鹿児島の旅 その2 ~ 知覧と万世 ~

さて2日目は今回の旅のメインである知覧特攻平和会館と万世特攻平和祈念館を訪ねる。朝9時にレンタカーを借りる。旅先での車の運転は勝手が分からずあまりしたくないのだが、今日訪れる所はなにぶん交通が不便。電車やバスで移動するのは好きなのだけどその本数が少ない。上手く計画を立ててもその乗り換えなどでかなりの時間をとられてしまう。ということで安全第一を前提にレンタカーを借りることにした。

最初に向かったのは知覧特攻平和会館アメリカ艦隊への体当たり攻撃に向けて多くの若者がここから出撃した。しかしそのほとんどはそこまで辿り着けなかったり砲撃で落とされてしまう。飛行機そのものも練習機のようなものまで使用していたという。20歳前後の若者たちだった。会館には彼ら1,036人の遺影の写真とともにたくさんの手紙が展示されている。両親、兄弟、そして愛しい恋人。どの手紙も最後はその人たちのこれからの幸せを願う言葉で締めくくられている。産んでくれた恩、育ててくれた恩に報いることをしてこなかった自分を責め、艦隊を撃沈することで恩を返そうと決意する。20歳前後の輝けるはずだった400を超える若者の命がこの知覧の基地から飛び立っていった。

知覧特攻平和会館【特攻勇士の像】【三角兵舎】出撃直前の特攻隊員たちが寝泊まりした場所。

【富屋食堂】女将の鳥濱トメさんは「特攻の母」と呼ばれた。

 

つづいて万世にある平和祈念館に向かう。ごいさんが中に入ろうとした時、お年を召したご夫婦が出てこられたが、中に入ってみると他には誰もいなかった。場所がだいぶ離れていて知覧ほどには知られていないのだと思う。中の展示ほとんど知覧と同様の形式だったが、なにぶんごいさん一人だから誰はばかることなくじっくりと館内を見て回ることができた。知覧でもそうだったがどの手紙も実に美しい文字でそしてしっかりとした文章で書かれている。それを見ただけで彼らがその後の活躍を十分期待される若者たちであったことが容易に想像できた。

【万世特攻平和祈念館】

小さい頃に何度かこの神風特攻隊や人間魚雷などの映画を見ては、自分はこういう死に方はしたくない、だから戦争は絶対に起こってほしくないとずっと願ってきた。今こうして知覧と万世を訪ねてみて改めて彼らの気持ちを思いやる。彼らの後世の人々に託した願いは通じたのか。その後の日本は、77年もの間平和に生きてこられた。それが彼らの死に対するせめてもの救いのような気がする。そしてこれからも平和な日本であってほしいと願ったのだ。

さて今回の旅の目的を達成しての帰り道、ちょこっとドライブ。まずは本坊酒造のウィスキー工場見学。近いうちに伊豆に住む吞兵衛友達と呑もうと思い、ここでしか買えない芋焼酎を一本購入した。えっ、ウィスキーじゃないのって。そう、本坊酒造はもともとは焼酎で有名なのだ。

そして開聞岳をパチリ。50年ぶりのご対面と相成った。当然だけどまったく変化なしでした。

それから最南端の駅西大山駅へ。初めて来ました。黄色い郵便ポストも可愛い。

178キロに及ぶ長いドライブ(ごいさんにしては)も午後の5時少し過ぎに車を返して無事に終了。夕食は黒豚トンカツをつまみに芋焼酎を何杯か。程よく酔いました。