今年を振り返って ~ その2~

初めになぜ自分は英語を始めようと思ったのかについて触れておきたい。だいぶ前の記事にも書いたのだが、自分の人生でやり残したことがあるとすれば何だろうと考えた時に出した結論だった。それは50を過ぎて定年退職が視野に入ってきた頃だ。退職後をどう生きていくかとしばらく真剣に考えてみたのだ。それまでの仕事を何かしらの形で続けていくか、それとも物見遊山の旅にでも出ようかとか。

そしてその時に考えたのが、還暦で振出しに戻るのを機に20歳ぐらいの気持ちに戻って二度目の人生を歩めないだろうかということ。それは決して人生のやり直しではなく、全く別のもう一度の人生を生きてみること。今までの人生では経験できなかったような全く違った世界で生きてみたいと思ったのだ。

20歳と言えば大学生だ。そこで、もし再び大学に行くとしたら何を学びたいかと考えてみた。そうした時に、自分がかって大学生の時に外国語の学習が面白くなって、英語の他にドイツ語、ロシア語それにフランス語と手当たり次第に授業を受けたのを思い出した。もっとも専門の物理の方が忙しくて片手間にやっている程度だったから結局は物にはならなかった。でも興味があったのは確かだ。だから今度の人生は、その語学を使って世界を歩き回るというのはどうだろう。そんな生き方をしてみたいと考えたのだ。

実際はこの4年間は働きながらだったのであまり進化もできなかった。そこで今年は思い切って仕事を辞め、英語の学習に集中することにしたのだ。仕事を辞めて増えた自由時間はそっくり英語の学習に割り当てることにした。いや実際はそれ以上で、その結果としてランニングの練習とブログを書くことが疎かになってしまった。

さてここからが今日の本題とも言うべきマラソンの話になる。昨年はサブ3.5を達成するべく意欲に燃えていたから、練習もかなり真剣だった。これもまた昔の記事に書いたことだが、もともと練習嫌いなごいさんでも常時4時間を切れるようになって少しばかり欲が出た。もしかしたらもう少しいいタイムを出せるんじゃないかってね。もうその時は60歳を越えていたから、今頑張らなければ後で後悔するんじゃないか。それで1年間だけでも真面目にやってみようと考えたのだ。

月間200キロ以上を走り、それも常に全力に近い状態で走った。そうしたら面白いくらいにタイムが縮まっていく。そうしてそれから1年後の去年の大阪マラソンでとうとうサブ3.5を達成できた。ただ若い人のようにそれでは次へということにならないけど、それでもその時はまだ少しでもタイムを縮めようという意欲はあった。

ところが、4月から英語の学習が始まるとそちらに気持ちを奪われるようになる。月間200キロは走るものの去年のような勢いはなくなった。それと9月に入って腰を痛めたことが拍車をかけた。今もまだ違和感があるのと他にも痛みが出てきたりして、自分の走りもそろそろ転換期を迎えているのだろうかなどと思ったりしている。

一定のタイムは維持したいけど、これからは長く楽しく走り続けられるようなそんな走りを考えていかなければいけないのだろうか。まだ頑張りたい、もう頑張れない。心の中で葛藤が続いている。

 

夕日って、いつ見てもいい。f:id:goisan:20171224160214j:plain