも参加してもらえないか」という旨のメールが届いた。多分先生は参加してくれないだろうというあきらめの気持ちが読み取れるような感じで書いてあった。
クラスの子たちには、常々、グループごとの集まりはいいけど全体の同窓会には出席しないと言ってきたのだ。自分の小学校のクラス会のことはこのブログにも何回か書いているが、自分の仲の良かった子がほとんど参加していない。定かではないが、担任の先生に不満を持っていたりあるいはクラス内でのわだかまりであったりというのがその理由のようだ。
ごいさんはクラスの子をできるだけ平等に扱ってきたし、仲間同士が助け合うことも強調してきた。でも1クラスに30人もいれば抜け落ちることもたくさんある。行ってみたらそれが理由で何人も来ていない状況を見るのはあまりにも悲しい。いろんな事情があるのだと割り切れるほどにごいさんは強くないのだ。それにそういう場での先生の立ち位置も意外と難しい。いつまでも先生づらして目立ってもいけない。自分たち同士の方が気楽になれるというのもあるだろう。
とまあ、そんなこんなで出欠席の返事は直前まで保留にしておいた。可笑しいかもしれないけどずいぶんと悩んだのだ。で、結局は出席することにした。卒業して5年。どんな感じで社会人をやっているかを確かめるのも元担任としての義務だろうと考えたからだ。それと、出席することで、今も彼らを見ている自分の思いが伝わるような気がしたのだ。
会場に着くとそこにいたのはクラス29人のうちの17人だった。残りの子たちは仕事があったり地方にいたりとそれなりに理由があるようで少しばかり心が和らぐ。席に着くと早速にみんなが入れ代わり立ち代わり話しかけてくる。卒業して5年じゃほとんど高校生のまんまだ。でもしっかり敬語を使ってくるところはさすがに社会人らしい。高校生の時よりは一段と頼もしくなった感じがした。
彼らの人生はまだ始まったばかり。これからさまざまな困難に出合うだろう。成功する人、挫折する人、はたまた両方味わう人。そのどんな時でもこのクラス会が開かれたら参加してほしいと思う。成功した人には気持ちの引き締めを、挫折して悩んでいる人には勇気を与えてくれるに違いない。そんなクラスをごいさんは作ってきた、そう思いたいのだ。これからこの会が永く続いて、みんなの心の拠りどころになることを願っている。
仕事が終わって2次会から参加した子も何人かいたという。みんな楽しそうな顔をありがとうね。このクラスならいつか全員揃うかも。幹事のM保さん、O嶋くん、声をかけてくれてありがとう。素敵な同窓会でした。
中央のビルとビルの間に富士山の頭、見えますか。ラン納め。大桟橋から撮影。