生きることが仕事だよ

昨日は母の87歳の誕生日だった。もうお馴染みになった丸いケーキと京都みやげの漬物を持って仕事帰りに寄ってみる。そしていつものように蝋燭に火をつけて吹き消してもらう。今年も無事に誕生日を迎えられたことにただ感謝だ。このブログでも毎年書いているからこれといって書くこともないのだけど、とりあえず最近の母を見ていて考えてみたことを記録しておこうと思う。

それは、生きていることそのものが今の母の仕事なのではないかということだ。何もしなくてもいい。生きているだけでみんなに元気を与えている。母がいるから自分も健康でいなきゃいけないと思う。母のような年寄りが一人で住んでいるというだけでも多くの人を勇気づけている。世の中にまだまだ十分に貢献できているのだと思ったのだ。

自分が小学校の1年生か2年生の時に、死ぬことがとても怖くて、死んだらどうなるかなんてことを母にしつこく聞いたことがある。多分、曾祖母が亡くなって初めて人の死を見てショックを受けた時のことだったと思う。「死んでしまったら何も分からなくなるだけ。痛くも何ともないよ。」そんなことを何度も聞いたけどよく分らなかった。だからその時は、死ぬなら母よりも先がいいと思ったことをはっきり覚えている。母が傍にいてくれたらきっと死ぬのも怖くない。痛くない、安心して死ねる。そんなふうに考えたからに違いない。

それからもう50年以上の歳月が流れた。その間に、父、祖父母、おじ、おばと何人もが亡くなって、死というものがだいぶ身近に感じられるようになったけど、それでも相変わらず死ぬのは怖いと思う。でも今は母より先に死にたいとは思わなくなった。自分にも子供がいて思うのだが、子供に先立たれるほどの悲しみはないだろう。その後の人生をどうやって生きていくか、考えることすらできない。よくニュースで若い人が殺されるという事件を耳にするが、本当に親の悲しみはいかばかりか。逆縁というのはあまりにも悲し過ぎる。

ごいさんは、機会あるごとに「母さんは元気に生きることが仕事なんだ。母さんの子どもで幸せだよ。」と言うことにしている。普通に会話しているとついむきになってしまう。言い過ぎたと思うこともしばしばだ。何を言っても母なら許してくれる。そんな甘えがあるからね。だから言える時には何度でもきちんと言っておくことは大事だと思う。そんなのは分かっているはずとは思うけど、口に出した方がきっと嬉しいはず。今のうちから何度も言っておけば、悔いを残すこともないと思っている。最初は恥ずかしかったけど、最近では当たり前のようになっている。

だから昨日も言ってきた。「母さんは生きるのが仕事。それで自分や妹を十分に幸せにしてくれている。ハッピーバースデー、母さん。」……ってね。

 

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そうだ 京都、行くよ。

いよいよ明日は京都マラソンを走る。京都は大好きな街の一つだ。札幌、仙台、金沢、京都と大学受験の時はそこに住んでみたいという憧れだけで受験校を考えていた。結局どれもお金(学力の問題とはあえて言わない)の工面がつかなくて、諦めたわけだけど。

何年かして高校の親友が京都の大学院に通うことになった。百万遍あたりに下宿することになって、これ幸いとばかりに毎年夏休みを利用して1週間ぐらい訪れるのが数年続いた。朝、友人と下宿を出て大学に向かう。学食で一緒に食事をした後は、彼は研究室へ向かい、ごいさんは観光にと街に繰り出す。もっともお寺を見て回ったのは最初の頃だけで、後は街中をぶらりと歩き回るだけだった。それに何より楽しみだったのは新京極にあった「京都花月」だった。あの頃は「のりおよしお」や「オール阪神巨人」など漫才ブームでお客さんもけっこう入っていて賑わっていた。そこでたいがい半日を過ごしていた。親友は大学で一生懸命に研究しているというのにただ遊びほうけているごいさんだった。

夕方、親友と四条の橋の辺りで待ち合せて、夕食となる。時にはビアガーデンに行く時もあった。あの頃はちょっとリッチな気分でホテルフジタあたりにも行ったかしら。夕方の風に吹かれながら鴨川を歩くのが好きだった。カップルがたくさんいて、自分も京都に住んでいたらこんな感じになれたかなあなんて思ったりもした。下宿に戻って、今度は近くの銭湯に出かける。これも楽しみなことだった。京都には実にたくさんの銭湯がある。大学がたくさんあって下宿している学生さんが多いからだろうか。友人の話だと条例か何かで家にお風呂を勝手には作れないのだという。だから昔からの家にはお風呂のない家が多いのだと聞いた。本当かどうかは分からないが、さすがに今はそんなこともないのだろうね。寝る前にもまたひとしきり友と語る。いくら喋っても飽きることはない。友も自分もまだ未来の入口に立ったばかり。そんな時だったからいくらでも話すことがあった。

やがて友だちも働くようになり京都を離れたこともあって、それからは縁遠くなってしまった。だからごいさんが思い浮かべる京都は、いつもその頃のそのまんまの夏の日の京都の光景なのだ。

さて明日はわざわざカメキチさんご夫妻が応援に来てくれるという。そのための下見までしたというから本当にありがたい。カメキチさんご夫妻とハイタッチするまでは元気でいないとね。今のごいさん、まるで子供のようにうきうきしている。それとスタート地点ではマルさんと再会を約束している。奈良でご対面したばかりなのにもうずっと友だちのような気分でいる。相変わらず図々しいごいさんだ。マルさんの笑顔は本当に優しいんだ。きっとリラックスした気分にしてくれるに違いない。

さあ、まもなく出発。最後まで笑顔で走り切ります。応援よろしくお願いします。

 

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高校入試とボランティア研修会

昨日から神奈川県の公立高校の入試が始まった。昨日が学力試験で、今日と明日は面接試験が行われる。この入試の業務はこの日の学力試験から始まり、今日明日の面接試験、それに来週の月、火の採点作業と丸々一週間かけて行われる。少しのミスも許されないから、採点も点検も何度も繰り返す。今年から一部にマークシートが導入されたが、全体としてあまり楽になったという感じではなさそうだ。受験生のことを考えればしっかりやることは当然なのだが、集中力の維持と緊張の連続でこの作業が終わる頃には精神的にも体力的にもくたくたになってしまう。今年も無事に終わることを祈りたい。

そしていつもながらに、自分の高校受験の頃が思い出される。50年ほど前のその日の朝は、前日に雪が降って校門から校舎へと続く坂道が凍っていた。友だちとふざけながら歩いていたごいさん、突然足を滑らせて思いっきりお尻を強打。カバンの中のものもみんな勢いよく飛び出した。一瞬「滑った。」と思ったけど、痛いお尻を手で押さえながら急いで飛び散ったものを拾い集める。それを見ていたみんなが大笑い。緊張感までどこかに飛んで行ったみたい。その頃からのごいさんらしいドジさ加減です。

ごいさんが中学生の頃は厚木飛行場に近い所に住んでいたのだが、ここにはまだ学習塾というものは存在しなかった。だからみんな勉強は学校でやるぐらいで、あとはたいがい遊んでばかりだ。実際、ごいさんも中学3年生になって、友だちに誘われて1年間新聞配達をやった。朝の4時に起き、自転車で2時間ほど配って帰ってくる。ご飯を食べて学校に行く。放課後は仲間とサッカーをやったりして遊ぶ。そして夕食を食べて9時には就寝。今思えばいつ勉強していたのだろう。妹は「あんちゃんは勉強が好きだから」といつも言っているから、勉強しているのを見ていたのだと思うのだが、自分の記憶にはまるで残っていない。そんなことを考えると、今の子たちが塾に通って必死に勉強しているのを見ると、今に生まれなくて良かったとつくづく思うのだ。今なら絶対に受からない自信がある。

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夜になって、横浜マラソンボランティアのスキルアップ研修会に参加してきた。集まったのは400名ほどだろうか。募集が500名だったから若干少ないものの平日の夜7時にこれだけ集まれば良い方でしょう。昨年の10月にボランティアをやって以来で、少しばかり刺激をもらいたいと思って出かけてきた。

内容は「目の前で人が倒れたら何をするか」というのをテーマにした講演会。それほど目新しいものではないので特に何かを得たというのではないが、やはりこれだけの人が来ているというその活気に元気をもらえたように思う。こういうたくさんの人たちが無償の奉仕で支えてくれて大会は運営されている。本当にありがたいことなのだ。そう再確認できただけでも参加した価値は十分にあったと思う。

さあ週末は京都マラソンだ。たくさんのボランティアや応援の方たちに感謝しながら、最高の笑顔で走り切りたい。

 

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ごいさん、風邪でダウン

今日はいわきサンシャインマラソンを走る予定でいた。木曜日には意気揚々とその準備をしていたのだが、夕方あたりになって頭がじんわりと重たい感じになって少しばかり咳が出るようになってきた。風邪かと思ったが、熱もない。それでも大事を取って早めに寝ることにした。翌朝起きてみたら、咳は止まったものの喉に痛みを覚えるようになっていた。それでも熱の方は相変わらず平熱で、まだ風邪を引いたという感じはしない。

その日は午後からの授業。少しばかり不安になりながらも出勤する。授業の途中に窓の外を見ると、今にも積もりそうな勢いで雪が降り出していた。体調の方はというと熱もなさそうだし咳も出ない。ただ喉が痛いのと声のかすれが少しばかりひどくなっているようだ。何人もの生徒から、「先生、大丈夫?」なんて優しい声をかけられる。こういう時の生徒は本当にいつも優しい。

どうにか授業を終えて帰る段になるのだが、外の雪の降る勢いはますます強くなっている。この頃になってようやく寒気を感じるようになってきた。さすがにこうなっては明後日のマラソンは無理なんじゃないかと思うようになって、年のことも考えれば今回は自重すべきという判断に至ったのだ。弱気になった自分を否定するような考え方にも思えてしまうのだけどね。それに来週には京都マラソンも控えている。

家に帰って、早速にバス会社と宿の方にキャンセルの手続きを取る。ネットでバス会社のキャンセルを終えて、今度は宿の方に電話を入れるとここで驚くべき事実が明らかとなった。なんと向こうの予約者名にごいさんの名前がないとのこと。個人的な宿泊は承っていないと言う。そう言われましても、確認のメールまで受け取っているのだけど。でも今回はキャンセルを申し出るわけだからと思って大人しくしていたら、結局予約はなかったという扱いでキャンセル料はなしということになった。こちらとしてはありがたかったわけだけど、あのよろよろした状態で行って宿がないなんてことになったらどうなっていたのだろう。それを考えると、今回の風邪はなんとも幸運なことだった。たまには風邪を引くのも……いやいや、やっぱり健康が一番だよね。

金曜日、土曜日とぐっすり寝たおかげでどうやら回復に向かっている。まだ声だけ聞くと病人そのものだけど。さて、今日はとてもいい天気だ。暖かくなったら、ちょっとジョギングしてこようかな……なんてね。

愛媛のtoshiさん、順調に「無我夢中にサブ3」頑張っている。この調子で最後まで一気に行っちゃえ。 後は記録との戦いだ!

 

参加賞のシャツは事前に送られてきました。嬉しい。f:id:goisan:20170212105634j:plain

 

4年目に入る

2月に入ってバタバタッと早くも一週間が過ぎた。そうこうしているうちにこのブログも4年目に入った。最初の記事を書いたのは3年前の2月1日。本当は1月から始めようと考えていたのだが、なかなかその決心がつかなかった。何事にも飽き性のごいさんだから、どうせこれもまた中途で投げ出すだろうと思うとどうしても踏み出せなかったのだ。

それでも始められたのは呑み友であり親友のI坂さんの書いているブログの影響かな。彼は自分の生きた証しを書き残したいのだと言う。生きていたその日々の思いを肩肘張らずに淡々とそこに書き留める。いつか家族の誰かが読んでくれたらそれでいい。そんなことを聞いたら、ごいさんも自分の気持ちを素直に書いてみようなんていう気になったのだ。そうすれば本当の自分を見つめることができるかもしれない。そうやってようやく2月1日にごいさんのブログはスタートした。

最初の半年ぐらいは一日に10ほどのアクセスがあれば十分嬉しかった。多分宣伝した関係で、知り合いが読んでくれているだろうぐらいで十分だった。もともとそういう人たちに自分の本当のところを知ってもらいたくて始めたのだから。その間はスターが付くなんてことはもちろんなく関心もなかった。それが夏を過ぎていろんな方からスターを頂くようになると、不思議なものでそれまで無関心だったのがやっぱり嬉しく感じるのだ。一方で、こんなのを読んでも面白くないだろうにと申し訳なく思ったりもしていた。

今もしょっちゅう最初の頃に書いた記事を読み返している。その頃の気持ちを忘れたくないからだ。最初の頃は緊張感もあって上手くは書けていないけれど、もの凄く大事に書いていたと思う。だから今になっても最初の頃の記事にスターを付けてもらえるのって本当に嬉しい。自分も他のブログにお邪魔する時はその方の最初の頃の記事を読ませていただく。どんな文章であれそこにはその方の気持ちが一番よく現れていると思っているから。

さすがに3年も経つと初心を忘れがちだ。スターをたくさん付けてもらうといい記事を書いたような気になってしまう。記事を書いた後にスターがいっぱい付かないかなんて思ったりすることもある。だいぶ図々しくなった。その辺のところはしっかり戒めておかないといけないところだ。でもスターの存在は自分にとっては有難いことだと思うし励みになっている。自分でも満足できた記事にはいつもより多めにスターが付く。これも皆さんがちゃんと読んで正当に評価してくれているからだと思えるのだ。

このブログを書くことは生きがいの一つになっていることは間違いない。そうして、生きている証しであり、生きることへの活力にもなっている。それもみんな皆さんに読んでもらえればこそだと思っている。

ということで、マンネリ化した平凡なブログではありますが、また一年お付き合いくださいますようどうぞよろしくお願い申し上げます。

 

茅ケ崎・烏帽子岩。先日走ってきました。f:id:goisan:20170202130356j:plain

 

神奈川マラソン 2017

一昨日、神奈川マラソン大会に参加してきた。S田さん、A美さん、それにK島さんと4人で申し込んでいたのだが、S田さんとK島さんは体調不良ということで今回は走ることを回避し、応援のためだけにわざわざ来てくれた。

この大会は開会式を除けばこれと言ったお祭り的な要素がほとんどない。応援の人も少なめで、ボランティアの方たちが頑張って応援してくれている姿が特に印象的だ。平坦なコースでスピードが出るということで個人記録を狙って参加する人が多いように思う。先週の館山若潮マラソンでフルの自己ベストを出したごいさんもその一人かもしれない。少し欲が出て、今日のハーフは最初から思いっきり突っ込んでみようと考えていた。

この大会の見どころはなんと言っても青山学院を始めとした箱根駅伝クラスの学生選手がたくさん走るというところだ。中でも注目の青山学院は以前からこの大会に参加しているということもあって毎年ほぼ全員が参加している。こんなに大勢の選手を間近に見られるというのは何とも贅沢なことだ。コースでは2度ないし3度すれ違うことになるのだが、キロ3分の速さで走る姿は実に圧巻だ。開会式ではこれも恒例となった感のある原監督のインタビューが楽しい。非常に親しみやすく、カメラを向けるとポーズまで取ってくれる。選手が慕う気持ちが分かるよう。今日は奥さんが傍らにいて笑顔で見守っていた。

さて今回のごいさんは初めてBブロックでの出場となった。スタートロスもわずかに1分ほど。多少の混雑があるものの周りが速くてストレスは感じない。4キロ地点まで行って折り返す。一度スタート地点に戻ってきてさらに反対方向に進む。2.5キロ進んだところでUターンしてまたスタート地点に戻って来るとそこが13キロ地点になる。残り8キロだ。スタート地点ではK島さんとS田さんが応援してくれているから、ここは気持ちを引き締めてしっかり走らないといけない。

高架下の影響かGPSが若干狂っていて正確な数字が分からないが、それでもだいたいキロ4分半前後で走っている。この辺のレベルになると簡単には抜けないがそれでも落ちてくる人を拾いながら少しずつ順位を上げていく。残り2キロを切ってロングスパートをかけたのだが、後200mぐらいのところで息をゼイゼイさせながら懸命に走ってくるお爺ちゃんに気合いで負けてしまった。タイムは手持ちの時計で1時間34分4秒。60歳台の19位。1月のハイテクハーフマラソンで出した自己ベストを3分短縮。

レース中は雨がぱらついていたが、S田さんとK島さんは応援の合間に我々の荷物を雨に濡れないところに移動してくれるなど至れり尽くせりで本当にありがたかった。体調不良の中を申し訳ない。そんな彼らのためにも自己記録を出せたことが何よりだった。

次にみんなが揃うのは3月の三浦マラソン。この三浦マラソンは15年ほど前にごいさんが初めてマラソン大会なるものに参加した思い出深い大会だ。その初心にかえって、この日は飲むために走る。

 

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教え子のライブへ

昨年の11月に昔の教え子からメールが届いた。1月28日に横浜でワンマンライブをやるので見に来てくれませんかという内容だった。ところがこの日は館山のマラソン大会の前日でいつものようにラン仲間と出かけることになっていた。難しいけど行きがけに寄れたら顔を出すよとメールを返した。そうしたら残念だけどしょうがないということと、来られるようになったら連絡をくださいと書かれたメールが来てそれっきりになっていた。

ごいさんの方はというと、それからもずっとそのことが引っかかっていた。あれこれと悩んでようやくその日の数日前になって、その子のライブを見に行くことに決めたのだ。S田さんたちとは後から追いかけて前日の受付会場で会うことにした。

その子は高校2年生の時に担任をした子で、男の子以上に元気のある女の子だった。男勝りと書くと語弊があるかもしれないが、いつも自分で自分を持て余しているような子だった。そして2年生の終わりに学校を辞めることになる。どうしていいか分からなかった自分に学校を辞めるということでけりをつけたかったのかもしれない。彼女の最後の言葉は「先生、ありがとう。」だった。

彼女に限らずその時の学校には、社会では相手にしてもらえないような子がたくさん通って来ていた。ガングロの女の子や暴走族に入っている男の子、コミュニケーションの取れない子。そういう子に社会は厳しかった。でも学校に来ればなんだかんだと言いながらも先生は相手にしてくれる。先生に悪態をついては先生にかまってもらう。そうやって自分の存在を認めて欲しかったのだと思う。そうして時に行き過ぎて学校を去ることになるのだ。

彼女は17歳で学校を辞めた。その後音楽の学校に通って、今の道を歩き始めたという。もう15年が経つ。メールには丁寧な言葉遣いで頑張っている様子なども書かれてあった。そこに彼女の成長の跡が感じられて、やはりこの目で見てみたいという思いが勝ったわけだ。それでメールを送ったら、嬉しそうなメールがすぐに返ってきた。思わずこっちも嬉しくなる。

駅近の花屋さんで小さな花束を作ってもらう。可愛らしくて今の彼女にはぴったりだろうなんて勝手に想像する。「雨に歌えば」のオープニングで始まりダンスも披露。観客も一緒になってのなかなか楽しいステージで、1時間があっという間に過ぎる。ここで館山行きのバスの時間が近づいてきた。続きは次の機会にとっておこう。彼女の楽しそうな姿を見られただけでも今日の収穫だ。そしてその日の夜、彼女からお礼と「マラソン大会、頑張ってください」と書かれたメールが送られてきた。

途中で辞めたけど彼女にも高校時代は確かにあった。そしてその時の担任はごいさんで、それが今でも彼女の心の中では先生として存在している。そんなことを知ったら、なんだか嬉しくてならなかった。先生って本当に素晴らしい仕事だと改めて思う。

昨日、YouTubeにライブの模様がアップされたというメールが送られてきた。終盤の様子なのだが、それを観ながら彼女のこれからの活躍を祈っていた。

 

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