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僕のいた町、父といた町

先週の週末、茨城県の日立に行ってきた。日立さくらロードレースに参加するためだが、自分のいた町をゆっくり歩いてみたいという気持ちも強かったのだと思う。ごいさんは小学校6年の夏まで常陸多賀という町に住んでいた。現在はだいぶさびれている感じだが、その頃は日立製作所の社員たちで溢れ、飲み屋やパチンコ店、大型のスーパーや映画館もあって活気に満ちた町だった。

ここに来るといの一番に住んでいた場所を見に行く。更地になって何もないのだけど。近くの鹿嶋神社では友だちと鬼ごっこをしたりチャンバラをしたりとよく遊んだものだ。それにここからは多賀駅での車両の連結作業が見える。飽きもせずよく見ていたのを思い出す。当時はまだ蒸気機関車が走っていた。狭い路地は相変わらず。昔からある家もいくつか残っているけど、たいがい空き家になっているみたいだ。

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日立製作所の社員というだけでだいぶもてはやされた時代だった。そこで働くことに憧れていたかもしれない。日立に住む伯父さんは日立電線という会社に勤めていて、若くして一軒家を建てるほどに羽振りが良かった。そんな中で大工をしていた父はどんな思いだったのか。今さらながらだけどそんなことを考えてみる。父が伯父さんをあまり好きではなかったのはそんなところにもあるのだろうか。

ごいさんが生まれてすぐにここに移ってきたというから、父もこの町にはごいさんと同じだけ住んでいたことになる。大工としてはいい腕を持っていたのに、雨が降っては仕事を休みパチンコ店に通う。お金が入ればパッと使ってしまう。お酒も浴びるほどに飲み、時には仲間と大喧嘩することもあった。嫌なことばかりを思い出す。

住んでいたところから海に向かって10分ほど歩くと河原子海岸に出る。目の前には太平洋が広がる。父は夏が近づくと海の家を建てる仕事をしていた。その姿を見ていた記憶がある。父の仕事が終わるのを待っている間、砂浜に寝っ転がってずっと水平線の彼方を見ていた。そんな光景をはっきりと思い出すのだが、その時どうして父と一緒だったのか。それが思い出せない。

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次に、家族で何回か行ったことのある神峰公園に行ってみた。遊園地があり動物園もある。小さい自分の欲求を十分に満たしてくれる場所だった。展望台まで上がり町を見おろす。きっと昔もこの景色を眺めていた。ここではしゃいでいた自分や妹を見て父は何を考えていたのだろう。父の撮った写真が何枚か残っているのだが、そこに写っているごいさんはいつも苦虫をかみつぶしたような顔をしている。

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生きている間はあれほど嫌っていたのに、特に最近になって父のことが気になり出した。ごいさんとは何も話さないままに49歳で亡くなってしまったから、父の気持ちは想像するしかない。この町に散らばっている思い出をかき集めたらもう少し父の本当の気持ちに迫れるのだろうか。生きていれば、来週の21日で父は87歳になる。

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