母の日に思うこと

今日は母にとって66回目の母の日だ。でも母の日だなんて意識し始めたのはいつ頃からなんだろう。小学校の頃というのは確かだけれど、その頃はお小遣いなんてもらっていなかったから何かを買ってあげたという記憶はない。代わりにあの頃は肩たたき券とかお手伝い券とかそういうのが流行っていたように思う。多分その頃は何かをプレゼントするというそんな時代ではなかったのかもしれない。

小さい頃から働き詰めの母親を見てきた。朝早く起きて朝食を作り、会社で働いて、帰って来たら夕食の支度、そして夜には遅くまで内職と。そんな母親の夢は、ごいさんが銀行員になってたくさんのお金を稼ぐようになることだった。だからそんなに貧しい中でもそろばん塾に通わせてくれた。そんな母親を喜ばせるのは、家庭訪問や保護者面談の時に担任の先生が褒めてくれること、それと通知表で良い成績をとってくることだった。母はそれで近所の人たちに自慢話をするのを楽しみにしていた。お金のかからない唯一の親孝行だった。

母の誕生日の記事にも書いたけど、88歳の誕生日を迎えてだいぶ体力が衰えてきた感じがする。本当は一人で住むのも辛いのかもしれないと思う。今は週に1度顔を出しているけれど、行くたびに肩が痛い、腕が痛いと嘆くことが増えている。医者に行っても治らないという。「もう年なんだからしょうがないよ。」と言うと、顔を少し曇らせて悲しげだ。趣味だったゲートボールもお年寄り仲間が減って最近はやっていないようだ。歩けなくなると困るからと毎日のように散歩はしているけれどそれもだいぶ行動範囲は狭くなった。今まで母が弱音を吐くなんて聞いたこともなかった。ずっと母は強いと思っていた。

そんな強かった母もここにきて少しずつ子供に戻っているかのようだ。今まで考えもしなかったのだけれど、最近になって母が何を考えながら毎日を過ごしているのかというのが気になり出した。昼間は外も明るいし散歩をしたりして気を紛らわすこともできるだろうけれど、夜になって一人で過ごしている時ってどんなことを考えているのだろうか。病気のことやこれからのことで不安になる時もあるだろう。でも自分の前では決してそんな素振りは見せないのだ。

母の写真を誰に見せても若いねと言ってくれる。毎日散歩をして難解な数独パズルにも挑戦している。炊事、洗濯、布団干しなどの家事も一人でこなす。そんな話をすると誰もが驚き感心する。そうなのだ。昔、母が自分を自慢してくれたように、今は自分が母を自慢している。そしてそんな強い母がいるから、いや強そうにしている母がいてくれるから自分は好きなことをしていられる。母に会うたびに自分も母のように強く生きたいと思う。

でもこれからはもう少し母に会いに行く時間を増やそうと思う。

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