みんなで楽しく湘南ラン

先週の土曜日に、はてブロランナー繋がりで、Macさん、バンビさん、naoさん、ネムネムさん、青豆さんと一緒に、湘南海岸を走ってきた。Macさんから連絡をもらった時は、膝のことがあって一応悩んだけれど、Macさんやバンビさんとこんなふうにご一緒できる機会もそうそうはないだろうということで混ぜていただくことにした。後から、naoさんやネムネムさん、青豆さんたちも参戦すると聞いてかなりの緊張が走る。

小田急鵠沼海岸駅から歩いて10分ほどで湘南海岸公園にあるランステーションに到着。着替えて出た所でちょうど雨が落ちてきた。それでも適度な降りで走るにはちょうどいいくらい。そしてバンビさんを先頭にのんびりとスタート。その後きっちりキロ6分のペースを刻んでいく。もちろんみんなは楽しくおしゃべりをしながらの余裕のランニングだ。それを聞いているのがまた楽しい。

相模川の河口の柳島で折り返す。晴れていれば富士山の絶景が見える所だ。ここまで約9キロ。帰りは途中の「茅ケ崎サザンC」のモニュメントで記念撮影。みんなでCのポーズを決め、輪っかも完成させて、強い絆で結ばれたかしら。これであと6キロ余り。ここで余裕のなくなったごいさんは少し遅れたけど、膝の痛みもなくどうにか無事にフィニッシュ。

【晴れていたらこんな景色なんだけど】f:id:goisan:20170202130409j:plain

その後Macさんが予約してくれていたお洒落なお店で食事会兼飲み会。ここからはジャスミンさんという方が加わる。彼女とは初めてのご対面。前日に少しばかりブログを読んで予習してきたけど、果たしてそのイメージ通り。ジャスミンさんもMacさんと青豆さん以外は初対面だったらしいが、すぐに打ち解けて楽しそう。その後、Macさんに連れられて江の島植物園にある「ロンカフェ」というお店のフレンチトーストをいただく。そして最後に藤沢で仕上げの一杯。う~ん、今日はよく飲んだ。

Macさんとバンビさんの父娘コンビのやり取りはいつ見ていても微笑ましい。Macさんの軽妙な語り口、バンビさんの鋭い突っ込み、いいなあ。今回はネムネムさんともだいぶお話ができたのも収穫だ。違う世界に生きている人の話を聞くのは本当に興味深い。naoさんはいつものように爽やか好青年。ご近所ということもあってとても親近感を感じている。まるで教え子みたい…かな。青豆さんは, ロードレースの時もそうだったけど、マラソンへの情熱と強さを感じる。今日一緒に走ることが出来たのは光栄です。ジャスミンさんは、社交的でとても楽しい人。仕事に燃えていて、そしてフルマラソンデビューも近いかな。

今日一日ずっとみんなと一緒にいて、みんなが本当に走るのが好きだということがよく分かった。自分はブログにも書いているけれど、走るのが未だに好きになれないでいる。では、なんで走っているの? でも走っていたから彼らと出会うことができた。そしてそれが楽しくて、そんな彼らにまた会いたいから。そんな思いからだろうか。これからもまだいろんな人に会えるかもしれないなんてことを考えるともう少しだけ頑張っていたい…と思う。

【ごいさんにはちょっと上品すぎた…かしら】f:id:goisan:20190629155022j:plain

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父の日に考える

父の日に上の子から宅配便が届いた。父の日の贈り物だった。最近は父親としてあまり役に立つこともしていないから申し訳ない気もする。ここのところ誕生日にはお酒、父の日には食べ物といった具合で、今回は高級お茶漬けセット。実に上品な感じで美味しそうだ。早速に味わって報告しなければと思う。

それを機に、しばらく忘れていた父のことを思い出す。ずっと好きになれなかった父親で、まともに口を利くこともなかった。働き出して最初のボーナスの時にあげた1万円が父への生まれて初めてのプレゼントだった。父の日のプレゼントというつもりはなかったけど、時期的にはちょうど父の日の頃だった。そしてその一週間後に父は倒れ3日後の24日に亡くなった。財布にはその時の1万円札が折りたたまれてしまってあった。もし父が生きていてもずっと使わないでいたのではないか。そんな気がする。

子供の時の自分は父親の感情なんて分からなかった。分かろうとも思わなかった。その頃の父のイメージは酒を飲んではいつもグダをまく。いつも怖い存在だった。でも自分や妹にとって父はやっぱり父だったのだと今は思う。自分が父になりようやく気づく。もう少しだけでも生きていてくれたらと何度思っただろう。

子供は可愛い存在だ。子供からプレゼントをもらった時は、その嬉しい気持ちをずっと引きずっていたくて、早々に手をつけられない。食べ物なら賞味期限ぎりぎりまでだね。自分が父に何もしなかったせいか、子供から何かをもらうなんていう考えはあまりない。でも、もらってみるとこれが本当に嬉しい。そんな思いを、僕は父に経験させることはなかった。

父がそうであったように自分も子どもと話しをするのは苦手だ。もちろん二人とも男の子ということで、彼らから話しかけてくることもない。でも時々話が合うと1時間でも2時間でも話が続く。夜中の2時になっても3時を過ぎても平気だ。さすがに眠くなるけど、子供と話せる嬉しさからもう寝ようとも言い出せない。

自分は父親のことを嫌っていた。自分は父親のようにはなりたくないと思っていた。そうして、少なくともそうであろうと努力してきた…と思う。子供たちには不自由をさせないように育ててきた。でもそれでも子供たちにとっていい父親になれたとも思えないでいる。自分の父は案外子供から好かれるタイプだったけど、その辺が自分には足りなさそうだ。でもまだ自分にはいい父親になるための時間は残されている。今からでもまだ遅くはない。

いつか二人の息子と定期的に酒が飲める、そんな関係を夢見ている。そして、今はただ自分が元気に少しでも長く生きていること、それがプレゼントへのお返しだと思っている。

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関東マスターズロード選手権 DNS

申し込んだ時はそこそこの気合いもあったのだけど。大会の日が近づいてきてどうしようか迷っていた時に、ブロ友&ラン友のMacさんから多摩湖月例マラソンとその後のアフターのお誘いがあって、ジョッギング程度でもいいから走ろうかという気になった。しかし前日に膝から少しばかり水を抜かれて、無理はできないと断念。同じ大会の10キロに出るブロ友さんの青豆さんの応援に専念することにした。

その彼女がなんと2位入賞。応援した甲斐がありました。その後に立川駅前のお店で、Macさん、バンビさん、よーじさんと合流。よーじさんとは初顔合わせだったけどMacさんや他のランナーさんの記事でもよく見かける名前だったので親近感を覚える。時間はあっという間に過ぎてお開きの時間に。ただただ皆さんのやる気に圧倒されっぱなし。テンションが落ち込んでいた自分ももう少し頑張ってみようかなんていう気持ちに。

6月8日に梅雨入りしてから暑いのか寒いのか分からないような日が続いている。そんな天気と同じように、自分の気持ちも曇り気味。今週の月曜日にまたまた膝から水を抜いてもらう。お医者さんが「まだ腫れていますね」と言う。富士裾野マラソン以来この一か月はまともに走っていない。いつもなら走ることでこんな気持ちのもやもや気分を吹き飛ばすんだけどそれもできない。

そんな気持ちを紛らわせようと、5月下旬には友人の健さんと、6月に入って伊豆に住む同じく友人のI坂さんと飲んだ。二人ともこんな自分にいつもつき合ってくれる本当にいい友です。そしていつものように会話してだいぶ気持ちが明るくなる。お医者さんからは走ってはダメとも宣言されていないので、ゆるいジョグでもしてみようかなんてちょっぴりやる気になった。

テニスをやっては仲間と会話を楽しむ。酒を飲んでは愚痴れる仲間もいる。一緒に走ってくれる友もいる。家でも自由気ままに過ごしているし、本当なら十分満足すべきなのだろうけれど、なんかもう一つ足りない気がしている。でも、それがなんだかよく分からない。まるで梅雨の中にでもいるような気分。

梅雨入りして雨模様の日が続いているけど、自分は雨の日が好きだ。いや本当は外で遊ぶ方が好きだと思う。でも雨で外で遊べない時に、窓から雨が降っている様を静かにしてじっと眺めているのが好きだった。雨音がいろいろと変化するのも聞いていて楽しい。そうしてやがてお日様が顔を出す。その瞬間の輝きが好きだった。

今の自分は少し雨模様、だから、そんな自分にもいつかそういう輝く瞬間が来るのかな…なんて信じている。

I坂さんと行った雲見の露天風呂。無料でした。f:id:goisan:20190608133403j:plain

 

友と語る時

だいぶ前になってしまったけど、5月12日の日曜日に富士裾野高原マラソンを走ってきた。調子の良くないこともあってDNSも考えたが、ぎふ清流マラソンを走れなかったことやこれでしばらくは大会もないということで、練習のつもりの軽い気持ちで参加することにした。ところがどっこいとてもとてもそんな甘いコースではなかった。

なんとスタートから5キロまでひたすら続く上り坂。わずかに3キロ行ったところで早くも足が止まる。どうにか上りきった後は下り基調になるのだが、もう走る気力がない。最後の5キロほど続く下り坂で少しばかり意地を出してみたが、結局タイムは2時間を超え、これからどうすべきかという大きな課題を抱えることとなった。

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この後、三島駅で伊豆に住むI坂さんと会う。2日前の急な申し出を快く受けてくれた。彼とは20年ほどのつき合いになる。共通点はサッカーと酒が好きなことぐらいで、趣味もやることもだいぶ違う。なのに彼とは本当によく呑んだ。そしていつも癒されてきた。この日も、彼の顔を見た瞬間にレースのモヤモヤ感はすべて消え失せた。

今の彼は、これといった欲も持たず、平凡に見える毎日を十分に楽しんで生きている。知らない人が彼を見ればただ好き勝手に生きているぐらいにしか思わないだろう。でも自分の目には彼が仙人のように見えるのだ。もちろん彼にだっていくつもの悩みもあるだろうけれど、そんなの一切感じさせない。そんな彼の話を聞くのもまた楽しい。自分にはきっとできない、そんな思いがあるからだろうか。

職場や仲間の前ではいつも楽しい強気のごいさんだった。でも実のところはそれほど強くない。だから時にはそんな自分の気持ちをさらけ出したいと思う。アドバイスは要らない。ただただ聞いてもらうだけ。今さら弱い自分を見せたくないから話し相手は必然的に限られる。そしてその一人が今回のI坂さん。

前向きに生きているというのか、生きている以上はいつも何かを考えてやろうとしている。そんな彼の進行形の話を聞くのがとても楽しい、それに刺激的だ。そういう人の話なら何時間でも聞いていていられる。聞いているうちに自分もまた頑張れるような気持ちになってくる。

自分には自分にしかできない人生を歩みたい。その考え方は変わらない。でもまだまだ迷ってばかりいる。いやもしかしたら迷ったままでこの人生を終えるのかとも思う。読者の皆さんからはけっこう好きなようにやってるじゃないと思われるかもしれないけど、でも自分の目標地点は遠くにあって、今はただがむしゃらにもがいている感じしかしない。

この日もああだこうだと話しつつ2人で焼酎ボトル1本を空け、近いうちの再会を約束して別れた。次に彼に会う時は少しでも進化している自分を見せたいと思う。友がいるから自分は頑張れる。そんな友が、この歳になってもまだ増えつつある。不思議だと思う。

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名古屋二人旅

ぎふ清流マラソンを走れなくてちょっと落ち込んだ状態で名古屋の宿に戻ってきた。この宿は、ブログ仲間のrecocaさんが予約してくれたものだ。岐阜でマラソンを走るということを話したら、名古屋に良い宿があると言う。彼は名古屋出身なのだ。ついでに名古屋の街を案内してくれると言う。そのために彼はわざわざ東京から一日遅れでやってくるのだった。10歳以上も大先輩の彼がわざわざ東京からやってくる。言葉では上手く表せないけれど、何ともありがたいことだ。

夕方6時ぐらいに彼の部屋から内線があった。去年の暮れのクリスマスパーティ以来、久しぶりの再会。だけどそういう感じは全くしない。彼は、ブログの記事そのままに実直な人だ。彼のような人が戦後の日本を立ち直らせてきたのだというのがよく分かる。そして今もまだ彼はいろんなことに挑戦しては進化を続けている。なんとも魅力的な人なのだ。

部屋でひとしきり話した後、夕食を食べに行くことになった。名古屋の名物を味わってもらいたい、名古屋のいろんなことを知ってもらいたい、そんな彼の熱い思いが伝わってくる。そして見つけたのが、名古屋名物ひつまぶしのお店。お店の構えを見ればそのお値段の見当もだいたいつくが、どうせ食べるならいいものを食べたいという気持ちが勝った。

翌日に真っ先に案内してもらったのは名古屋城。金シャチが眩しい。本丸御殿が新しくなったということでなかなかの人気だそうだ。9時の開園時間前には着いたのだが、すでに入場券売り場には列ができ始めていた。お目当ての本丸御殿に入るのにさらに20~30分ほど並んだろうか。真新しい本丸御殿も、これから月日を重ねてますます魅力的になっていくのだろう。名古屋城を後にする頃には、入場券を購入するための列が200mほどに延びていた。早い時間に来て大正解だった。

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続いて名古屋のテレビ塔。耐震工事で立ち入ることができなかったのがちょっと残念。次に大須観音浅草寺みたいな感じで、浅草の仲見世に似た大須商店街は溢れんばかりの人で賑わっていた。そして最後はテレビでよく見かける熱田神宮。観音様といい熱田神宮といい、キリスト教徒のrecocaさんとは全く縁の無い場所だ。わざわざ自分のために案内してくれるというのが嬉しい。ちなみにこの日のお昼はおかかがたっぷり乗ったきしめん

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帰りの切符は別々に購入していたが、時間を変えてもらって一緒に帰ることができた。前日の夕方から新横浜に着く夕方6時まで、寝ている時間を除けば12時間以上も彼と話し続けた。不思議だ。年齢もだいぶ違うし、やってきたこと、それに考え方もきっと違う。そんな二人がこんなにも長い時間を二人だけで過ごせるなんてね。きっと彼の周到な準備のおかげだ。ごいさんと歩くために足腰も鍛えてきたという。実際この日は12キロ近くも歩いた。

来年は常滑中部国際空港の方を案内してくれるということだから楽しみにしていよう。もちろんぎふ清流マラソンをしっかり走ってからね。彼のおかげで、ショックも癒え、楽しい旅となった。

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第Q回ぎふ清流ハーフマラソン

一昨日に行われたぎふ清流マラソンに行ってきた。でも走れなかった。

前日の夕方6時頃、受付会場の岐阜メモリアルセンターに向かう。さすがにこの時間になると受付に来るランナーも少ない。露店も片づけを終えて帰らんとしている。で愛ドームに案内され、ゼッケンを受け取る。ブロックはA、だいぶプレッシャーを感じる。それでもボランティアの皆さんから頑張ってくださいと声をかけられ、気持ちは前向きに。

名古屋のホテルで、コース図を見ながらレースプランを考える。橋の位置と距離関係を確認しながらだいたいのペースを設定する。今の状態から1時間50分を切れればいいかと妥協点を見つけたところで早々と床に就く。朝は目覚ましの鳴る前に目が覚める。軽く体を動かして朝食を取り、6時20分、ホテルを出発。この時はやる気も十分、そしてQちゃんとのハイタッチに期待を膨らませていた。

なのに、走れなかった。駅に行く道を少し間違えて途中から走って、どうにか予定の電車には間に合いそう。そう思って改札を入ろうとした時に、パスケースがないのに気付いた。持って出たのは記憶しているから、途中で落としたに違いない。お金とクレジットカードが何枚か一緒に入っていたから、当然だけど手元には一銭もなく電車にも乗れない。

仕方なく来た道をパスケースを探しながら宿まで戻ることにした。落としたなら時間はあまり経っていないからまだそこにあるだろうかとも思ったが、結局は宿まで見つけることはできなかった。宿には予備にクレジットカードを1枚残しておいたから、お金を引き出すことはできたからこの時点では急げばまだスタート時間に間に合ったと思う。

ただ一緒に落としたクレジットカードや保険証のことが不安だったし、それに膝の調子も相変わらず思わしくない。これは走らない方がいいという天からの案じなのかもしれないなんて勝手なことを考えた。そう思ったら、自分には珍しくあっさりと諦めもついた。そうして、交番への落し物の届けや、カードの使用停止の手続きを済ませる。

一通り済ませるとようやく気持ちが落ち着いてきて、ともあれ会場に行ってQちゃんに会ってこようという気になった。会場に着いた時は2時間ぐらいのランナーが次々と帰って来ている頃だった。沿道にはたくさんの人が出迎え、大きな声援を送っている。いつ見てもいい光景だ。

12時半からは、サンプラザ中野くんパッパラー河合さんによるライブショー。彼ら曰く、平成を駆け抜けたというヒット曲「ランナー」をみんなで大合唱。続いてQちゃんや川内君、それに彼の婚約者などがやって来てのトークショー。歌って踊って、Qちゃんや川内君の元気な声を聞いていたら、自然と自分もそこを走った気分になっていた。

Qちゃんとは、いつだったか、三浦マラソンでハイタッチしてからの熱烈ファン。来年はできればあの競技場の中でQちゃんとハイタッチしたい…なんて、会場を後にする頃には落し物のことはすっかり忘れていた。これもある意味、いい思い出になった…かも。

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母の入院と手術

自分がニューヨークに行く前日の朝、母は頭に強い痛みを感じてしばらく横たわっていたという。夕方になっても一向に痛みが引かないので妹に連絡して、妹の家に泊まることになった。一晩休んだら、多少痛みが和らいだようで自宅に戻ったという。妹からのメールでそれを知ったのは、ニューヨークにちょうど着いた時だった。母はもう大丈夫だから楽しんできていいよとも添えてあった。

ところが実際はその後も痛みは続いていて、病院に行ってCTを撮ってもらったりしたのだが何の異常も見つからなかったという。処方された痛み止めを飲むが、痛みは治まらない。ニューヨークから帰った自分に、母がもう一軒だけ病院に連れて行ってくれと頼む。すでにCTでも異常がなかったんだから気のせいだと本気にせずにあしらう自分。それでも母の勢いに負けて、脳外科の病院に連れて行った。

専門のドクターは母の顔色やCTの話などから特に問題はないようだと語ったが、母を納得させる意味でも、MRIを撮ってほしいとお願いした。早くお願いしたいという気持ちが伝わったのか、翌日の開院前に撮ろうということになった。話の内容から特に問題は無さそうだと思ったので、当日の立ち合いは妹夫婦にお願いした。

そうしたら翌朝に、妹から電話が入った。母にくも膜下出血が見つかって緊急入院、午後には手術をするという。電話があった時点ですでに何かあったと思ったが、これを聞いた時は本当にショックだった。祖母もくも膜下出血で亡くなっていて、それがいかほどに恐ろしいものかということは十分承知している。仮に治ってもかなりの後遺症が考えられた。いや、それでも生きていてくれればいい。

89歳の母にとって手術は大変な負担だろう。幸い運ばれた病院では、カテーテルを利用した手術ということで体への負担は軽く母でも大丈夫ということだった。手術は1時間ほどで終わり、ドクターからは手術がうまくいったことを告げられた。また、発症して2週間も経つのにこうして無事に生きているのは奇跡だとも言われた。酸素マスクをつけて苦しそうにしている母と面会するのは辛かった。逆に、そんな自分たちを元気づけるように声を出す母だった。

ドクターの思った以上に母の回復は早く、10日後には退院できることになった。後遺症もほとんど見られない。妹の家で数日過ごした後、実家で一人暮らしを再開した。妹から連絡をもらってから病院までの道すがら、母が死ぬことも覚悟した。母の言葉を聞いてあげなくて、もしも母が亡くなったらどれほどの後悔をすることになっただろう。

母のことでは後悔しないようにしてきたつもりでも、いざとなると思いだすのは後悔することばかり。今回はそんなのとっくのお見通しの神様が与えてくれた試練だったのではないか, そんな気がする。それが証拠に、母は後遺症もなく無事だった。こうして母の存在価値を改めて噛みしめたおかげで、僕も妹も親孝行のやり直しができる喜びを感じている。言葉に表せないくらいに嬉しい。

二度とこんな機会は来ないだろう。今度こそ、後悔しないようにしなければ。

引地川の千本桜f:id:goisan:20190407125041j:plain

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