日立の伯母さん

昨日はお墓の引っ越しをしに日立まで行ってきた。祖父母と父の兄にあたる伯父さんの3人の遺骨を伯母さんの方のお墓に移すことになったのだ。

伯母さんは今年で90歳になる。父の姉にあたる。ご主人の伯父さんは3年前の暮れに亡くなって、今は大きな家に一人で住んでいる。耳はだいぶ遠いが家のことは一人でこなすなどまだまだ元気だ。それでもだいぶ足腰は弱くなったみたいで、家の外にはめったに出ない。ふだんは一日のほとんどを編み物をして過ごしているという。孫、ひ孫へのリクエストが寄せられ、毎日せっせとそれを編んでいて、それがボケ防止にもなっているようだ。

若い時は、バスの車掌さんをやっていた。すらっと背が高く美人だったと記憶している。その後は華道の先生としてずっとお花を教えていた。教室として使っていた部屋に入ると、賞状がずらりと飾ってある。海外旅行では10か国以上の国を訪れ、88歳まで自ら車を運転してあちこちに出かけていた。実に活動的な女性なのである。

もともと3人兄弟だったのだが、2人の弟(1人は父である)がともに40代の若さで亡くなり1人になってしまった。若い時に兄弟を失って、ずいぶんと心細く思ったのではないだろうか。それでもその時は祖父が生きていたから気が紛れていたかもしれない。その祖父も昭和の終わりとともにこの世を去った。

祖父が亡くなるとごいさんも日立に行く理由はなくなって自然と足が遠のいた。伯母さんはそのことも悲しんでいたかもしれない。小さい頃は、伯母さん夫婦と彼らの2人の子供(いとこ)たちとは話すことがほとんどなかった。生活のレベルが全然違っていて、小さいながらに違う世界の人たちだと思っていた。両親も同じようなことで仲はあまり良くなかった。父がいい加減だったから、祖父母も伯母さんの方を頼りにしていたようだった。

気が向いて本当に何年振りかに行くと、あれやこれやとご馳走を振る舞ってくれる。小さい頃は縁遠かった伯母さんが、とても身近に感じた。そして、帰り際にこれが今生の別れかのように泣いた。伯母さんは、ごいさんに亡き父をダブらせていたのかもしれない。いつもはシャキッとしていて強そうな伯母さんが、その時はずいぶんと弱そうに思えた。

別れ際に泣いていた伯母さんのことを考えるとそれが辛くてまた足が遠のいた。会いに行かなきゃと思いながらもなかなか行けない。そうやって本当にたまにしか行かない。「また近いうちに来るね。」と言って別れる。その時は本当にそう思っているのだけど。

父方の親戚はもうこの伯母さんしかいない。伯母さんには父の面影がある。だから、まだまだ会いに行きたい。きっと父さんならこの伯母さんを大事にしているはずだ。今は自分がその代わりをしなきゃと思う。今回も別れ際はやはり寂しかった。たくさんのお土産を持たせてくれたけど、伯母さんは玄関から先には出てこなかった。

次は夏に来ることを約束した。この約束は絶対に守るからとも。

 

墓地からの眺め。遠くに太平洋が見える。f:id:goisan:20140830145105j:plain