マラソンへの思い

大阪マラソン、岡山マラソン、つくばマラソンと、このところマラソンのことばかり書いているので、ごいさんはよほど走るのが好きなんだと思われているに違いない。実際それにはまっていることは確かなのだが、でも走ることがそれほど好きというのでもない。今、週に3日走っているけれどそれだって今日は休んじゃおうかとかいつも考えている。だったら止めればいいのにという声もすぐに聞こえてきそうだけど、ブログにもあるいは友だちとの会話でもそれなりのことを書いたり言ったりしているとそうそうあっさりとは止められない。

もともとはサッカーをやっていたから走るのは苦手ではない。ただ球技のようなスポーツをやっている人で本当にマラソンが好きだという人はあまりいないんじゃないかな。サッカーの場合、最終的にはゴールを決めるという目標があって、それまでの動きはさまざまに変化する。それに比べて、マラソンのあの黙々と何時間も走り続けることにはどうしても違和感を覚えてしまうのだ。同じ走るにしても全く違う感覚。本当に別世界のように感じていて、きっと一生縁のないものと思っていた。

サッカーは高校の部活動の顧問もやっていたが、自分自身も50歳ぐらいまでは自分のクラブチームでボールを蹴っていた。ただ試合に出てもスピードについていけず思ったように動けないもどかしさを感じるようになって次第に遠ざかっていったという感じだ。もちろんサッカーそのものは好きだから、ワールドカップの予選なんかを時々は見に行ったりはしていたけどね。

そういう中で58歳の時に同僚のS田さんとの話の中で、一緒に走ってみようということになった。S田さんは最初からハーフマラソンフルマラソンの長い距離を望んだが、ごいさんは10キロで十分と考えるくらいにまだまだ本気ではなかった。そして半年後に最初のハーフであるタートルマラソンに挑んだのだが、これがなんと2時間03秒もかかった。運動をやっていたし1時間50分ぐらいで楽にゴールできるだろうなんて思っていたらとんでもなかった。おまけに13キロ辺りから両足が攣って歩くこともまともにできないような状態。そこそこにお年を召した女性からは「頑張ってください。」と声をかけられたものの、その女性が颯爽と走り去っていくのを黙って見送るだけの惨めな状態。自分一人だったらそれっきり走るのは止めていただろうけれど、この大会でS田さんが本格的にやることを表明したから必然つき合う形になってしまった。

そんな感じで始めたマラソンが今では自分にとっての生きがいの1つになっている。サブ3.5という一定の目標も達成して、年齢的にこれ以上を望むのは難しいかもしれないと今は考える。つくばの帰りの反省会で、S田さんが「全国全県を走るというのはどう?」なんて言ってたけど、案外それもいいかなんて思ったりしている。

それにごいさんにはまだやりたいことがある。そのためにもこのマラソンで体力と健康を維持していくことは大切なことだと思っている。

 

今日は、みなとみらいから本牧へとのんびり走ってきました。f:id:goisan:20161123141329j:plain