シーズン7、始まる

明日のタートルマラソン大会から、自分たちのチームの今シーズンが始まる。ということでこの大会にも7度目の出場となる。思えば6年前に同僚のS田さんと初めて参加した時は気温が30度を超え、30名余りのランナーが救急車で搬送され、道の両脇にもかなりの人が横になったりしゃがんだり、歩く人も相当数いて、何とも壮絶な大会だった。S田さんにとっては初めてのマラソン大会で2時間半を目標に走ったのだが、まさにジャストの2時間半でフィニッシュ。ぎりぎりではあったけど目標を達成したということで彼はマラソンを続けることを決意したのだった。

ごいさんはと言うと、体力にはまあまあの自信もあったし1時間50分ぐらいは楽勝なんて思っていたところが13キロで両足が攣るなどして、結果は2時間3秒と惨憺たるもの。情けなく悔しい思いをしたのを覚えている。もしこの時S田さんが続けると言っていなければごいさんも今はきっと走っていない。二人で居酒屋に入って冷えたビールを前にして一滴も飲めなかった、それもまたいい思い出になっている。

それから6年が過ぎた。この初戦のハーフはシーズンを占うにはちょうど良い大会だし、仲間が久し振りに集まって走り終わった後の飲み会も楽しみなのだ。さて明日はどんな結果となりますやら。

さてそんなことで今シーズンのごいさんの予定をここにまとめておこうと思う。走ることにはあまり興味が無い方もおられると思うけど、「お爺さん、頑張ってるじゃない」ぐらいの感じでちょこっとでも応援していただけたら嬉しいです。また、はてブロランナーの方たちとどこかの大会でお会いするのも楽しみの一つ。良ければ声をかけてください。

 

10月15日 タートルマラソン(ハーフ) ……シーズン初戦。
10月29日 しまだ大井川マラソンinリバティ(フル) ……大エイドが楽しみ。
11月5日 ニューヨークシティマラソン(フル) ……いざ、憧れのニューヨークへ。
11月26日 つくばマラソン(フル) ……サブ3.5に再挑戦。
12月10日 奈良マラソン(フル) ……去年のリベンジ。
1月14日 ハイテクハーフマラソン(ハーフ) ……正月気分を吹き飛ばす。
1月28日 館山若潮マラソン(フル) ……相性の良い大会。
2月4日 神奈川マラソン(ハーフ) ……記録に挑戦。
2月25日 五島つばきマラソン(フル) ……地元の人との触れ合いが楽しみ。
3月4日 三浦国際市民マラソン(ハーフ) ……呑むために走る。
4月15日 かすみがうらマラソン予定(フル) ……シーズン最終戦

 

昨シーズンはサブ3.5も達成した。正直言えばこれ以上のタイムは今の自分には出せないと思うし出そうとも思わない。今年はサブ4を維持しながらいかに楽しんで走るかを追求してみたい。走り終えた時に楽しかったと言えるレース、どれくらいできるかなあ。

 

横浜マラソンスタート地点 ~みなとみらい大橋~f:id:goisan:20171014113214j:plain

 

教え子との再会

みやぎ復興マラソンに出かける前日に、仙台にいる教え子からメールが届いた。「先生は復興マラソンで仙台に来ますか。時間があれば会いたいです。」と書いてあった。この子は最後に受け持ったクラスの子で今年24歳になる女の子だ。卒業してからは一度も会っていないが、年賀状のやり取りだけはしていて、確かに今年の年賀状に復興マラソンを走るようなことを書いたのを思い出した。

その子は明るくはきはきした子で、3年生になると大学受験に向かって一生懸命に勉強に取り組みだした。志望の大学に十分手が届きそうなくらいまでに成績も伸びてきた。ところがいざ出願する時になって突然に受験をしないと言い出してきたのだ。何を本当に学びたいのか、大学に行く目的が見つからないと言う。それからはいろんな説得を試みたのだけれど彼女の気持ちを変えることはできなかった。

結局クラスでは彼女だけが進路が決まらないまま卒業することになった。1年生の時からずっと自分になついてきてくれた子で、その子の進路をちゃんと決めてあげられなかったことが何よりの心残りだった。卒業してからは薬局で働いているというのは知っていた。それが昨年のクラスの同窓会の時に仙台で暮らしていて今日は来られないのだというのを聞いた。どうして仙台にいるのかと思ったのだけど、その理由がどうにもよく分らない。そんなことで、彼女からメールを受け取った時はどうしても会わなければと思ったのだ。

土曜日の夕方5時半に仙台駅の新幹線入口で待ち合わせる。5分ぐらい前に階段を上がっていくとそれらしき女の子が立っているのが見えた。いや、もう女の子とは言わないね。素敵な女性になっていた。その子の顔を見た時の安心感、どのように表現したら分かってもらえるだろう。ちょうど夕食時だからご飯を食べながら話をしようということになって、彼女のお勧めらしき牛タン専門店に入る。運よくカウンターの席が空いていて待つことなく座ることができた。このすぐ後でたくさんのお客さんがやってきたから実にタイミングが良かった。

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何を話して何を聞いたのかあまり覚えていないのだが、思いつくままにいろんな話をしたのだけは覚えている。ここに詳しくは書かないけれど、今は好きな人と暮らし、好きな人と同じ会社で働いているという。その話しぶりからは幸せな感じがよく伝わってきて、ごいさんも一安心だ。卒業の時の彼女はとても不安定に思えたから、今の落ち着いた彼女を見ていて本当に嬉しく思う。

楽しい時間はあっという間に過ぎて、気がついてみればもう3時間も話していた。お店を後にして駅までブラブラと歩いていく。神奈川県から400キロも離れたところをこうして教え子と二人で歩くなんて不思議な感覚だ。そうして改めて思ったんだ。彼らがどこで暮らしていても、彼らの心の中には昔の担任の自分がちゃんといるのだと。だから自分も彼らの担任であったことを決して忘れちゃいけないのだってね。

突然の再会でまた素敵な思い出が一つ増えた。そしてごいさんの抱えていた悩みが一つ消えた。

 

『この子たちの残した3年分の学級日誌』f:id:goisan:20171007173649j:plain

 

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「東北・みやぎ復興マラソン 2017」を走る ~ 後 ~

阿武隈川にかかる亘理大橋を渡って亘理町に入るとまもなく10キロ地点だ。大震災の記憶がよみがえる。ここでも総出でランナーを出迎えてくれていて、「ありがとう」の声があちこちで聞こえる。それに応えて多くのランナーからも「ありがとう」という声が返される。正に気持ちが一つになった、そんな感じだった。ここが最初の折り返し地点で、10キロまでの5キロは26分34秒。

しばらくして海沿いの道路に出る。ただ真っ直ぐに延びた道があるだけで他には何もない。右側には防潮堤があって直接に海を見ることはできない。一瞬ですべてが飲み尽くされた正にその場所を今走っている。これが10キロ近くにも及ぶのだ。応援の方もさすがにここまでは来られないようで、ここではランナーの走る音だけが響く。太陽が背後から容赦なく照りつけている。この辺から少しずつ落ちてくるランナーが出始める。それを確実に拾いながら少しずつ抜き返していく。15キロまでの5キロが26分20秒、20キロまでの5キロが26分43秒。

23キロ地点のエイドはちょうどスタート地点の近くの場所にある。あと10キロほど行って帰ってくればゴールだ。これならなんとかいけるという気持ちになったところでまたアクシデント。給水の時に前を歩いていたランナーと接触しそうになって横に避けたところでまた腰をひねってしまった。大したこともないのだが今日はやけに気になってしまう。

25キロまでの5キロは26分47秒で凌いだが、その辺から少しずつタイムが落ち始める。不安な気持ちとそれに追い打ちをかけるような今日の暑さで、予想以上に体力を消耗しているようだ。30キロまでの5キロは28分32秒かかった。そして32キロ地点は最後の折り返しの場所。本当にたくさんの人が応援してくれている。そんな声援に小さく手を振るのがやっとの状態。この時の自分はこの復興の道を走り切りたいという気持ちだけが支えだった。何が何でも最後まで走り通したいのだと。

35キロまでの5キロが28分46秒。そして40キロまでの5キロが29分24秒。タイムはかなり落ちたがそれでも自分を抜いていく人は思ったほどにいない。残り2キロとなってこれで走り切れるという思いからか思わず顔がにやけてしまう。途中では4時間を切るのも難しいかと頭をよぎったこともあったが、フィニッシュ地点にいるバンビさんやいつも応援してくれているカメキチさんやブナさん、それとブログで励ましていただいている皆さんを思い浮かべると簡単には諦められない。自分の書く頑張ったという記事を読んでほしいのだ。それにだいたいが倒れるほど弱ってはいない。そういう思いで懸命に腕を振ってゴールに飛び込んだ。タイムは3時間52分55秒。

思った走りはできなかったが、走り切れたことに十分満足している。それに走って本当に良かったと思う。沿道でのたくさんの人たちの応援はとても温かだった。そしてボランティアの皆さまからの励ましも素晴らしかった。大会関係の方々も含めて、皆さんの復興に対する熱い思い、しっかり伝わってきました。これからも気持ちは一つ、東日本大震災のことは忘れません。大変お世話になりました。ありがとうございました。

 

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「東北・みやぎ復興マラソン 2017」を走る ~ 前 ~

1日の日曜日に、宮城県仙台で行われた「東北・みやぎ復興マラソン」に参戦してきた。1週間前に榛名湖マラソンを走ったばかりでという声も聞こえてきそうだが、初めに申し込んでいたのはこちらの方だった。この大会が開かれると知った時、あの震災で受けた被害がどのようなものだったのか、そしてあれから6年半が過ぎて復興はどうなっているのか、それを見ないではいられない思いだったのだ。その後で調整という意味合いもあって榛名湖を選んだのだが、結果として今のごいさんには少々無謀だったかもしれない。

8月まではどうということもなかったのに何の前触れもなく9月に入って急に腰の周りが痛み出したのだ。元々体型のバランスが崩れているのは知っていたのだが、それをかばうような走り方のせいだと思うのだが、走り終えるとかなりの痛みを覚えるのだ。榛名湖ではどうにか乗り切れたので大丈夫だろうと思えたのだが、その痛みはじんわりと続いていて、その不安を拭い切れないまま当日を迎えることになった。

さて、今回はボランティアに来ているブログ仲間のバンビさんに会うのが楽しみの一つでもあった。会場に着いて参加賞のシャツをもらって待ち合わせ場所に向かうと、すでにバンビさんは到着していて自分を待っていてくれた。まずはお揃いのはてブロシャツでの記念撮影。若いお嬢さんがこういうお年寄りにつき合ってくれるというのは本当にありがたいことだ。それにしても、ボランティアをやるためだけに東京からここまで出向いて来るなんて凄い。いかにもバンビさんらしい……と思った。

Bブロックのごいさんは、A、Cと一緒に第1ウェーヴでのスタート。いくつかのアトラクションが終わってスターターの紹介でどよめきが起こる。紹介されたのはあの星野仙一監督だったからだ。聞き覚えのある声が響いた後、9時15分に号砲が鳴らされる。少し遅れて、星野監督に手を振りながらごいさんもスタートラインを通過する。

いつもなら最初からある程度の流れに乗って行くのだが、今回ばかりはどうにも自信がない。ともあれ目標は3時間40分台と設定し、キロ5分20秒くらいを刻んでいけばいいと考えた。ところが1キロも行かないうちに最初のアクシデントが発生する。道路の段差で足を取られ腰がギクッとして軽い痛みが走ったのだ。いつもならどうとも思わないのに、今回はこれでますますナーバスになってしまった。

何もないところに作られた真新しいかさ上げ道路を淡々と走っていく。本当に何もなくて、ここが震災の場所であったことは歴然だ。そしてそこにたくさんの人が並んで、「来てくれてありがとう。走ってくれてありがとう。」と大きな声で応援してくれている。今日の自分がそれに応えられるほどの余裕が無いのが何とも情けない。せめてこのコースを最後までしっかりと走り切ることで応えたいと思うのだった。

最初の5キロは26分45秒とほぼ予定通りの入り。ただBブロックということもあって、この時点では次々と追い抜かれていく。負けず嫌いのごいさん、相当に悔しいのだが、今日はどうしようもない。

 

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秋のお彼岸、墓参り

マラソンがあったので書きそびれていたが、お彼岸の墓参りの記事を書き上げることにする。

先週の木曜日に恒例の墓参りに行ってきた。例年と変わったのは初めて平日に行ったということ。今年は仕事をしてないということで、敢えて混みあう中日に行く必要もないだろうと考えた。他はまったくいつも通り。妹夫婦と合流して母を迎えに行く。母はいつもと同じようにおはぎを作って待っている。母が入れた熱いお茶を飲みながらまずはおはぎの試食会だ。甘さが控えめでおしとやかな味わい、母の作るおはぎは相変わらず美味しい。

母は暇さえあれば小豆を煮て餡子を作っている。それをパンに挟んでお昼に食べるのだという。もちろんごいさんが小さい時からもよく作っていた。ごいさんはそれを熱いご飯の上に乗せて食べるのが好きだった。他人に言うと変な顔をされるが、なんのことはない、要はおはぎと同じ原理だ。敢えて丸くしないだけなのだ。今も作った時はお裾分けをもらって帰る。

餡子のことを書いたら母の作ってくれた料理のことを思い出した。母の作るものはもちろん漬物から始まって煮魚や煮物といった和風物ばかりだった。どうしてもハンバーグを食べたいとねだったことがあって、そうしたら見よう見まねで作ってくれたのだけど、それがどうにも本物とは程遠いものだったという思い出がある。

時々お弁当を持っていくことがあったが、母の作るお弁当のおかずはいつも決まっていた。それはきっとごいさんの偏食のせいだ。いつも決まったものが決まった場所に納まっている。毎日食べても飽きない自信があった。甘く焼いた玉子焼き、のり弁ふうに海苔がご飯の間にサンドイッチされている。それとメンチカツを甘く煮たのがご飯の上に乗っていてご飯にしっかり味が染みている。味噌漬けのお新香も定番だ。時々変わるのが玉子焼き。しょっぱく焼いて刻んでフリカケ風にしてあったりゆで卵や煮卵にしてくれる。もうこれで十分。逆に言えばお弁当を持っていく時だけ食べられる貴重なものだった。今、自分で弁当を作る時もこれが基準になっている。

平日だから人の姿はそれほどないが、それでも多くの墓にはすでに立派な花が供えられていた。母はいつものように墓石を丁寧に拭く。雑草も抜いて綺麗にしたところでお線香を上げる。風もなく実に穏やかな天気だ。手を合わせている母親はどんなことを考えているのだろうか。ともあれこの秋も母と一緒に墓参りを済ますことができた。父と祖父母の2か所のお墓を回って帰ってくるともう3時を回る。

最近は会うたびに少しずつ弱くなっているように感じられる母だが、まだまだ強い性格は健在だ。誰かに甘えちゃいけないって毎日のように自分に言い聞かせているのだろう。ごいさんにとって母は生き方の見本のような存在になっている。

 

敬老の日に孫から送られたお菓子の山』f:id:goisan:20170918181304j:plain

 

2017 榛名湖マラソン、完走

昨日、榛名湖マラソンを走ってきた。初めて走った昨年は、30キロ付近で両足がつって残りの10キロほどを苦痛に喘ぎながら走ったというのがあって、今年はきっと走る気にはならないだろうと思っていた。それがはてブロランナーのfuruhon-yaさんがエントリーするのを知ったら、自分ももう一度あの坂道に挑戦したいという気持ちになってきた。それと昨年10月の大阪マラソンでサブ3.5を達成できたのもここでの苦しみがあったからではないかと考えたのだ。

今回も前日は高崎駅前のホテルに泊まり、早朝の送迎バスで会場に向かうことにした。榛名湖畔の会場には1時間余りで到着。受付でもらったゼッケンをはてブロシャツに付け、荷物を預けたところで、偶然にfuruhon-yaさんに再会した。奥様とお嬢さんがご一緒だった。前日に来て榛名山に上ったり榛名湖でボート遊びを楽しんだりしたそうで、furuhon-yaさんも優しいパパぶりを存分に発揮していたようだ。

『furuhon-yaさんご家族と一緒にシューズ円陣』f:id:goisan:20170924081336j:plain

彼らと別れて軽くストレッチをしてスタートの列に並ぶ。実は先週末から腰骨の右側の部分が痛んでここ数日まともに走れていない。金曜日になんとか20キロ走ったものの鈍い痛みと共に腰が重く感じられる。そんなことで今回は少し緩めに、昨年のタイム(4時間4分7秒)を上回ることと、2キロ続く坂道を止まることなく走り切ることの2つを目標として考えた。

9時ちょうどに号砲が鳴る。ごいさんはCブロックでのスタート。今日はfuruhon-yaさんの奥様とお嬢さんが自分のことも応援してくれるという。実際、周回ごとに「頑張って」とかけてくれる声は本当にありがたかった。コースは最初に3キロほどを小回りしてから、1周8キロ弱の榛名湖畔の周回コースに入っていく。その最初に長い坂道がある。やっとの思いで上りきった後の下り坂がまた急過ぎて足にかなりの負担が来る。その後も小さなアップダウンが数回あり、そして2周目に入ってまたあの長い上り坂となる。これを繰り返すこと5回。考えただけで気が遠くなる。

今回はサブ4が目標だったので無理をせずキロ5分30秒を目安に走った。もちろんあの急坂で失ったタイムは回復させなければならない。鈍い痛みはあるものの腰の方もどうにか大丈夫そう。最後の2周ぐらいからは先に行くランナーをかなり追い抜くことができた。最後の上り坂を終えて数分の貯金があり、これでサブ4間違いないと判断して、途中のエイドで名物のカレーを味わった。大きいじゃがいもだなあと思って食べてみたらなんと肉の塊。いやあ贅沢だ。

そこからの最後の4キロは、前方にBやCといったライバルたちのゼッケンを見つけては抜くことに専念する。最後の200mでは一気に3人ほど抜いてフィニッシュ。タイムは3時間55分43秒。これで無事に目標達成。furuhon-yaさんは3時間38分と言っていたから、奥さまとお嬢さんに立派な勇姿を見せることができたみたいだね。

来週は宮城復興マラソンがある。まだプレシーズンマッチの意味合いなので無理はしないけど、少し自信が戻った感じなのでもう少しだけ頑張ってみようかと思っている。

 

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40年前から届いた声の手紙 ~後編~

3本目のテープの最後に「こっちは二人とも大学院はダメだった。残りは君だけだ。頑張ってきたS井君が落ちるはずはない。無事に通り抜けることを祈っているぞ。」と熱く語りかけている。が、この一週間後に憮然とした態度で彼は現れる。このテープが届いた時はすでに落ちていたのだと。なんとタイミングの悪い。でもそれを聞いたら急に可笑しさが込み上げてきてO江君と二人で大笑い。つられるようにS井君も笑い出して三人での大笑いの大合唱となった。このテープが届いた時、彼は一人打ちひしがれていたという。それがこのテープを聴いたらなんだか沈んでいるのが馬鹿らしくなって、それで我々の顔が見たくなって帰ってきたという。

次のテープはS井君から初めて送られてきたものだ。時々お猿さんのきゃきゃという声が聞こえる。大学院を落ちた時の思いが綿々と語られている。そういう状況だからいろんな節約をして一日を200円ほどで生活しているという。O江君と二人で体は大丈夫なんだろうかと心配する。内容もそうだが、猿しかいない部屋で一人淡々と話しているのがなんとも悲しい。最後に田中角栄ジャイアント馬場の物真似をして少しばかり元気な所を見せてはいるのだけれど。

そしてこちらからの最後のテープは、ごいさんの新しい家で12月5日の深夜に録音された。自分は、神奈川、茨城の教員採用試験に合格。東京はまだ結果待ちだが、これで4月からは先生としてスタートすることが決まったこと。O江君は落ちたと思っていた東工大大学院に合格していたことを報告している。テープの終盤では、大学院を落ちてしまったS井君に再挑戦を勧めている。老子の「学を絶てば憂い無し(絶学無憂)」を引き合いに出して、「お前は普通のサラリーマンには向かない。研究所で一生を過ごすのがお前なのだ。」と、学問を続けることを説得している。二人して真剣に彼の復活を祈っているのだが、それがとても純粋で新鮮に感じる。

最後のテープは再びS井君から送られてきたもので、勉強を再開したという報告から始まっている。毎日、実験を4~5時間、そして自分の勉強を6時間という日課で過ごしているという。二人のテープが励みになったらしく、「憂いこそ喜びであり自分の人生なのだと思う」と述べている。まだやれるという自信がようやく出てきたようだ。きっとこれを聴いた当時の自分たちは大いに安心したことだろう。

S井君、O江君、そして自分の三人、会えばいつも涙を流すほどに笑っていた。よく遊び、よく話し、よく笑った。この二人がいれば他に友は要らないと思った時もある。さて3人のそれからだが、S井君はその3月に再挑戦して今度は見事に合格を果たす。そしていくつかの大学を経て京都に戻り、今も現役の教授として働いている。O江君は大学院を修了後、改めて大手鉄鋼会社に就職し海外にも派遣されるなど活躍した。今は一級建築士として個人事務所を開いている。そしてごいさんは……もちろん皆さんご存知の通り。

40年前から届いた声の手紙。そこで40年前の自分が生き生きと喋っている。今を生きているようで何とも不思議な感覚だ。その彼に比べて、今の自分が少しばかりみすぼらしく思えてきた。頑張んなきゃ。今を生きているのは今の自分なのだから……って思った。

 

犬山にいるS井君に向かってO江君と一緒にエールを送っているところ?(山中湖にて)f:id:goisan:20170918125957j:plain