女川町、石巻を訪ねて
マラソンを終えた日は仙台に宿を取った。翌朝の8時にレンタカーを借りる。女川町と石巻を回ろうという計画なのだ。仙台から約70キロ離れた女川駅には2時間ほどで到着。まだ午前中の早い時間ということもあって人影は少ない。その代りに土ぼこりを上げながら何台もの大型トラックが頻繁に行き来している。土地の整地や造成真っ盛りでその先の段階に進むにはまだまだ時間がかかるように見える。
さすがに津波を思わせるようなものはすでに何も残っていない。いや、昔の建物も一切合切何も残っていない。その代わりに女川駅の入浴施設であったり「シーパルピア女川」という商業施設であったりと新しく建てられた立派な建物だけがそこにはあった。一方高台の方には何軒かの真新しい家が建てられているのと建築中の家も見かけられた。こうして少しずつ昔のような街に戻っていくのか。今の段階ではなかなか想像もつかないことだ。
来た道路を少し戻ったところに「きぼうのかね商店街」というのがある。震災後にできた仮設商店街で、当時の町民の日常を支えたという。テレビでも放映され、始めのうちは芸能人や観光客も多く来て賑わったと言うが、今はその面影もない。喫茶店のママさんの話だと9月にこの商店街は閉鎖されるという。こういうのからも次第に震災が遠くなっていくのが感じられるのだった。
道路のすぐ傍らに「いのちの石碑」というのが建てられていた。この石碑は、当時小学6年生だった女川町の子供たちが中心となり、この悲劇を1000年後まで伝えようという思いで建てたものだそうだ。すでにいくつか建てられているが、最終的には彼らの成人式の日までに21基の石碑を建てる計画だという。
この後、女川湾が一望できるという大六天山の駐車場に行ってみた。そこには松島を思わせるような美しい光景が広がっていた。あれほどの大きな津波が起きたなんて想像できないほどに海は実に静かで穏やかだ。そしてその海にはまだ見つかっていない多くの方々が眠られている。
再び女川の駅前に戻って昼食を取る。お目当ては何度もテレビで目にした女川丼。平日だというのに注文して30分ほど待たされた。休日はどれくらい待たされるのかしらね。そうして出てきたのが下の写真だ。これで1,300円はリーズナブル。
帰り道、石巻の日和山公園に寄る。石巻の街並みの復興の様子が一目瞭然だという。手前の柵のところには津波の来る前の街のパネルが貼られていて、津波の前後での街の様子が比較できるようになっていた。多くの家が流され今は更地になっているのが分かる。新しい建物が多く建てられ復興は進んでいるように見えるが、昔の状態までになるにはやはり相当の時間がかかるように思えるのだった。
ようやく念願が叶った女川町、石巻への旅だったが、復興がなかなか進んでいないのを目の当たりにしてどうにもやりきれない思いがした。この震災を忘れてはいけない。また何年か後に来てみよう。改めてそう思うのだった。