お正月の行動記録

年が明けて1週間が過ぎ、一昨日は成人の日(自分にはまだ成人の日は15日というイメージが強いのだけど)だった。テレビの映像には艶やかな格好をした若者の姿が映し出されている。一方で、振袖を依頼した会社と連絡が取れずに注文した晴れ着を着られなかったという子が多数いたというニュースが繰り返し流されていた。その悲しい思いはその子の親も一緒だろう。子育ての節目としての成人式。親の思いもいかばかりだと思う。

そうして学校では3学期が始まった。昔は初日は始業式ぐらいで終わっていたのが、最近ではいきなり平常の6時間授業で始まる学校が多い。お正月気分がどうのこうのなんて言っている暇もない。いきなりトップスピードでレースに参加するようなものだ。今どきの高校生は昔のようにのんびりとお正月も過ごせない。

高校3年生にとってはすぐにセンター試験があり大学受験が始まる。当然冬休みもお正月気分も味わえなかっただろう。それとこの時期はうかつに風邪を引くことも許されない。家族もしばらくは緊張する日が続く。ともあれ受験生で頑張ってきた子たちにはその目標が達せられることを望む。もちろん大学は合格して終わりじゃないね。そこから真の勉強が始まる。

さて前置き?はこれくらいにして、今日は自分の正月のことを少し書き留めておきたい。

1日は年が明けてすぐに近くのお寺に初詣に出かけた。初めて来たのは下の子が中学受験の年だった。どうにか希望の学校に受かることができて、それからは毎年来ている。明け方、初日の出を見ようと裏手にある丘に上る。しばらくして遠く向こうの地平線にぽっかりと太陽が姿を現す。家族の健康と無事を祈る。午後はこのところ恒例としている父の所への墓参りランニングだ。往復30キロ。風もなくのんびり走ってちょうど良い。お墓を少しばかり綺麗にして父と乾杯。生きている時は実現できなかったことだ。ちょっとだけ親子の気分を味わう。

2日は実家の母を訪ねる。何も作れないと言いながら、煮豆や煮物、からあげやらなんやらと準備して待っていてくれる。味覚が馬鹿になっているからと言い訳しながら味はどうだと聞いてくるから、昔と同じだよ、美味しいよと答える。ついつい調子に乗って飲み過ぎた。

3日は箱根駅伝を見て一日が終わる。往路の結果から青山の圧勝は予定通りといったところ。2月4日の神奈川マラソンで彼らの走りを直に見られるのが今から楽しみだ。

4日は銀座の英会話学校に出向く。ついでに皇居を3周ばかり走る。

5日は浅草寺に初詣。これもこのところの行事にしている。そうしていつもの店でもんじゃを食べて帰ってくる。ただそれだけのことなのだけど。

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6日はテニス始め。午前中2時間ほどやってその後ファミリーレストランで昼食を取りながら2時間ほど話に興ずる。みんな知識が豊富だから聞いているだけで十分に楽しい。

そして7日は久しぶりに湘南海岸を走りに行った。江の島も富士山も澄んでいてとても美しかった。距離は24キロほど。う~ん、ビールが旨い。

書き出してみると、けっこう活発なもんだ。やっぱりじっとしているのは苦手らしい。

 

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2018年、今年の目標

早くも三が日が終わってしまうということで、いつものように今年の目標を決めなければと思い記事を書くことにした。そこで過去の記事を読み返したのだが、去年も一昨年もなかなか意欲的な文章を書いていた。そうだよね、目標ぐらいはこのくらいの意欲をもって書かなければ達成なんてできるわけがない。

毎年のように英語のことが書いてあるのは、多分に学習が進んでいない証拠だね。でも今年はちょっと違う。昨年1年間で確かな手ごたえを感じた。実際にニューヨークに行ってみて海外に行くという緊張感や不安感はだいぶ薄らいだ。それから、英語力を身につけることで自分の世界が広がるというのを実感できた。できれば今年中には使える目途をつけたいからやれるだけのことをやってみようと思う。今年の最大の目標だ。

次はマラソンだが、一昨年の記事にはもの凄くやる気が感じられることを書いてあって、そしてその通りにサブ3.5を達成した。そこで今年の目標はとなるのだが、それが以前のように意欲が湧いてこないのだ。サブ3.5を達成した時の頑張りをこれからも続けられるという自信がない。働いていないのだから練習する時間なんてたくさんあるだろうにと思われるだろうが、それが意外とそうでもない。

それと自分の中で一定の評価を下してしまっているというのが大きい。初めはサブ4もままならなかった自分がサブ3.5を達成してしまったのだからね。この先、1分、2分縮めてもと思ってしまう。ただ、マラソンを通してたくさんの方とも知り合えたのだからもう少し続けようと思う。世界を歩くという夢を叶えるためにもそこそこの体力はつけておかなければならないし。ただ大会の方は原点に返って楽しむことを優先しようかななんて考えている。

最後にこのブログについてだけど、飽きやすい自分にしてはよく続いていると感心する。これも多分に読者の皆さんの支えのおかげだと思う。ありがたいことです。ただ最初の頃の勢いがだいぶなくなっているのは事実。一つの記事を書くのに何時間もかかるような状態だから、英語やマラソンとの両立がけっこう難しい。それでもやはりブログは楽しいし学ぶことも多くて刺激にもなる。それと自分の目標として1,000記事は書きたいと考えている。昨年の最後にようやく500記事を達成した。この感じでいけばあと5~6年ぐらいで達成できるかしら。まずは一つの区切りとしてそれまでは頑張ろうと思っている。

さて容量の少ない自分にとってはこれで手一杯という所なのだが、他にもやりたいことはいくつもある。例えば、本を毎月1冊は読む、映画も毎月1本観に行く。手話も習いたい。他にお花やお茶なんかもと切りがない。でも英語の方の目途がつくまでは難しそうだ。もちろんできる範囲ではやるけど目標として掲げるには至らない。ともあれすべては英語を片づけてからのお楽しみとしておこう。

ここまで書いたところで、暮れの振り返りの時にどんなことを書くのか自分でも楽しみになってきた。

 

初日の出f:id:goisan:20180101065638j:plain

 

今年を振り返って ~ その2~

初めになぜ自分は英語を始めようと思ったのかについて触れておきたい。だいぶ前の記事にも書いたのだが、自分の人生でやり残したことがあるとすれば何だろうと考えた時に出した結論だった。それは50を過ぎて定年退職が視野に入ってきた頃だ。退職後をどう生きていくかとしばらく真剣に考えてみたのだ。それまでの仕事を何かしらの形で続けていくか、それとも物見遊山の旅にでも出ようかとか。

そしてその時に考えたのが、還暦で振出しに戻るのを機に20歳ぐらいの気持ちに戻って二度目の人生を歩めないだろうかということ。それは決して人生のやり直しではなく、全く別のもう一度の人生を生きてみること。今までの人生では経験できなかったような全く違った世界で生きてみたいと思ったのだ。

20歳と言えば大学生だ。そこで、もし再び大学に行くとしたら何を学びたいかと考えてみた。そうした時に、自分がかって大学生の時に外国語の学習が面白くなって、英語の他にドイツ語、ロシア語それにフランス語と手当たり次第に授業を受けたのを思い出した。もっとも専門の物理の方が忙しくて片手間にやっている程度だったから結局は物にはならなかった。でも興味があったのは確かだ。だから今度の人生は、その語学を使って世界を歩き回るというのはどうだろう。そんな生き方をしてみたいと考えたのだ。

実際はこの4年間は働きながらだったのであまり進化もできなかった。そこで今年は思い切って仕事を辞め、英語の学習に集中することにしたのだ。仕事を辞めて増えた自由時間はそっくり英語の学習に割り当てることにした。いや実際はそれ以上で、その結果としてランニングの練習とブログを書くことが疎かになってしまった。

さてここからが今日の本題とも言うべきマラソンの話になる。昨年はサブ3.5を達成するべく意欲に燃えていたから、練習もかなり真剣だった。これもまた昔の記事に書いたことだが、もともと練習嫌いなごいさんでも常時4時間を切れるようになって少しばかり欲が出た。もしかしたらもう少しいいタイムを出せるんじゃないかってね。もうその時は60歳を越えていたから、今頑張らなければ後で後悔するんじゃないか。それで1年間だけでも真面目にやってみようと考えたのだ。

月間200キロ以上を走り、それも常に全力に近い状態で走った。そうしたら面白いくらいにタイムが縮まっていく。そうしてそれから1年後の去年の大阪マラソンでとうとうサブ3.5を達成できた。ただ若い人のようにそれでは次へということにならないけど、それでもその時はまだ少しでもタイムを縮めようという意欲はあった。

ところが、4月から英語の学習が始まるとそちらに気持ちを奪われるようになる。月間200キロは走るものの去年のような勢いはなくなった。それと9月に入って腰を痛めたことが拍車をかけた。今もまだ違和感があるのと他にも痛みが出てきたりして、自分の走りもそろそろ転換期を迎えているのだろうかなどと思ったりしている。

一定のタイムは維持したいけど、これからは長く楽しく走り続けられるようなそんな走りを考えていかなければいけないのだろうか。まだ頑張りたい、もう頑張れない。心の中で葛藤が続いている。

 

夕日って、いつ見てもいい。f:id:goisan:20171224160214j:plain

 

今年を振り返って ~ その1~

今年は久しぶりに大きな変化のあった年となった。それはなんと言っても40年も働いてきた仕事から完全撤退したことだ。そして50歳ごろからずっと思い描いてきた英語の勉強に没頭することにしたのだ。それによって4月からの日々の生活は激変した。その時はそう思わなかったのだがこうして振り返ってみるとその大きさを改めて認識する。

本来なら定年を迎えた時にそうするはずだったのだが、やれ税金対策だとか収入がなくなるのは不安だとかいろんな理由を見つけては仕事を継続することした。本当のところは自信がなかったのだと思う。それでも仕事の量が減れば少しは英語の勉強もはかどるだろうぐらいには考えていたのだが、結局は生徒や学校のことを引きずってそれもままならなかった。そうこうしているうちに4年という月日が(あっという間に)過ぎてしまった。

この4月からは英会話スクールに通い始めオンライン英会話も始めた。合間にはラジオ講座も聞く。最初の3ヶ月はやり方もよく分からずにもたもたしていたのだが、夏になって気合いを入れ直した。11月にはニューヨークに行くことが決まっていた。せっかくだから向こうで会話も楽しみたい。そんなわけで7月以降は平均して6~7時間やるようにした。講師の関係で真夜中にレッスンを受けることもたびたびだった。

そのしわ寄せをまともに受けたのがブログを書くことだった。もともと文章を作るのは苦手で、一つの記事を書くのに3~4時間かかっていた。それにブログの散歩もしなければいけない。その時間を確保するのが相当に厳しくなった。3日に1記事ぐらいを書いていたのが4~5日で1記事といった具合になってしまった。年間100記事は書けるだろうと思っていたのだが、それも微妙な数字になってきた。適当に書けば帳尻は合わせられそうだけど、大事なブログをそんないい加減には書けない。

実は足りなくなったのは書くという時間だけではなかった。それまでは自由な時間がけっこうあって、そんな時にたわいもないことをあれこれ考えたりするのが好きだった。それが今は頭の中のほとんどを英語が占めていて、それもできなくなった。だから書きたいと思うテーマも見つからない。外出することが減って、見聞きすることも減った。そんなことでますます記事が書けなくなっている。

最後は言い訳がましくなって、自分でも好むところではないが、今のこんな自分を知ってもらうのもいいだろうということでそのまま記事にすることにした。

漠然とだけど、来年もまたいろんな変化が起きそうな予感がしている。

 

イブの日の横浜駅前。最近、クリスマスって盛り上がっている感じがしない。音楽も耳にしないし、スーパーではすでにお正月商品が並んでいる。なんか寂しいんだけど…。f:id:goisan:20171224185428j:plain

 

奈良マラソン ~ 当日編 ~

ホテルの朝食を食べて、7時を少し回ったところで宿を出る。会場に着いてまず思い出すのは去年のこの日のことだ。そう、マルさんとびあーさんに初めてご対面した。その後もマルさんとは京都で、そしてびあーさんとは何度かお会いする機会があった。マルさんは顔全体に優しさがこぼれている感じだ。きっと長い時間をかけて作られてきたのでしょう。来年こそは一緒に打ち上げをしたいものです。

自分は今さら若い頃に戻ってまでとはまったく思わないのだが、でももし若かったらと考えることはある。その時にびあーさんや古本屋さんたちのような若手のはてブロランナーに自分を投影することがある。びあーさんに初めて会った時、こういう子たちを応援していくだけでも楽しいだろうなあなんて思ったりしたのだった。

さて思い出話はこれくらいにして、今年は一人ぼっち。ちょっと寂しい…かな。さて今回の目標タイムはとなると、今年のこれまでのレースを考えるとどうしても前向きになれない。どうやっても去年のタイムをクリアするのは難しい。最初から弱腰になるのは好きではないけど、とりあえず「ぜんざいポイント」までは自分らしく頑張ってみようと考えた。後はレースの終盤で応援の人たちに感謝の気持ちを示しながら走り切ることだ。

9時に号砲が鳴る。会場でもらった寒さ除けのポンチョを脱ぎ捨てる。去年は走ることだけを考えていて景色を見る余裕がなかったから、今年はそれも楽しんでいきたい。今回は去年から一つ上がってCブロックからのスタートだ。周りもそれなりのスピードがあって混雑もそれほど苦にならない。最初の1キロは5分21秒とまずまずの出だし。

しばらくして平城京朱雀門が見えてくる。もうすぐ5キロの折り返しだ。Uターンして近鉄奈良駅を通り過ぎ奈良公園に入ると10キロランナーと並走する形となる。そうして最初の10キロ地点。51分09秒で通過。15キロを過ぎて長い上り坂が始まる。途中で奈良マラソン名物の忌野清志郎さんとハイタッチ。上りきった少し行った所が20キロ地点でこの10キロは51分00秒。今度は急な下り坂が1キロ余り続いて、この5キロを24分52秒で走る。

ここで待ちに待ったぜんざいのエイドスポットの登場だ。走りの調子がまずまずということで一瞬ためらったのだけど、やはりここでのぜんざいはしっかり食べていかなきゃと思った。ここでのロスとこの後にコース最大の上り坂があったことで次の5キロは30分02秒かかった。昨年より無理をしていないせいか気持ち的にはまずまずなのだが足の動きは俄然鈍くなる。それほどの上りはないはずなのに時々現れる緩い坂道が上りきれない。

40キロまでの10キロは56分53秒。今年のごいさんはこの最後の10キロが以前のように粘れない。それでも最後の4キロは沿道からの声援にも応えられたしハイタッチもして結構楽しめた。なんとか笑顔も見せられた。そうして3時間46分15秒でフィニッシュ。タイム的には昨年より7分ほど遅いけど、今の自分はこれで目一杯…かな。

最後に、応援の皆さまやボランティアの皆さま、大会関係の皆さま、皆さまの声援のおかげで、最後まで頑張ることができました。ありがとうございました。

 

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奈良マラソン ~ 前日まで ~

遅くなりましたが奈良マラソンの報告です。今回、奈良マラソンに参加した理由は次の3つ。まずは昨年のレースの後半で応援してくれている方たちにまったく応えることができなかったという無念さ。それと観光の続きを楽しみたいということ。そしてカメキチさんご夫妻との再会。もちろん申し込んだ時点では昨年のタイムを上回りたいとも考えていたのだけど。

宿はJR奈良駅の近くに取れるというので、今回は金曜日に出かけて大会当日の日曜日に帰ってくるという日程となった。ということで、金曜日は京都駅に12時少し前に到着。まずはカメキチさんご夫妻と10か月ぶりの再会を果たす。すでにお茶のできるお店を探してくれていてそこまで案内してもらったところで、ブナさんは用事があるので先に帰ると言う。ブナさんにも話したいことがあったから、ちょっと残念。

今回はカメキチさんと2人、男同士の会話と相成った。で、結局はコーヒー1杯とケーキ1個(ケーキはごいさんのみ)で4時間余り。カメキチさんの話しているのを聞くのはブログを読んでいる時とはまた違った味わいがある。ぽんぽんといろんな言葉が飛び出てくる。ごいさんはそういったテンポのある会話が好きだ。聞いていてとても楽しいし、突っ込みも入れやすい。

ブナさんからは2時間ぐらいが限度だと思いますと言われていた。ちょうどごいさんの真ん前に時計があって気にはしているのだけど、次から次へと話は続く。カメキチさんがいろんなことを話してくれるのはやはり聞いておきたい。自分のことも伝えておきたい。心の中ではそれなりの葛藤があった。それでもさすがに4時近くになって切り上げなければいけないと思った。

カメキチさんはJR奈良線のホームまで見送りに来てくれた。動き出した車中から手を振る。久しぶりに味わう切ない思いだ。カメキチさんもブナさんも今のごいさんにとっては大切な存在。お二人のことを思うと頑張れるし、また無理をしないでいいのだとも思う。この歳になってこんな素敵な出会いがあるなんてね。How lucky I am!

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翌日は午前中にゼッケンを受け取って、今回の目的地の法隆寺へと向かう。良く晴れていて風もない穏やかな日。歩き回るには最高の日だ。奈良ではたくさんの人を見かけたのに、この場所の人影はまばら。おかげでゆっくり見ることができた。まずはお馴染みの五重塔。それからあの有名な玉虫厨子百済観音、夢違観音が展示されている大宝蔵院。そして夢殿を一回り。続いてお隣の中宮寺で「木造菩薩半跏像」に対面。そのあまりの美しさにただただ感動。後で知ったのだが、世界三大微笑像(他にスフィンクスモナ・リザ)の一つと言われているそうだ。

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それから少し離れたところにある法輪寺へと歩く。誰もいない中で「木造十一面観音菩薩立像」としばし向き合う。その優しい眼差しにすっぽりと包まれたようで心も体も温かく感じる。最後に法起寺の日本最古といわれる三重塔を見学して今回の観光を終える。ちょうど4時間。まだまだ見足りないのだけど、翌日のレースを考えるとこれが限界だった。

 

写真は上が法輪寺、下が法起寺法隆寺の塔とともに斑鳩三塔と呼ばれている。f:id:goisan:20171209153951j:plain

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明日のために生きる

11月23日にブログを通して知り合いになったrecocaさんと再会した。東京の久留米の方から横浜まで2ヶ月に一度ぐらいの割合でリコーダーのレッスンを受けに来ているという。最初に会った時にそんな話が出て、それでは今度は横浜でお会いしましょうと約束をしていた。

彼と話している時から、何かワクワクしたものを感じていて、でもそれが何だかよく分からなかったのだけど、一人になって考えてみたら何となく分かってきたことがあった。それはだいぶ前にも感じたことでその時はもやっとしたままで放置してしまったのだけど、今回はその少しばかり分かった気持ちをここにまとめておくことにした。

Recocaさんはご自身のブログにも書かれているように現在77歳なのだが、血色もよく表情も豊かでだいぶ若々しく見える。そしてその要因は何かと考えた時、その一つに挑戦し続ける姿勢があるのではないかと思ったのだ。彼の場合だとまず音楽活動がある。いろいろな場で発表する一方でさらに技術の高みを目指してレッスンを受けている。俳句も然りだ。十分に知識を持っているのにさらに確実なものにしようと通信教育に挑戦する。なんとも意欲的だ。

今まで自分は、「明日なんて当てにならない。生きているかも分からないのだからまずは今日を懸命に生きよう。」と考えてきた。でも最近になって、少し考え方を変えてみようと思うようになった。今日を一生懸命に生きることはもちろん大切なことなのだが、明日が当てにならないとか明日が来ないという考え方は捨てるべきだと思ったのだ。実際、ほとんどの人に明日は確実にやって来る。ならば明日も楽しめるようなそんな生き方をしなければいけないのではないか。

明日がない、明日はつまらないと思えば必然的に過去を振り返ることも多くなる。そうだ、あの頃は楽しかった。上司や先輩としてたくさんの部下を従え、話をすればみんなしっかりと聞いてくれた。でも退職して肩書きを失った瞬間、それはみんな過去の思い出になる。それでもつまらない明日よりはその思い出にしがみつこうとする人は多い。そうして自分の現状を嘆いては、「昔はよかった。」という名ゼリフを口にするようになる。

ところが、常に明日や未来のことを考えている人は過去にとらわれないで生きている人が多いと思う。お爺ちゃんだって懸命に何かに打ち込む姿勢は輝いている。なんでもいいのだ。他人が見てつまらないものだって自分が積極的になれるものを見つけてそれに打ち込む。いつか進化した自分になれるというそのワクワク感が、人生をより楽しいものとするだろうしいつまでも年老いない秘訣なんじゃないか。それに学ぼうとする姿勢があれば謙虚な気持ちにだってなれる。

過去がどんなに素敵で時には心を癒してくれても、それだけで残りの人生を前向きに生きることはできない。残された未来にだってたくさん素晴らしいことが待っているはずだ。そこでまた新しい思い出を作ればよい。とまあそんなわけでごいさんも未来の自分のために生きてみようと考えたのだ。5年先、10年先の自分がどのくらい進化しているか、ちょっと想像しただけでも楽しくなってくる。

 

日曜日に奈良マラソンを走ってきます。f:id:goisan:20171207232957j:plain