サッカー部の同期の集まり

昨日は高校の時のサッカー部の同期の集まりがあった。タイから一時帰国するM浦君を囲もうということだ。卒業した時のメンバーは14人。そのうちのM月君は、脳腫瘍で30代の若さで亡くなっている。この日、集まったのは10人。GKのM浦君。DF組では、S井君、N木君、O江君、S木君。FWのS石君、S川君、M永君、O方君。それにHB(MF)のごいさんだ。S井君は京都、O江君は博多から遠路はるばる出てきてくれた。

高校1年生の時のメキシコオリンピックで日本が銅メダルを獲得して、サッカーがようやく注目され始めるそんな時代だった。それでもJリーグの前身の日本リーグの観客は1,000人にも満たない。マネージャーを募集しても汚いのは嫌とあっさり断られた。その頃の人気スポーツと言えばやはり野球、それにバスケットボールやバレーボールだった。

入部した1年生は50人近くいた。経験者は5~6人ぐらいで、ごいさんも含めてほとんどが素人だった。6時近くにレギュラーの練習が終わると、ようやくボールに触れる。それから照明をつけて8時過ぎまでボールを蹴る。とにかくボールを蹴るのが楽しかった。練習が終わって着替えながら友だちと喋る。駄菓子屋で買い食いをしながらまた喋る。毎日、家に帰り着くのは10時過ぎだった。当然だけど勉強する時間は無い。

レギュラーの練習中はただひたすらに走らされた。それに嫌気が差して少しずつ辞めていく。2年生になる頃には20人ほどに減っていた。もう残っているのは経験者や、初めてボールを蹴った人でも自信のある人たちだ。そこにいくとごいさんはこれといったものがない。ただボールを蹴っているのが楽しい。持久力が少しはあったかな。

ところが新チームでの初めての試合で、先発メンバーで出場することになった。まさかのまさか、未だにその根拠が分からない。そうして先発を外れた子たちがまた去っていき、最終的に14人が残った。毎日のランニングや厳しい合宿にも耐え、喜びや悔しさを共にした。その絆は家族のそれと同じくらいに強いと思う。自分たちの自慢にはならないけれど、3つ下の後輩たちは山梨県の韮崎高校を破ってお正月の全国選手権に出場している。(当時は山梨県と神奈川県合わせて代表枠が1つだった。)

飲み会は6時から始まったのだが11時に終わるまで笑いっぱなし。思い出を語っては笑い、それぞれの歩んできた道を語っては笑う。ごいさんもみんなのことをずいぶん笑ったけど、逆にずいぶん笑われもした。必ずと言っていいほど同じ分だけ逆襲される。S川君が言っていたが、同じ年の仲間は遠慮が無くていい。確かに1つ上でも1つ下でも気を使う。

みんなまだばりばりに働いている。昔の勢いそのままだ。きっと隠居生活なんて誰もやらない。ごいさんののんびり生きようなんて考えも、軽く蹴散らされてしまいそう。

まだまだ話は尽きないのだけど、時間も有限。再会を期してお開きとなる。いつもならこの後の別れを淋しく思うのだが今日はそうならない。なんだろう。またすぐに会えるように思えるからだろうか。

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