2017 相模原駅伝競争大会

昨日、今の学校の先生たちとチームを組んで相模原駅伝競争大会に参加してきた。5人で1チームとなり、会場となっている競技場の外を大きく一周して襷をつなぐというものだ。一周は3キロのコースだが、第1区だけは競技場内を余分に走るため3.3キロとなっている。わずかだけの違いだが、それでも1区には強者が揃うようだ。うちの学校からはA、Bの2チーム、計10人の先生が参加した。昨年の記事にも書いているが、こんな寒い中をしかもただ走るためだけに10人も参加するなんてそうそうできるもんじゃない。だいたいみんなランナーじゃないしね。こういう職場の雰囲気ってとても大事だと思う。

自分以外は、今年採用された先生も入れてほとんどが20代か30代の前半だ。そんな中にこんな年寄りを混ぜてくれるなんて何ともありがたい。自分は若い人たちと話すのが大好きだ。年寄りをヨイショしてくれて心地良いというのもあるが、何より活気があるのがいい。そういうのは見ているだけで楽しいし、若い人たちの会話はただ聞いているだけで十分に面白い。時々気を遣ってごいさんに話を合わせてくれるのも嬉しいことだ。

さてこの駅伝競走大会、優勝チームは5区間15.3キロを走って48分台ということだからけっこうレベルは高い。上位チームの選手たちの格好はビシッと決まっていて見るからに速そうだ。それからすれば、我々のチームは参加することに……なんていう感じなのだが、もちろん走る以上は少しでも上位に行きたいとみんな思っている。走る前になんだかんだと言ってはいるが、走り出すとみんな本気モードだ。

ごいさんはBチームのアンカーとして第5区を任された。みんなが実力以上に評価してくれるから緊張感が半端じゃない。それでもやっぱり自分も去年のタイムを上回りたいと思う。マラソンだって自己記録を更新してきて昨年よりずっと自信を持てている。今日は実家からここまでジョギングで来て、アップも十分だ。

4区を走った先生から襷を受け取る。前のランナーが見えていることもあってまずは追いつこうとかなりのスピードで走り出す。追いついたところでしばらく並走。その方は格好も走り方も様になっていていかにもランナーという感じだ。でも年は同じくらい。ならばとごいさんの闘争心に火がついた。残り1キロとなって息が上がってきたけど、フルマラソンの力を発揮するのはこの時とばかりに懸命に腕を振る。

競技場に入ると、若い先生たちの応援の声が届く。ここで抜かれちゃかっこ悪い。懸命のラストスパートで何とか逃げ切ってゴールイン。順位は82チーム中40位。自分のタイムは12分50秒(4:08、4:24、4:18)。チーム10人で3番目の記録ということで一応面目躍如だ。正直嬉しいけどここで偉そうにしちゃ若い人たちに嫌われちゃう。褒めてくれる言葉は素直に受け取るけどね。

今日一緒に走った先生の半分は今までに話したことのほとんどない先生だ。でもこれを機に明日から気楽に話せるようになる、そう思えるのが今日の何よりの収穫。

いろんな人と話をしたい。それがごいさんの永遠の欲求だから。

 

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今年の初授業

冬休みが終わり、今週の火曜日から学校が始まった。今勤務している学校は2学期制なので、始業式はなくその日から平常の授業が始まる。この寒い時に体育館に集まってというのも今思うと体を悪くするようなものだが、長いこと3学期制に慣れていた自分にとっては、何だかけじめみたいなものがなくなってしまったようで物足りない気分なのだ。四季のある日本には、夏休み前と冬休み前とに区切りを入れ、3月に学年末を迎えるといった3学期制が似合っているように思えるのだが。

まあそれはともかく生徒たちが久々に学校に戻ってきた。ごいさんは先週の4日も6日も出勤日だったので学校に行ったが、生徒はもちろん先生もほとんどが休みを取っていたので実に静かな学校だった。それはそれで好きなのだが、やはり生徒の元気な声が聞こえないと学校じゃないね。ということで、昨日今年の初授業を行ってきた。

夏休みや冬休みなどの長期の休みやゴールデンウィークとかでしばらく授業がなかったりすると、その休み明けの最初の授業はいつもながらに上手くいかない。それが分かっているから入念に予習をするのだがそれでも上手くいかない。授業を盛り上げようなんて思って張り切り過ぎて空回りしてしまうみたいだ。今日もそんな感じ。

ごいさんの教室に入っての第一声は、「おはようございます。出席を取ります。」だ。ごいさんは必ず一人ひとりの名前を呼ぶことにしている。授業が始まってしまうとなかなか全員と顔を合わせるのは難しい。授業中に1度も顔を見ないんじゃちょっと淋しい。一期一会じゃないけれど、こうすれば必ず顔を見ることができるのだ。語らずとも「よう、元気か。頑張れよ。」「あー、分かってるよ。」ぐらいのアイコンタクトができる。それだけでその子の今日の様子が何となく分かる。今日はやけに不機嫌だとか、何か嬉しいことがあったのかとかね。それでその後の会話もだいぶ違ってくる。生徒は生きている。無機質的に教えるだけというのはどうにも好きにはなれない。

そういうのもあってごいさんはがんがんプリントをやらせたりするのも好きではない。そうやって訓練することが効果的な場合もあるが、最終的には自分からやろうとしない限り力が伸びることはないと思うからだ。ごいさんの授業は脱線することも多い。数学に限らないが、生徒に授業に興味を持たせるには、まずは先生に関心を向けさせることだと考える。次は何を話してくれるか、そんな思いを生徒が持ってくれたらしめたもの。次の数学の時間が楽しみになり、好きになるまでには至らなくても嫌いになることは絶対にない。そうやって数学への取っ掛かりを作ってあげるのもごいさんの楽しみなのだ。

さてさてそんなごいさんも4月からは完全リタイアをと考えている。講師の口もないわけではないが、母親もまだ元気なうちに、自分のやりたいことに専念してみたいのだ。ということで、教員生活も残り3ヶ月となる。マラソンと同じ、最後までしっかりと楽しんでフィニッシュしたいね。

 

ただ今、勉強中。f:id:goisan:20170112102916j:plain

 

第18回ハイテクマラソン

昨日、荒川の河川敷で行われたハイテクマラソンに参加してきた。この大会を入れることで、お正月の暴飲暴食を予防しようなんていうのがある。しかし、本来は下旬にある館山若潮マラソンの調整という位置づけだ。いや仲間内の新年会というのもあるかしら。

この大会のスタートは3つのウェーブスタートをさらに上流組と下流組とに分けるという独特なもので、今年のごいさんは第2ウェーブで上流コースを走る。先に上流に向かい帰りは下ってくるというのが気に入っている。9時にいつものラン仲間のS田さんとA美さんと赤羽駅で待ち合せて会場に向かう。スタート1時間前なので早速に着替えるのだが、今回はここからが大変だった。トイレに並ぶのはいつものことと覚悟していたのだが荷物を預けるのに10分以上もかかった。結局、アップもストレッチもできないままに列に並ぶことになった。

さて今日は奈良でお会いしたブログ友達のびあーさんが第3ウェーブの上流組で走るという。しかも目指すは90分切り。ごいさんより15分遅れてのスタートだから、ゴールするのはほぼ同時ぐらいということになる。ごいさんを抜けば間違いなく90分切り達成だ。これは面白くなりそうだなんて思ったら、妙にワクワクしてきた。

10時15分、号砲が鳴る。冷えた体に不安はあるがそんな悠長なことも言っていられない。最初からスピードを出していくことに決めた。最初の1キロは4分47秒。次の1キロが4分39秒。去年は4分50秒前後を恐る恐る走ったのだが、今年のごいさんはちょっと違う。5キロを過ぎればいつものように楽になるのを信じて、ひたすら前に進むことだけを意識する。10キロを46分37秒で通過。

折り返して土手から河川敷に下る坂道で「ごいさ~ん」って大きな声をかけられる。びあーさんだ。颯爽と走る姿がかっこいい。思わずこちらも「びあーさ~ん」なんて叫んでいた。少し足取りが重くなっていた時だけに大きな励みになった。そこからは、後ろから近づいて来るびあーさんを思い浮かべて、抜かれるのを少しでも先に延ばすことだけを考えて走った。

20キロ地点を1時間32分21秒で通過。ラスト1キロは執念の猛ダッシュ。こんな姿は誰にも見せられない。そしてゴール。タイムは1時間37分29秒で、今までの記録を1分19秒短縮しての自己記録更新となった。

時計を見たら、11時55分。びあーさんがゴールしてくる頃だと見ていたらすぐに彼の姿が視界に入ってきた。ナイスラン。まだ余裕がありそうな顔をしている。今日も会話は少しだったけど、彼の90分切りも見られたし、何よりこうやって会えるのが楽しいね。

ごいさんの仲間もみんな無事に走り終えていつもの中華屋さんに向かう。このお店のマスターがとても優しい。1年に1回しか来ないのによく覚えていてくれる。コース料理は4人からなのだが、3人でもいいよって言ってくれた。飲み放題をつけても3,000円。たくさん食べてたくさん飲んで大満足でした。

最後になりましたが、たくさんの応援してくれた皆さんやボランティアの皆さん、それに役員の皆さん、寒い中を本当にありがとうございました。皆さま、どうぞ体調を崩されませんように。

 

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母の手料理を食べながら

お正月2日は母のところへ挨拶に出かけた。毎年の恒例の行事だ。もう何もできないと言いながら、煮物を作ったり小豆を煮たり唐揚げやきんぴら、ポテトサラダを作ったりとたくさんの料理が並ぶ。それらをつまみにして妹の旦那さんと酒を酌み交わす。テレビ画面は箱根駅伝の山登りの場面だ。今年は2区の一色選手が出遅れた感じだったが3区でトップに立った青山学院がそのまま逃げ切って往路優勝を果たす。2位の早稲田が最後にかなりの追い上げを見せ復路への期待を持たせて一日目が終わった。最終的には青山学院の圧勝に終わるのだけど。

こうして母の手料理を食べ、酒を呑みながら箱根駅伝を見る。もう30年以上も続いてきた行事だから、誰もがそれが当たり前のように思っている。その母も2月の誕生日が来ると87歳になる。こんなふうに料理を作れるのもそう長くないのかな。妹の旦那さんと2人で呑んでいる様子を見ながら母はいつも喜んでいる風だ。自分の作った料理を美味しそうに食べているのを見るのは嬉しいに違いない。そんな母の顔を見るのが好きだ。この時間がこのまま止まってもいいと思う。仏壇の横に飾ってある写真の中の父も笑っているように見える。

母親は盛んにお替りはどうだと言う。そんなに食えないのだけど、お替りをすると喜んでくれるから、ついついその要求に負けてしまう。結果としてお腹がはちきれるくらいになってしまう。昔の親は概してみんなそうだった。とにかく食べろ食べろとうるさい。小さい頃は家族でコッペパン一個なんていう日もあった。それと今日もコロッケ明日もコロッケという時代かな。母親の昔からすれば、今のこんな豊かな生活なんて考えられなかっただろうと思う。

けっこう食べたけどやっぱりかなりの量が余った。いつも作り過ぎなんだよと思うのだけどそれも母の計算のうちなのかな。今度はタッパーに詰めるから持って帰れと言う。もちろん断る理由もない。それでまた母は嬉しそうな顔をする。そんな母の顔を見ていると幸せのありがたさをつくづく感じる。こうしてごいさんの1年が始まるのだ。今年もみんな元気に、何より母が元気に過ごしてくれることを祈るのだ。

今日は母のことをあれこれ書こうと思ったのは確かだけど、なんだかごちゃごちゃしてしまった。母の笑顔を見て幸せな1年の始まりを思う一方で、毎年お正月が来て母の手料理を食べるたびに、母との別れが近づいているようにも感じる。むしろお正月が過ぎてふだんの生活に戻るとそんな感情は湧かないのだけどね。ともあれ今年もみんなで元気に過ごしたい、そう願うことだった。

 

浅草・仲見世通り。下の写真は浅草文化観光センター8階から撮影。f:id:goisan:20170105112341j:plain

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お正月に考えたこと

1月1日、元旦の朝。かなたの地平線は灰色のどんよりした雲で覆われていたが、やがてそれを押しのけるようにして煌々と輝く太陽が力強く昇ってきた。初日の出の登場。そして新しい年が始まった。みんな今年も元気に過ごせますように!

昨年から元旦は、ランニングの練習を兼ねて父の墓参りに行くことにしている。若干回り道をして往復33キロ。風もなく適度に暖かく、走るにはちょうど良い天気だ。いつものように帰り道は調子が出てついついスピードアップ。さて今年のランはどんな感じでいこうかな。去年の大阪マラソンつくばマラソンで大きな目標だったサブ3.5を達成して、次なる目標をと考えても適当なのがなかなか思い浮かばない。若い人のように次はサブ3なんてことにはならないし。

ということで、今年もこのマラソンが生活の中心になりそうだ。走る以上は少しでも自己記録を伸ばしたい。そのために今年は筋力トレーニングなんかもやってみようと思っている。年が年だから、どの程度効果があるかは怪しいけどね。ともあれマラソンのついでに観光するというのが大いに楽しみ。今年もあちこちと出かけていきたい。お金ばっかり使ってなんて怒られそうなんだけど。

退職する数年前に80歳までの20年ほどの第2の人生をどう生きていくかを考えて、今までにやり残したことは何だろうと考えてみた。それが語学だった。英会話を身につけて世界のあちこちに友だちを作ったり、観光ボランティアで外国から来る人たちに日本のいろんなことを伝えたりしたい。そう思った。大学受験の浪人時代に半年近く毎日英語を8時間ほど勉強してようやく語学の面白さが分かったような気がした。大学では必修のドイツ語の他にロシア語、フランス語もやってみた。でもその時は語学より物理への思いの方が強かったから、結局ものにならないまま卒業し、その後も使うことはなかった。

今までの人生に何の不満もないのだけど、もしももう一度やり直すことができたらその時は語学を生かした仕事をしてみたい。きっとそれがやりたかったことだ。それで残りの人生のプランを作ってみた。初めの5年間で基本的なところをおさらいして、次の5年では実際に海外に行って生きた会話を学びながら友だちも作りたい。70歳からは観光ボランティアを楽しみながら余生を送る。

そしてその計画の最初の5年間が今年で終わるのだ。さぼりたがり屋のごいさんの悪い癖で、予定はだいぶ遅れ気味。働いているから許されるというのでもない。先に延ばす余裕はないのだから。この1年は、今まで以上にしっかり取り組まなければいけないと覚悟を決める。仕事も完全にリタイアする予定。背水の陣を敷くって言うほどではないけどね。

マラソンで体力を維持し、英語の勉強に励む。これが今年の生活パターンになる。できたら月に1~2冊ぐらい本も読みたい。映画も月に1度ぐらいは観に行きたい。多少の教養は必要だもんね。

最後になりましたが、読者の皆さん、明けましておめでとうございます。いつも読んでいただきそして応援していただきありがとうございます。今年もどうぞよろしくお願いいたします。

 

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教え子の同窓会

今日は大晦日。本来なら今年の振り返りをというところなのだが、それは新年の抱負と共に年が明けてから書くことに。今日は教え子の同窓会に行ってきたお話を少しだけ。

一昨日の29日に、退職前の最後に受け持ったクラスの子たちの同窓会があった。卒業して今度の春が来て5年になる。11月中旬にM保さんという女の子から「12月の終わりにクラスの同窓会を開きたいのだけど、先生にも参加してもらえないか」という旨のメールが届いた。多分先生は参加してくれないだろうというあきらめの気持ちが読み取れるような感じで書いてあった。

クラスの子たちには、常々、グループごとの集まりはいいけど全体の同窓会には出席しないと言ってきたのだ。自分の小学校のクラス会のことはこのブログにも何回か書いているが、自分の仲の良かった子がほとんど参加していない。定かではないが、担任の先生に不満を持っていたりあるいはクラス内でのわだかまりであったりというのがその理由のようだ。

ごいさんはクラスの子をできるだけ平等に扱ってきたし、仲間同士が助け合うことも強調してきた。でも1クラスに30人もいれば抜け落ちることもたくさんある。行ってみたらそれが理由で何人も来ていない状況を見るのはあまりにも悲しい。いろんな事情があるのだと割り切れるほどにごいさんは強くないのだ。それにそういう場での先生の立ち位置も意外と難しい。いつまでも先生づらして目立ってもいけない。自分たち同士の方が気楽になれるというのもあるだろう。

とまあ、そんなこんなで出欠席の返事は直前まで保留にしておいた。可笑しいかもしれないけどずいぶんと悩んだのだ。で、結局は出席することにした。卒業して5年。どんな感じで社会人をやっているかを確かめるのも元担任としての義務だろうと考えたからだ。それと、出席することで、今も彼らを見ている自分の思いが伝わるような気がしたのだ。

会場に着くとそこにいたのはクラス29人のうちの17人だった。残りの子たちは仕事があったり地方にいたりとそれなりに理由があるようで少しばかり心が和らぐ。席に着くと早速にみんなが入れ代わり立ち代わり話しかけてくる。卒業して5年じゃほとんど高校生のまんまだ。でもしっかり敬語を使ってくるところはさすがに社会人らしい。高校生の時よりは一段と頼もしくなった感じがした。

彼らの人生はまだ始まったばかり。これからさまざまな困難に出合うだろう。成功する人、挫折する人、はたまた両方味わう人。そのどんな時でもこのクラス会が開かれたら参加してほしいと思う。成功した人には気持ちの引き締めを、挫折して悩んでいる人には勇気を与えてくれるに違いない。そんなクラスをごいさんは作ってきた、そう思いたいのだ。これからこの会が永く続いて、みんなの心の拠りどころになることを願っている。

仕事が終わって2次会から参加した子も何人かいたという。みんな楽しそうな顔をありがとうね。このクラスならいつか全員揃うかも。幹事のM保さん、O嶋くん、声をかけてくれてありがとう。素敵な同窓会でした。

 

中央のビルとビルの間に富士山の頭、見えますか。ラン納め。大桟橋から撮影。f:id:goisan:20161229133419j:plain

 

「ほろ酔いコンサート」

日曜日の夜に親友の健さんからメールが入った。「27日の夕方、空いてる?」この日は毎年恒例のアメ横での買い物に出かける日だったので「6時ぐらいなら大丈夫。」と返した。そうしたら今度は「有楽町で4時頃はどう?」とメールが来た。時間的には間に合いそうなので「何とかなるかも。」と返信したところで詳細が送られてきた。この日は奥さんと二人で加藤登紀子の「ほろ酔いコンサート」に行く予定だったのだが、奥さんの都合が急に悪くなったのだという。そこでその代役としてごいさんを選んでくれたというわけだった。

予想した通り、会場はおじいちゃん、おばあちゃんで溢れている。全体的には我々よりもいくぶん年上の人たちのように見える。「赤い風船」「ひとり寝の子守唄」「知床旅情」「百万本のバラ」と彼女の曲をずいぶんと口ずさんだものだが、おときさんのファンはいわゆる団塊の世代ぐらいの人たちが多いのかな。

4時15分に入場するとロビーでは大関の一斗樽の振る舞い酒が配られていた。まずは遠慮がちに。恐る恐ると2杯目。少し慣れたか3杯目。図々しくも4杯目。思わず「酒は大関 心意気」のCMを思い出す。あの頃はまだ高校生で、日本酒を飲み始めるのはまだまだ先のお話。でも、あのコマーシャル、何といっても田宮二郎が良かったね。

5時ちょうどにおときさんが登場。とにかくパワフルだ。今日が誕生日で73歳になったとは思えない。語りかけも上手くてどんどん惹きつけられていく。リピーターもたくさんいて会場は大いに盛り上がっている。1部の最後にはゲストの手嶌葵さんも登場。彼女のやわらかく透き通った歌声を聴けたのも感激だ。

1時間半を超えて1部が終了。さて2部は彼女が敬愛しているエディット・ピアフの曲がメイン。「パダム・パダム」「ばら色の人生」そして「愛の讃歌」と歌い上げる。アンコールの最後には森繁久彌の息子さんも一緒にみんなで「知床旅情」の大合唱。そして最後の最後に「ハッピーバースディ」をみんなで歌っておときさんの誕生日を祝う。5時から始まって3時間余り。彼女のバイタリティにはほとほと感服した。

それとおときさんの話の中で胸に響くものがあった。それは、「ハッピーバースディ」というのは自分が言ってもらうのではなくてお母さんやお父さんに対して言ってあげるべき言葉なんじゃないかってこと。親がいなかったら自分は生まれていなかった。こうして立派に1年間を生きられて、一番喜んでいるのはきっとお母さんとお父さんだろうしね。そしてまた多くの人の支えがなかったらこの1年を無事には生きてこられなかった。

これって確かにそうだと思った。年を取って誕生日が来るのも何だかなあなんて思ったりしてたけど、その日は自分が喜ぶだけではなく自分を生かしてくれた周りに感謝する日だと考えれば合点が行く。だから誕生日には今までとは違って、お父さんやお母さん、家族や友人たち、周囲の人に向かって自分から「ハッピー・マイ・バースディ。そしてありがとう。」って言ってもいいんじゃないかな……って、思ったよ。

 

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