「97の会」で思うこと

先週の金曜日に「97の会」という集まりがあった。当然のごとく飲み会、いや食事会?昨年の記事にも書いたのだが、メンバーはごいさんの5校目に赴任した学校の先生たちで、1997年にその学校に着任した先生たちの集まりだ。ごいさんは1999年に着任したのだが、その先生たちが中心となっていた学年の副担任をやったということで声をかけてもらっている。今回のメンバーは、S木さん、H本さん、K能さん、F舘さん、Y口さん、T辺さんの女性陣とW部さん、ごいさんの計8人。本当はあと3人ほど男性がいるのだが文化祭の準備などで来られないとのことだった。

場所は、東横線東白楽駅から徒歩3分ぐらいの所にある「横浜桔梗亭 志むら」というお店。完全予約制のお店で、20人ぐらいまでは入れそうだが、7~8人でも貸し切りにしてくれるという。落ち着いた空間はもちろんだが、お料理が素晴らしい。一品一品が丁寧に作られていてとても美味しい。それにボリュームもある。同じ団体に同じ料理は出さないというこだわりも素晴らしい。

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この学校はごいさんが経験した中でも、家庭環境の厳しい子が一番多かった。母子家庭や生活保護を受けている家庭も多く、授業料は自分のアルバイトで払っている子もいた。漢字が読めない。計算も苦手。もちろんピアノや水泳などの習い事をする余裕も無い。時間があればバイトを入れる。

そういう中で彼らは何をもって生きようとしていたのだろう。それでも生きている証は欲しかったのだと思う。なんとかして目立ちたい。男の子ならバイクかな。中には暴走族に入る子もいた。女の子は当時ガングロと呼ばれる独特の化粧だったりする。彼らはなんだかんだと言われながらも学校にやってきた。世間ではまともに扱ってもらえないが、学校に来れば先生の誰かしらが相手をしてくれるからだ。それがたとえ注意や叱られることであってもね。

ごいさんもこの学校に来て初めてこういう現実を見た。この子たちにとって幸せってなんだろうって真剣に考えたりもした。彼らにも夢や希望はあっただろうけど、今は生きることだけで精一杯なのだ。高校を卒業しても、社会はこういう子たちを簡単には受け入れてくれない。荒波にすぐさま押しつぶされてしまいそう。そんな不安な思いで卒業させたのを思い出す。それからもう12年。彼らはちょうど30歳になる。人生で一番いい時だ。みんなどうしているのだろうか。

さて食事会の方は、そのような生徒たちと対峙してきた肝っ玉母さんのようなたくましい女性たちに囲まれて、ごいさんはだいぶ緊張気味。でもこういう懐かしい集まりはいいもんです。その時々を思い出し元気が蘇ってくるような感じがする。この会は、「97の会」に因んで毎年9月7日の前後に開かれている。ということで、次に会うのは1年後だ。きっと女性陣たちはまたパワーアップしている。ごいさんも元気だけは維持しておかなくちゃ。

 写真は「横浜桔梗亭 志むら」。普通の家のよう。f:id:goisan:20150911183133j:plain