こども医療センターにて
先日書いたように、下の子の入院でごいさんは1年近く横浜市の六ッ川にあるこども医療センターに通った。
下の子の子育ては自分ながらに順調だったと思う。小学4年生ながら身長も150cmを超え、ミニバスのチームでは5年生になったらレギュラーになれることも確信していた。さすがにプロバスケットの選手にまでしようとは考えなかったけど。当時は、アメリカのNBAが全盛のときだった。マイケル・ジョーダン、シャキール・オニール、コービー・ブライアント、ジョン・ストックトン、ラリー・バードなどなど、ごいさんもよく覚えたものです。それが突然の発症。ごいさんにとってその衝撃はあまりにも大きかった。彼の人生が終わってしまったかのように。手術が成功してなんとか歩くことができるようになると言われた時の喜びは言葉では言い表せない。
そうしてごいさんの心に少しばかりの落ち着きが出てきて、改めてこの医療センターのあちこちを見回してみると、そこにはいろいろな障害を持った子供がいることに驚かされた。下の子と同じように肢体に不自由を抱えている子もたくさんいるが、それでもそれは時間とともに回復できるものがほとんどだ。だから病棟もけっこう明るい。でも、脳に障害を持った子だろうか、顔に表情のない子や言葉を発せられない子たちはどう見ても治るようには思えない。その子たちを囲んで同じような親たちが世間話をしている。その顔には暗さがない。無理してでも明るくしなければやっていけないのだろうと初めはそう思っていた。だって相当な苦労があるだろうに。でもいつ見ても彼女たちは明るかったし、表情の無いわが子に向かって笑顔で優しく語りかけている。すごいと思った。ごいさんだったら打ちひしがれて何もできないだろう。いろんな後悔をしてとてもこんなに明るい顔なんてきっとできない。この人たちはなんてすごいんだろうって本当に感激したのだ。きっとその子とは一生つき合っていかなければならない。初めは誰だって後悔もし悩んだに違いない。それがこれほどまでに素敵な笑顔でいられるなんて本当に不思議でならなかった。どうしてそんな笑顔ができるのか、そのきっかけは何だったのか。聞いてみたかったがその時のごいさんにはできなかった。たぶん、今もできない。その後、何年間か医療センターに通って、いろんなお母さんたちを見たが、やっぱりみんな笑顔で世間話をしていた。ごくごく普通に。
そのお母さんたちはその時のごいさんより10歳ぐらいは若かったはずだ。でも自分の子を守ろうとする強さそして優しさはとうてい真似のできるものではない。ごいさんは、40代半ばを越えて初めてこういう世界に生きている人たちを知った。
学校に来ている生徒たちはそれだけで十分幸せだと思う。だからもっともっといろんなことにチャレンジして欲しいんだ……って、伝えてきたつもりなんだけど。
写真は、2人の子供の身長計