母の入院と手術
自分がニューヨークに行く前日の朝、母は頭に強い痛みを感じてしばらく横たわっていたという。夕方になっても一向に痛みが引かないので妹に連絡して、妹の家に泊まることになった。一晩休んだら、多少痛みが和らいだようで自宅に戻ったという。妹からのメールでそれを知ったのは、ニューヨークにちょうど着いた時だった。母はもう大丈夫だから楽しんできていいよとも添えてあった。
ところが実際はその後も痛みは続いていて、病院に行ってCTを撮ってもらったりしたのだが何の異常も見つからなかったという。処方された痛み止めを飲むが、痛みは治まらない。ニューヨークから帰った自分に、母がもう一軒だけ病院に連れて行ってくれと頼む。すでにCTでも異常がなかったんだから気のせいだと本気にせずにあしらう自分。それでも母の勢いに負けて、脳外科の病院に連れて行った。
専門のドクターは母の顔色やCTの話などから特に問題はないようだと語ったが、母を納得させる意味でも、MRIを撮ってほしいとお願いした。早くお願いしたいという気持ちが伝わったのか、翌日の開院前に撮ろうということになった。話の内容から特に問題は無さそうだと思ったので、当日の立ち合いは妹夫婦にお願いした。
そうしたら翌朝に、妹から電話が入った。母にくも膜下出血が見つかって緊急入院、午後には手術をするという。電話があった時点ですでに何かあったと思ったが、これを聞いた時は本当にショックだった。祖母もくも膜下出血で亡くなっていて、それがいかほどに恐ろしいものかということは十分承知している。仮に治ってもかなりの後遺症が考えられた。いや、それでも生きていてくれればいい。
89歳の母にとって手術は大変な負担だろう。幸い運ばれた病院では、カテーテルを利用した手術ということで体への負担は軽く母でも大丈夫ということだった。手術は1時間ほどで終わり、ドクターからは手術がうまくいったことを告げられた。また、発症して2週間も経つのにこうして無事に生きているのは奇跡だとも言われた。酸素マスクをつけて苦しそうにしている母と面会するのは辛かった。逆に、そんな自分たちを元気づけるように声を出す母だった。
ドクターの思った以上に母の回復は早く、10日後には退院できることになった。後遺症もほとんど見られない。妹の家で数日過ごした後、実家で一人暮らしを再開した。妹から連絡をもらってから病院までの道すがら、母が死ぬことも覚悟した。母の言葉を聞いてあげなくて、もしも母が亡くなったらどれほどの後悔をすることになっただろう。
母のことでは後悔しないようにしてきたつもりでも、いざとなると思いだすのは後悔することばかり。今回はそんなのとっくのお見通しの神様が与えてくれた試練だったのではないか, そんな気がする。それが証拠に、母は後遺症もなく無事だった。こうして母の存在価値を改めて噛みしめたおかげで、僕も妹も親孝行のやり直しができる喜びを感じている。言葉に表せないくらいに嬉しい。
二度とこんな機会は来ないだろう。今度こそ、後悔しないようにしなければ。
引地川の千本桜