2017 榛名湖マラソン、完走

昨日、榛名湖マラソンを走ってきた。初めて走った昨年は、30キロ付近で両足がつって残りの10キロほどを苦痛に喘ぎながら走ったというのがあって、今年はきっと走る気にはならないだろうと思っていた。それがはてブロランナーのfuruhon-yaさんがエントリーするのを知ったら、自分ももう一度あの坂道に挑戦したいという気持ちになってきた。それと昨年10月の大阪マラソンでサブ3.5を達成できたのもここでの苦しみがあったからではないかと考えたのだ。

今回も前日は高崎駅前のホテルに泊まり、早朝の送迎バスで会場に向かうことにした。榛名湖畔の会場には1時間余りで到着。受付でもらったゼッケンをはてブロシャツに付け、荷物を預けたところで、偶然にfuruhon-yaさんに再会した。奥様とお嬢さんがご一緒だった。前日に来て榛名山に上ったり榛名湖でボート遊びを楽しんだりしたそうで、furuhon-yaさんも優しいパパぶりを存分に発揮していたようだ。

『furuhon-yaさんご家族と一緒にシューズ円陣』f:id:goisan:20170924081336j:plain

彼らと別れて軽くストレッチをしてスタートの列に並ぶ。実は先週末から腰骨の右側の部分が痛んでここ数日まともに走れていない。金曜日になんとか20キロ走ったものの鈍い痛みと共に腰が重く感じられる。そんなことで今回は少し緩めに、昨年のタイム(4時間4分7秒)を上回ることと、2キロ続く坂道を止まることなく走り切ることの2つを目標として考えた。

9時ちょうどに号砲が鳴る。ごいさんはCブロックでのスタート。今日はfuruhon-yaさんの奥様とお嬢さんが自分のことも応援してくれるという。実際、周回ごとに「頑張って」とかけてくれる声は本当にありがたかった。コースは最初に3キロほどを小回りしてから、1周8キロ弱の榛名湖畔の周回コースに入っていく。その最初に長い坂道がある。やっとの思いで上りきった後の下り坂がまた急過ぎて足にかなりの負担が来る。その後も小さなアップダウンが数回あり、そして2周目に入ってまたあの長い上り坂となる。これを繰り返すこと5回。考えただけで気が遠くなる。

今回はサブ4が目標だったので無理をせずキロ5分30秒を目安に走った。もちろんあの急坂で失ったタイムは回復させなければならない。鈍い痛みはあるものの腰の方もどうにか大丈夫そう。最後の2周ぐらいからは先に行くランナーをかなり追い抜くことができた。最後の上り坂を終えて数分の貯金があり、これでサブ4間違いないと判断して、途中のエイドで名物のカレーを味わった。大きいじゃがいもだなあと思って食べてみたらなんと肉の塊。いやあ贅沢だ。

そこからの最後の4キロは、前方にBやCといったライバルたちのゼッケンを見つけては抜くことに専念する。最後の200mでは一気に3人ほど抜いてフィニッシュ。タイムは3時間55分43秒。これで無事に目標達成。furuhon-yaさんは3時間38分と言っていたから、奥さまとお嬢さんに立派な勇姿を見せることができたみたいだね。

来週は宮城復興マラソンがある。まだプレシーズンマッチの意味合いなので無理はしないけど、少し自信が戻った感じなのでもう少しだけ頑張ってみようかと思っている。

 

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40年前から届いた声の手紙 ~後編~

3本目のテープの最後に「こっちは二人とも大学院はダメだった。残りは君だけだ。頑張ってきたS井君が落ちるはずはない。無事に通り抜けることを祈っているぞ。」と熱く語りかけている。が、この一週間後に憮然とした態度で彼は現れる。このテープが届いた時はすでに落ちていたのだと。なんとタイミングの悪い。でもそれを聞いたら急に可笑しさが込み上げてきてO江君と二人で大笑い。つられるようにS井君も笑い出して三人での大笑いの大合唱となった。このテープが届いた時、彼は一人打ちひしがれていたという。それがこのテープを聴いたらなんだか沈んでいるのが馬鹿らしくなって、それで我々の顔が見たくなって帰ってきたという。

次のテープはS井君から初めて送られてきたものだ。時々お猿さんのきゃきゃという声が聞こえる。大学院を落ちた時の思いが綿々と語られている。そういう状況だからいろんな節約をして一日を200円ほどで生活しているという。O江君と二人で体は大丈夫なんだろうかと心配する。内容もそうだが、猿しかいない部屋で一人淡々と話しているのがなんとも悲しい。最後に田中角栄ジャイアント馬場の物真似をして少しばかり元気な所を見せてはいるのだけれど。

そしてこちらからの最後のテープは、ごいさんの新しい家で12月5日の深夜に録音された。自分は、神奈川、茨城の教員採用試験に合格。東京はまだ結果待ちだが、これで4月からは先生としてスタートすることが決まったこと。O江君は落ちたと思っていた東工大大学院に合格していたことを報告している。テープの終盤では、大学院を落ちてしまったS井君に再挑戦を勧めている。老子の「学を絶てば憂い無し(絶学無憂)」を引き合いに出して、「お前は普通のサラリーマンには向かない。研究所で一生を過ごすのがお前なのだ。」と、学問を続けることを説得している。二人して真剣に彼の復活を祈っているのだが、それがとても純粋で新鮮に感じる。

最後のテープは再びS井君から送られてきたもので、勉強を再開したという報告から始まっている。毎日、実験を4~5時間、そして自分の勉強を6時間という日課で過ごしているという。二人のテープが励みになったらしく、「憂いこそ喜びであり自分の人生なのだと思う」と述べている。まだやれるという自信がようやく出てきたようだ。きっとこれを聴いた当時の自分たちは大いに安心したことだろう。

S井君、O江君、そして自分の三人、会えばいつも涙を流すほどに笑っていた。よく遊び、よく話し、よく笑った。この二人がいれば他に友は要らないと思った時もある。さて3人のそれからだが、S井君はその3月に再挑戦して今度は見事に合格を果たす。そしていくつかの大学を経て京都に戻り、今も現役の教授として働いている。O江君は大学院を修了後、改めて大手鉄鋼会社に就職し海外にも派遣されるなど活躍した。今は一級建築士として個人事務所を開いている。そしてごいさんは……もちろん皆さんご存知の通り。

40年前から届いた声の手紙。そこで40年前の自分が生き生きと喋っている。今を生きているようで何とも不思議な感覚だ。その彼に比べて、今の自分が少しばかりみすぼらしく思えてきた。頑張んなきゃ。今を生きているのは今の自分なのだから……って思った。

 

犬山にいるS井君に向かってO江君と一緒にエールを送っているところ?(山中湖にて)f:id:goisan:20170918125957j:plain

 

40年前から届いた声の手紙 ~前編~

先日、京都にいるS井君から一通の手紙が送られてきた。中にはメッセージと1枚のSDカードが入っていた。そのカードに録音されていたのは40年も前にS井君とやり取りした声の手紙だった。再生すると二人の会話する声が聞こえてきた。一人は親友のO江君で、もう一人が自分の声だ。声は変わっていないが、ずいぶんと若々しい。テープレコーダーがそれまでのリール式からカセット式に変わりつつある時だった。新しいのを買って妙に浮かれていたのだろう。これを使って、犬山の研究所で大学院を目指していたS井君に声の便りを送ろうということになったのだ。

彼が先に大学を卒業してその研究所に行くまではO江君と自分と3人で暇さえあれば遊んでいるという関係だった。親友が遠くに行ってしまったということで寂しさもあったに違いない。4月に最初のテープを作ってから1年間に4本のテープを作って彼に送った。彼からも2本のテープが送られてきた。その6本のテープを編集して改めて彼に送ったのだが、S井君はこの40年間大事にとっておいてくれたようだ。

作ったことは覚えていても何を録音したかまるで覚えていない。聴いてみるとどうやら最初からテープを作ろうということではなかったらしい。その日にたまたま行きつけのパチンコ屋でO江君に出会って、他にやることもなくてそれじゃあといった乗りで始まった感じだ。その内容はというと、時は大学4年の4月のようで卒研に向けての研究室が決まっただとか、大学に行く日が週に3日になったとか言っている。もちろんサルの研究の手伝いをしているS井君のことも話題にして、「猿とは仲良くしろよ。猿にマージャンは教えられるのか。猿のバナナを取って食うなよ。」と言いたいことを言っては盛り上がっている。いかにもお気楽な大学生の会話が30分続いている。

2本目のテープはO江君が大学院を受ける話が中心になっている。それまで大手鉄鋼会社に就職を考えていたのだが、「私学じゃ出世にも限りがあるから一度大学院に進んでみたら」というごいさんのアドバイスで彼も大学院を目指すことになったのだ。この時、自分は教員採用試験を受けることを話している。それに大学院も受けるようで、まだ気持ちが揺れ動いているのが感じ取れる。時間が夕方の5時になり、自分が塾のバイトに行くという所でこのテープは終わっている。

そして3本目のテープ。この頃は漫画「嗚呼!!花の応援団」にはまっているらしく、あちこちに「がび~ん」だとか「ちゃんわちょんわ」、「クェックェックェッ」なんてそれらしい言葉が飛び交っている。O江君は東大の大学院が落ちて東工大の結果待ちだが絶望的だと語っている。自分は、大学院は落ちたが、神奈川県の教員試験の一次が通ったと話している。この日は9月15日の敬老の日。ちょうどこの時のごいさんは教育実習真っ最中で、女の子にけっこうもてていたらしい。自分が友だちにそんな自慢話をするなんて珍しい。こんな時もあったんだ。(続く)

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テーネンジャー、屋形船に乗る

一昨日の土曜日に久しぶりにテーネンジャー8のメンバーで屋形船ツアーに行ってきた。前にも紹介したがこのテーネンジャー8というのは同じ職場で一緒に定年を迎えた8人の仲間で作った会である。本来は7月に行う予定だったのだが、幹事のごいさんが気づくのが遅れて、9月に延ばしてもらったという経緯がある。今回はみんなの交通の便を第一に考えて品川の「平井」という船宿に申し込むことにした。

さて屋形船ということで天候は気になるところだ。もちろん屋根があるから雨天決行なのだが、それでも雨が降れば面白さは激減してしまう。ということで週末のお天気を気にしていたのだが、どうやら天気は回復するとのこと。東京湾の美しい夜景を眺めることができればほぼ成功と言えるだろうから、これでまずは一安心と言ったところだ。

みんなとは品川駅で待ち合わせたが、ごいさんが行くとすでに全員が集合していた。みんなさすがに先生をやっていただけのことはあると改めて思う。こういうのは本当にスカッとしたいい気分になるものだ。それだけみんなの期待度も大きいということだと思った。あとは屋形船の雰囲気やお料理が彼らを満足させてくれるように願うだけ。

待合所で待っていると、他に数人の大学生らしきグループと若いカップルが4組ほど集まってきた。どうやら今日のお客さんはこれだけのようだ。船の大きさからいって50人前後は乗れるだろうから実にゆったりしたものだ。飲み物のお替りも頼みやすいし何と言っても動き易い。案の定、右に左にと移動してはパチパチと写真撮影を始めるお爺ちゃんたち。自分もだけどね。若いカップルたちには邪魔な存在だったかも。

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お台場周辺で40分ほど停泊するのだが、その間は屋根の上の展望デッキで周りを眺めることができる。レインボーブリッジやフジテレビの建物、自由の女神が見える。予想通り美しい眺めだ。船内に戻れば揚げたての天ぷらが次々と出され、お酒を飲む勢いも増す。それと意外に楽しめたのが、和服姿の若いお姉さんがマイクでいろいろ案内をしてくれるのだが、冗談も交えながらの話しぶりが実に上手いこと。このお姉さんの存在はとても大きかった。

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お台場で40分余りを過ごすと再びエンジンがかかり隅田川を上り始める。両側ガラス張りの船内からは外の夜景が綺麗に見える。やがて清洲橋の向こうにスカイツリーが見えてきた。今回の屋形船はここでUターン。こうして2時間半は大盛り上がりのうちに過ぎた。久しぶりだからもっと話もしたかったがこれだけ盛り上がれば幹事としても大満足。

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現役の時はそれほどに話もしなかった。ただ退職が一緒だけという縁で結ばれたメンバーなのだが、何故か会うたびに絆が強くなっていくのを感じている。同じ時代を生きてきた同志ということからか。それほどには相手のことを知らない。追及もしない。その程度の関係が過度の期待を持たせないというのがいいのかもしれない。さて次は忘年会だね。

 

「品川駅山手線ホームにある記念プレート」 

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笑う猫とゴマちゃん

一昨日、母に呑兵衛旅行で買ってきたお土産の「笑う猫」を届けに行ってきた。新しい電池を入れて、母に「猫のお尻を触ってみな」と促す。恐る恐ると差し出した手でちょんと突っつくと、途端に猫がけたたましく笑い出した。猫の鳴き声じゃない。ギャハハハハハと人間の笑い方だ。それもしっぽを軸にもんどり打って笑っている。その笑い声の勢いにつられて母も思わず笑いながら「何、これ」を連発している。自分もそうだが皆さんにもあると思うけどあの胸の苦しくなるぐらいの笑い方だ。仰向けになって笑っている様はまるでひきつけを起こしているかのよう。何が可笑しいのかなんてどうでもよくて、ただそれを見ているだけでこちらも可笑しさが込み上げてくる。

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今日は下の子供から預かったお土産も持ってきた。先日に夏季休暇が取れて北海道を旅してきたという。お土産は旭川動物園で買ったアザラシのぬいぐるみだった。昔流行ったあのゴマちゃんみたいだ。こちらは間違いなく本物で触り心地がとてもいい。母は大事そうに抱えて今晩から一緒に寝るよと嬉しそうに言っていた。下の子は小学校に上がるまでは何かと母親の世話になっていたから、母もその子からこうしてお土産をもらうのは相当に嬉しいのだと思う。

似たような土産になってしまったけど、違うタイプだし母もそれぞれに喜んでくれたみたいで良かった。その後は二つを並べては眺めたりゴマちゃんを抱いたり猫を笑わせたりと忙しそうだった。そんな母の姿はまるで子供のように見えた。いい年のとり方って案外子供のようになっていくことなのかもしれない。母の笑っている顔には欲というものが感じられず、ただ純粋に生きていることだけを楽しんでいるようだ。その様子が毎日毎日を無邪気に遊んでいた子供の頃と同じように思えたのだ。

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このところの母は少し年を取ったような気がする。毎日1時間歩いていたのが30分になったりテレビを観る時間もかなり増えたりと、行動範囲も狭まった感じだ。しょうがないこととはいえちょっと寂しい。友人の母親の多くはすでに他界していたり施設に入院していたりする。それに比べて自分はまだ母に甘えている。母の健在のおかげであちこちにも出かけられるし好きなことができる。そのことは決して忘れてはいない。でもあと少しの間だけ。やり残しを終えたらしっかり親孝行するからさ。

 

第9回 呑兵衛達の旅 ~8月24日~

前日早めに寝たお陰で4時少し過ぎに目を覚ました。朝走ることはみんなに言ってあるので自分の寝場所はいつも出入り口のすぐ側だ。シャツ、パンツはすでに履いているので、浴衣を脱ぎ靴下を履く。いつもそっと出るつもりでいるのだがドアの音が微妙に大きい。目を覚ましても寝たふりをしてくれているのだろうなどとありがたく思いながら外に出る。

時間は4時半を少し回った所。6時までに戻ることを考えて13キロぐらいを目安とする。まずは誰も歩いていない温泉街を一気に駆け下りていく。その後6.5キロの折り返し地点までは周りを見渡しながらのんびりモードだ。その分、帰りは淡々とホテルを目指す。最後の1キロの上り坂はけっこうきつかったが、予定の13キロを無事に走り終えて温泉に浸かる。う~ん、まさに極楽。

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宿を8時半に出発して、お土産を求めて「日本こけし館」に立ち寄る。英会話でお世話になっている講師の先生に小さなこけしの付いたキーホルダーを購入。他に可愛いらしい顔をしたこけしと目が合ってしばらく眺めていたのだが埃をかぶったのを想像して買うのを諦めた。続いて鳴子狭に寄ったのだが、今回はそれほどの印象は無かった。秋の紅葉の時期にはきっと素晴らしい眺めを楽しめることだろう。

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帰りに仙台駅でお土産を買いたいというみんなの要望を入れて青葉城址の見学は取りやめる。そして最後の見学場所となったのが伊達政宗を祀る霊廟「瑞鳳殿」だ。100段はあるという長い階段がけっこう辛い。ようやくにして辿り着いた「瑞鳳殿」の絢爛豪華さを前にして、改めて伊達政宗の生きざまを思う。

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さて旅の〆の昼食は仙台名物の牛タン定食だ。お店の名前は「旨味 太助」と言う。目と鼻の先に「味 太助」という店があったがどうも兄弟でやっている店らしいのだが、何かのトラブルで今では袂を分かっているらしい。4枚の牛タンとテールスープがついて1,500円也はお手頃価格だ。味も良かったし歯ごたえもあってまずまずだったと思う。肉がカナダ産とでっかく書いてあるのも堂々としていて好感が持てた。

食事が終わるとすぐにレンタカーを返却。これから1時間余りがお土産タイムだ。毎回のことだがこのお土産代が馬鹿にならない。それに荷物も増えて重くなる。それでも買わなければならないのは、こうやって気楽に旅に出られるのも周りの皆さんのお蔭だから。最後に冷えたビールを購入して新幹線に乗車。そしていつものように横浜駅近くの居酒屋で反省会をして帰宅と相成る。

こうして9回目の呑兵衛旅行は終わった。今年もいろんな場所を見学したくさんのことを学んだ。全体的にはいつものように楽しく過ごせたのだが、一つだけ自分の気持ちの中にひっかかるものを感じた。それは仲間と合わせることがずいぶんと下手になったということだ。今年は仕事から離れて人とのつき合いが大きく減ったせいなのか。それともそういった気持ちの衰えみたいなのもがあるのか。

そんなことを考えては、自分はこれからどうしたものか、なんてことでちょっと悩んでいる。

 

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第9回 呑兵衛達の旅 ~8月23日~

翌朝は2度寝をしたせいで起きた時にはすでに5時を過ぎていた。7時からの朝食のことを考えて一瞬ためらったが距離を短くしても走ることにした。日が上がってはいたがそれでも朝の松島海岸沿いを走るのは気持ちが良かった。誰もいない雄島と五大堂を見学しての1時間ほどのランニング。ホテル入口から玄関までの最後の坂道を上り終えたら汗でびっしょりになった。でも満足感一杯。大きなお風呂で汗を流して気分もすっきり爽やかになった。

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この日は松島湾の島巡りから始まった。8時30分に宿を出発して9時出航の遊覧船に乗る。50分の行程で1,500円也。いろんな説明も過去に何度か聞いているし、それに船からの眺めだとどうしても松島という実感がわいてこない。ほどよくエアコンの効いた船内で揺られていたら途中からうとうとした状態に陥ってしまった。

次は五大堂。さすがに早朝とは違い人出が多い。ここの土産物屋さんで笑う猫なるおもちゃが売られていた。お尻を触るとけたたましい声で笑いだすのだ。これが何回聞いても面白い。見ているこっちまでつられて笑ってしまう。心がいかにも健康になりそうだ。迷いに迷ったけど猫好きの母のために一つ購入することにした。いつも敬老の日のプレゼントで悩むけど今年はこれで何とかなるかしら。

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松島を後にして石巻日和山公園に向かう。高台にあるここからは震災の被害の様子が一望できる。石ノ森萬画館を指してI坂さんと喋っていたら一人の人が声をかけてきた。地元の方のようで、特に聞いたわけではなかったが慣れた感じでその時の様子を話し始めた。30分間ぐらいだっただろうか。地震が起きて津波が来るまでの時間になぜ逃げなかったのかという心理状況やこれからの復興計画など、実に興味深い話だった。振り返ってみるとこの話が今回の旅行で一番思い出深いものとなった。

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「南浜町……新興の住宅地として賑わっていたがすべて流されてしまった。この跡地は公園になる予定だという。」f:id:goisan:20170823120827j:plain

思わぬ話を聞いて少し遅れ気味になったけど、続いて「こもれびの森」という森林科学館を目指す。ここの所長さんが神奈川県の元教員というご縁で立ち寄ることになったらしい。その佇まいを見ていて昔生徒たちと行った野外教育活動が思い出された。クマがあちこちに出没するのだという。ごいさんには到底できない仕事だと思った。なんだかんだと1時間ほど案内をしてもらいながら話を聞くことができた。

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ということで今日の宿のある鳴子温泉に向かう。鳴子と言えばもちろんこけしで有名な場所だ。おっとホテルに直行かと思いきやその前に「尿前(しとまえ)の関」に寄るという。いかにもM橋さんらしい。彼はこういう知る人ぞ知るというところが好きなのだ。もっともだからこそ自分たちの勉強にもなるのだけどね。

芭蕉の『おくのほそ道』に登場する。義経や弁慶との関わりもあるという。」

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温泉はかなり強い硫黄のにおいが鼻を突いて、いかにも効能があるという感じ。夕食は豪華でお腹いっぱいになった。今日の仲居さんはベテランさん、こういう時のお爺ちゃんたちは実に静かなものだ。2日目の夜は例年通りにみんなのパワーが極端に落ちる。眠い飲めないの連発だ。それでも10時半消灯って、やっぱり早いよなあ。

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