秋のお彼岸、墓参り
マラソンがあったので書きそびれていたが、お彼岸の墓参りの記事を書き上げることにする。
先週の木曜日に恒例の墓参りに行ってきた。例年と変わったのは初めて平日に行ったということ。今年は仕事をしてないということで、敢えて混みあう中日に行く必要もないだろうと考えた。他はまったくいつも通り。妹夫婦と合流して母を迎えに行く。母はいつもと同じようにおはぎを作って待っている。母が入れた熱いお茶を飲みながらまずはおはぎの試食会だ。甘さが控えめでおしとやかな味わい、母の作るおはぎは相変わらず美味しい。
母は暇さえあれば小豆を煮て餡子を作っている。それをパンに挟んでお昼に食べるのだという。もちろんごいさんが小さい時からもよく作っていた。ごいさんはそれを熱いご飯の上に乗せて食べるのが好きだった。他人に言うと変な顔をされるが、なんのことはない、要はおはぎと同じ原理だ。敢えて丸くしないだけなのだ。今も作った時はお裾分けをもらって帰る。
餡子のことを書いたら母の作ってくれた料理のことを思い出した。母の作るものはもちろん漬物から始まって煮魚や煮物といった和風物ばかりだった。どうしてもハンバーグを食べたいとねだったことがあって、そうしたら見よう見まねで作ってくれたのだけど、それがどうにも本物とは程遠いものだったという思い出がある。
時々お弁当を持っていくことがあったが、母の作るお弁当のおかずはいつも決まっていた。それはきっとごいさんの偏食のせいだ。いつも決まったものが決まった場所に納まっている。毎日食べても飽きない自信があった。甘く焼いた玉子焼き、のり弁ふうに海苔がご飯の間にサンドイッチされている。それとメンチカツを甘く煮たのがご飯の上に乗っていてご飯にしっかり味が染みている。味噌漬けのお新香も定番だ。時々変わるのが玉子焼き。しょっぱく焼いて刻んでフリカケ風にしてあったりゆで卵や煮卵にしてくれる。もうこれで十分。逆に言えばお弁当を持っていく時だけ食べられる貴重なものだった。今、自分で弁当を作る時もこれが基準になっている。
平日だから人の姿はそれほどないが、それでも多くの墓にはすでに立派な花が供えられていた。母はいつものように墓石を丁寧に拭く。雑草も抜いて綺麗にしたところでお線香を上げる。風もなく実に穏やかな天気だ。手を合わせている母親はどんなことを考えているのだろうか。ともあれこの秋も母と一緒に墓参りを済ますことができた。父と祖父母の2か所のお墓を回って帰ってくるともう3時を回る。
最近は会うたびに少しずつ弱くなっているように感じられる母だが、まだまだ強い性格は健在だ。誰かに甘えちゃいけないって毎日のように自分に言い聞かせているのだろう。ごいさんにとって母は生き方の見本のような存在になっている。
『敬老の日に孫から送られたお菓子の山』