米寿

20日は母の88歳の誕生日だった。いつものように丸いケーキを買う。それに今回は特別に8の数字のろうそくを2つ付けた。少し耳が遠くなったのと味が分からなくなったと嘆く以外はとりあえず元気に過ごしている。朝はご飯、お昼は自分で作った餡子を挟んだサンドイッチ。夜はご飯以外にもお餅だったりうどんだったりとバリエーションを変えては楽しんでいるようだ。お猪口に一杯程度の晩酌も欠かさない。

月、水、金の午前中はゲートボールに出かける。他の日はゲートボールの代わりに5,000歩のウォーキングを日課としている、午後はもっぱらテレビ観戦だ。相撲、プロレス、バスケット、卓球、バドミントン、バレーボールなどほとんどがスポーツ番組だ。観ているうちにルールを覚えたようで得意顔であれこれと解説してくれる。それと選手の名前もけっこう覚えていて、お目当ての選手もいるらしい。

88歳は母にとっても節目の年だったのだろうか。ケーキにろうそくを立て吹き消した時に少し涙がこぼれたように見えた。何か思うことがあったのか。そう言えば、母の涙っていつ見ただろう。小さい頃から父との喧嘩はしょっちゅうだったけれど母が泣いているのを見た記憶がない。だから今日の母の涙を見るのは自分としては初めての体験だった。不思議な感情だった。そんな自分に気づいた母は、照れ臭そうに「さあ食べよう」と言って熱いお茶を入れてくれた。

自分が小さい時、クリスマスの日だけこの丸いケーキが食べられた。自分と妹が旨そうに食べているのをニコニコして見ている母の顔が思い浮かぶ。最近は甘いのを控え目にしているのだけど、今日は特別だ。四分の一ぐらいに切ってくれたのを一気に頬張る。それを見ていた母の表情はやっぱり嬉しそうだった。そうして母も美味しそうに食べ始めた。

母は自分に会うたびに「幸せだ、幸せだ」を繰り返す。こちらが恥ずかしくなるくらいだが、本人がそれだけ言うならそうなんだろうと思うことにしている。それで自分も最近は「ありがとう」を連発することにした。小さい頃は、くつ下や服やズボンのつぎ当てを見ては新しいのを買ってくれと駄々をこねたり、焼き魚や煮物のおかずを見てはハンバーグやスパゲティが食べたいと困らせたりした。中学や高校の時は母の言うことにはことごとく逆らっていた。それでも時には新しい服を買ってくれたり密かにハンバーグやスパゲティ作りに挑戦したりしていた。お弁当も高校を卒業するまで毎日作り続けてくれた。

生徒はもちろんたいていの人には素直に「ありがとう」と言えるのに母にだけはほとんど言ったことがない。若い頃は親が子供を育てるのは当たり前だぐらいに考えていて、「ありがとう」という言葉を口にすることはなかった。それに思っていても口に出すのが恥ずかしかった。でもそれじゃだめだということに最近になってようやく気が付いて、そして母の元気なうちに今まで言えなくて貯まってしまった分の「ありがとう」をきちんと返さなければいけないと思ったのだ。

だから返し終わるまで元気でいてよ。ハッピーバースデイ、母さん!

 

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