母の誕生日

2月20日は母の誕生日だった。86歳になる。横浜マラソンのボランティア説明会があったり青梅マラソンがあったりで遅れてしまったが、今日ようやく誕生日のお祝いに行ってきた。去年に引き続いて丸いケーキを買った。

この一年もこれといった病気もせずに元気に過ごしてくれた。でもやっぱり年をとったかな。年々小さくなっている感じだね。会えば、お前たちのおかげで私は幸せだ幸せだと念仏を唱えるように言う。分かったよと言っても次に行くとまた言う。ゲートボール仲間にもお年寄りの集まりでも誰彼となく言っているようで、こっちが恥ずかしくなってしまうくらい。

若い頃に大変だった母を見てきたから年をとって少しでも楽しく生きてくれることを望んできた。そう思うのに考えてみるとたいした親孝行もしていない。母のことは妹と妹の旦那さんに任せっきりだ。先日も伊豆の河津桜を観に連れて行ってくれた。ありがたいことだ。ごいさんは週に一回出かけて行って少しばかり話をしてくるぐらい。近いうちに温泉にでも連れていってあげようかな。

どんなに元気だってもうそんなに先があるわけじゃない。思ったら行動を起こさないとね。あの時に……なんて悔いは残したくない。もしかしたらごいさんの方が先というのもあるかしら。でもそれはやっぱり勘弁だな。一番の親不孝になってしまう。そんな悲しい思いは絶対にさせたくない。だから自分も健康に気を遣ってしっかり生きていかなければと思う。マラソンもその有効手段の一つだね。

母は実家に一人で住んでいる。心臓に持病があるけど全体的にはいたって健康だ。食事作りや掃除、洗濯をきちんとこなす。いつ行っても部屋は綺麗に片付いている。すぐボケるから世話にはならないって、言うことはいつも勇ましい。86歳という年齢。自分はその年を元気に迎えられるだろうか。それまでボケないでいられるだろうか。そんなことを考えると母がますます偉大に見えてくる。そんな母でも夜は一人でテレビを見て、一人で食事をして床に就く。このあたりが微妙に寂しさを感じさせるのだけど。

退職して時間ができて子供に戻ったような勢いであちこちのマラソン大会に出かけている自分。次はどこに走りに行くんだいと母は会うたびに聞いてくる。怪我の心配もあるのだろうけど、それ以上に元気に走り回っているのを見て喜んでいるように思う。買ってくるお土産も楽しみにしているようだ。だから絶対に忘れちゃいけない。わざわざ買ってこなくてもいいのにと言いながら嬉しそうに仏壇にあげる。生き生きとしている姿を見せることが、今のごいさんができる一番の親孝行なのだと思っている。

いつまでも母の前では子供であり続けていたい。母がいたから自分がいる。母がいるから心も平穏だしやりたいこともできる。お前は偉いねっていつも言うけど、偉いのは母さんの方だよ。自分じゃない。

母さん、86歳の誕生日おめでとう。この一年も元気でいてね。

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