2021年 最大の決断

東京オリンピックパラリンピックボランティア ~ その始まりから辞退まで ~

2013年9月に東京オリンピックパラリンピックの開催が決定した時、そのボランティアをやることが自分の人生における最後の使命のように感じて心ときめいたのをはっきり覚えている。定年になって退職したら英語を一から学びなおして海外の人たちと交流をする。それがごいさんが50歳の時に決めた第二の人生のゴールだった。だから、ここでボランティアをやることはまさに天命のように感じられたのだ。

2019年秋、晴れてフィールドキャストのメンバーになることができた。ボランティア運営事務局から与えられた英語の研修にも取り組みながら、翌年の本番のことを考えるとワクワク感でいっぱいだった。ところが年が明けて2020年、ご存知のようにコロナウィルスの世界的流行が始まった。日本でも大型クルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス」を皮切りにあっという間に広まって、そうしてついには東京オリンピックパラリンピックは1年間の延期となった。

その間、飲食店の営業時間短縮や営業停止、そして他県への移動禁止などの厳しい措置がとられ様々な産業界では大きな打撃を受けることとなった。それは年が明けた2021年になってもさらに勢いを増す状況になっていた。そんな中、4月に入って運営事務局から東京オリンピックパラリンピック合わせて28日間のオファーを頂いた。承諾の返事の期限は5月12日。コロナの件が無ければ十分過ぎるほどの仕事内容だった。仕事の場所はプレスセンターとオリンピックスタジアム。あのユニフォームを着て誇らしげに会場に通うはずだった。

しかしコロナの勢いは増す一方で4月下旬にはまたしても緊急事態宣言が出される。IOCのバッハ会長を始めとするオリンピック関係者の無責任な発言も耳につく。そしてその当時8割にも及ぶ中止や延期という世論の声があちこちのマスコミで報道される。ワクチン優先などアスリートファーストの声は聞こえてくるがボランティアへの対応の声はまったくない。そして何よりもこの厳しい措置の中で閉店を余儀なくされた飲食店、多くの解雇された人たち。そしてそこに一緒にいるであろう子供たちのことがどうしても頭から離れなくなっていた。

親からの仕送りが止まりアルバイトの仕事も無くなって大学を辞めざるを得なくなったという大学生の話を聞いた。小中学生、高校生は端からアルバイトもできない。親が働けなくなればその影響はダイレクトに子供たちに行く。小さい子供はただ黙ってそれを受け入れるしかないのだ。どれだけの子供たちの夢や希望が失われただろう。政府がもっと早くにオリンピックを中止あるいは延期して、一丸となってコロナに対処していたら多くの子供たちを救えたのではないだろうか。

自分一人がボランティアを辞めたからといってどうにかなるものではないが、こういう気持ちで果たして外国から来た人たちを心からの笑顔で歓迎できるだろうか。

オファーを頂いてからの約1ヶ月。迷いに迷った。ごいさんの夢と現実。そうして期限日の2日前、ごいさんは辞退することを決めた。

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